東大第67回駒場祭と銀杏並木のキャンパス

1, 東大の教養学部(駒場)は我が家から歩いて裏門まで10分ほど、キャンパス内は恰好の散歩道になります。

家人はもっぱら朝7時前には一人で歩きに出かけますが、私はついでに図書館にも寄りたいのでもっと遅くになります。
いまは銀杏並木が見事です。

今年は25日(金)〜27日(日)の三日間が学祭(駒場祭)です。前日の雪がやんで青空になり、初日から覗きに行きましたが、けっこう人が出ていました。

最近の大学祭は、硬いイベントも殆どなく、平和な催しです。並木の両側も裏に回っても、テントの屋台が目につくだけ。牛串だの焼きそばだのおしるこだのクラムチャウダーだの、部単位、クラス単位で同じような店を張ってお客を呼びこんでいます。

たまに変わっていると言えば、似顔絵を描く漫画クラブや新聞や学芸誌を売っている店ぐらい。

「東大美女図鑑」と銘打ったテントがあって、何だろうと思ったら、美女が何人もいて、美女たちの写真集を販売しているのには驚きました。おまけに、販売担当の東大生の美女たちを撮影するのは、「駒場祭委員会の要許可」と書いてあり、爺さんの好奇心の撮影など許可してもらえそうもないだろうと思って諦めました。

教室内外のイベントも落語だの、音楽など・・・・硬いテーマの催しはごく少数で、あっても、講演会「パスカル《パンセ》を読む」だの、シンポジウム「生物多様性学の最前線」など、何れも教養あふれるテーマで、かってのような闘争的なものは1つもありません。
今の若者は、現状にたいへん満足し、怒っていない・・・・ように見えます。


2.てなことを考えながら、正門に回って正面を見たら、「今年の駒場祭のテーマは“めしあがれ”だ」という看板がありました。
なるほど、だから屋台が例年より多いのだと気付きましたが、何とも天下泰平なテーマですね。
これでは肥るだけ。

たしか昔、入学式の式辞で「肥った豚になるより、不満足なソクラテスの方がよい」と述べた学長がいましたが。


因みに昨年のテーマは「祭りは旅」、だった由。
大昔、筆者入学の1958年は「民主教育を権力の支配から守り学園の自治を確立しよう」。その前年の57年は「平和と民主主義を守ろう」・・・・
ああ、日本はこの時代から遠く・遠く、もはや老人の居る場所は消えていくようです。
テーマの変遷を見ると面白いのですが、徐々に変わっていったとはいえ、1980年代の後半あたりからいまのような「基調」になったようです。


3.屋台で暖かいココア(150円)をもらい、「週刊東京大学新聞」(100円)の駒場祭特集も買いました。
紙面を拡げて驚いたのは、ミス&ミスター、栄冠は誰の手に? 10人の候補者を徹底解剖」という1頁全面の記事で、こんなコンテストがあることです(驚く方が無知で、誰もがとっくに知ってるかも知ってるかもしれませんが)。
「今年も(いつからでしょう?)ミス&ミスター東大コンテストが開催される。駒場祭最終日の27日午後2時にいちょうステージで開演し、インターネット上と当日の投票によってグランプリと準グランプリが決まる・・・・」とあります。

駒場教養学部の1,2年生が通い、3,4年生の殆どは本郷キャンパスに行きますが、10名の候補者には3年生、4年生もいて、全学的なイベントらしい。まさに「ミス&ミスター東大」なのでしょう。
ある女性候補者の紹介には、「念願のミスコン出場だ。・・これまで3年間は出場がかなわず、最後のチャンスとなる今年の面接では出たい気持ちを猛アピール・・」とあります。
ここから推定できるのは、一定の人数の推薦者をつけて自分でエントリーする、応募者が多いのでファイナル10名に選ばれるには面接を含む審査がある、というような仕組みです。
誰が審査委員になるのだろう?と余計なことを考えました。まさか、学長が審査委員長なんてことはないでしょうね。

時代は変われば変わるものです。
少しショックだったのは、新聞片手に歩いていたら、過去のミス&ミスターの氏名と写真の展示もあり、この中に、例の電通の過労死の女性がいたことです。
彼女も「ミス東大」だったんだ!
きっと、東大時代は人気の有名人だったのでしょう。何とも気の毒です。


4.最後に話は変わりますが、この校内を家人は朝早く、散歩します。銀杏並木を通り抜ける手前にテニスコートがあって、彼女はここで左折して並木に行かずに、テニスコートの横を通る。
そうすると、朝早くからテニスボールがコートのフェンスの外の歩道になっている端にたくさん落ちているそうです。、
何せ、まだ昭和の頃、一高柔道部OBの父親にしつけられた女性ですから、こういうのが我慢ならない。練習のあと外に出たボールまできちんと拾うのがマナーではないか。拾わないままに放置しておけば腐ってしまうのではないか。


朝早く、まだ選手は誰も来ていない。翌日も翌々日も同じ状況。
そこで彼女は、ボールを幾つも拾って、コートの中に放り投げるのが日課になった。
ある朝、珍しく7時前からコートに来ている学生がいる。そこで彼女は彼に、「練習が終わったら、外に飛んたボールを拾っておくのが運動選手のマナーではないか、放置したままでは勿体ない、と言ったところ、「分かりました」と返事をして、その後、毎朝同じところを通るが、外に放置されたままのボールは無くなった。

何日か経って、また同じ眼鏡の学生が早くから来ているので、「外のボール無くなったわね。ちゃんと拾うようになったのね。さすが東大生!」と褒めてあげた・・・・

散歩を終えて帰宅した家人がそんな報告をしてくれます。
「むしろ運動部の強い大学の方がこういう始末はきちんとしているかも。“さすが東大生”はないよ」とからかって会話は終わります。

学生からは「口うるさい婆さんだ」と思われたかもしれませんが、明治生まれの両親から子供の時に受けたしつけのせいですから今更変えられません。
それにしても、今は豊かになって、フェンスの外に飛んでいったテニスボールなんか部員の誰も気にしない。婆さんに言われて、「はあ、そんなものか」とびっくりする・・・・そんな時代かもしれません。

そう言えば、コートのフェンス外にはお手洗いがあり、時々利用させてもらいますが、ちゃんとシャワー・トイレです。

いろいろな意味で、時代は変わった。「散る銀杏 昭和は遠くなりにけり」です。