銀座「はち巻岡田」と職場の先輩と吉田健一『海坊主』

1. 12月は有難いことにお誘いがかかって、外での会食が多少増えます。
先週はその中に、実に久しぶりに訪れた「「はち巻岡田」がありました。

昔の職場のえらい先輩からこれまた久しぶりに声がかかって、緊張して伺いました。
同氏のごひいきの店で、現役時代の大昔に連れていってもらったことがあります。
もう1人大先輩がいて3人でした。


通人には知られた店でしょうから、紹介する必要もないかもしれませんが、創業は大正5年今年100周年とのこと。

関東大震災(大正12年)で焼け野原になった銀座でいち早く店を再開した。
水上龍太郎という慶應出身の小説家兼企業人(父親が明治生命の創業者で自らもそこに勤めた)がその心意気に感激して『銀座復興』という小説で取り上げて以来有名になり、文人や企業人が通う店になった。

「(おやじは)年中鉢巻をしていて、自らはち巻岡田と呼ぶ。……震災後、銀座一帯が砂漠だった真中に小屋を建て、すいとん時代を尻目にかけて刺身で飲ませ「復興の魁(さきがけ)は食物にあり・・・」と大書して貼り出した人物だ。銀座から勲章をやってもいい位だ」と水上は随筆に書きました。
食べたり飲んだりの店は、文人が書いてくれると宣伝になって有難いでしょう。
いまは3代目がやっています。

ということで、私などには本来敷居の高い店ですが、常連である先輩の相席ですから気楽でした。
「緊張した」と書きましたが昔の職場は、上下関係にやかましくない、若い人ほど上司に向かって言いたいことを言うところでしたから、この日もすぐにそういう雰囲気になりました。
2人とも80代というのに、すぐにトランプやプーチンの話になり、思い出話、同僚の噂、病気の話など一切出ないのも、昔の職場らしく、楽しい会話でした。


2.ここを訪れた文筆家の常連のうち、私が読んだのは吉田健一です。
言わずとしれた吉田茂の一人息子。
酒が好きで、食と酒の随筆をたくさん書いていますが、これは余技で、評論、小説、翻訳の方が本格的です。

彼の短い小説に『海坊主』という不思議な作品があり、1956年に新聞に掲載、「非日常から日常を照らし出した奇想天外な小説」と評されますが、
冒頭を以下にご紹介します。


――或る雨が降る晩、これは文士の身分で、銀座の松屋裏にある「岡田」という料理屋で飲んでいた。料理屋と言っても、これもおよそ何でもない、酒が飲みたい人間に酒を飲ませ、料理が食べたいものに料理を出すだけの店である。だから、酒は樽で灘から取って、自分で包丁を振う主人は、流儀は江戸前料理でありながら、関西にも行って修業してきた。―――

よく言われることですが、彼の文体・文章は独特です。

ここでも「これは文士の身分で」とあるのが、なぜこういう一節を入れたのかよく分かりません。そのあとに「これもおよそ何でもない・・」と「これ」がまだ出てくるので、「たかが文士風情で・・」と書きたいのかもしれません。
おまけに「文士の身分」の語り手は、最初から最後まで一人称を一切使わない。
「私」でも「僕」でも「自分」でも他の名乗りもない。これも意識してでしょうが、独特です。実は書いてみるとわかりますが、「これは」なかなか難しいです。


酒は樽の菊正宗で、おそらく創業以来でしょう。銘柄はこれだけで、置いてあるのは菊正とビールだけ。

先輩は「樽の菊正を置いているのはここと並木の藪そばで、この2つの酒は同じ樽でも特製に思える」と一言。いかにも年齢を感じさせるせりふです。


3.小説『海坊主』に戻りますと、「文士」1人で飲み、先代のことも思いだしてこう語る。
「まだ先代が「岡田」をやっていた頃は、空けた徳利は下げずに新たに徳利を持って来ることになっていて、自分が何本飲んだか、前に置いてある徳利を数えれば解った。
それも、誰でも幾らでも飲める訳ではなくて、主人の一種の勘で誰は何本が適量と定め、それ以上を頼むと、「貴方はもうそれ位でいいでしょう」と言われてけりだった」。


・・・「その晩は雨が降っていて、飲むには誂え向きだった。・・・その時戸が開いて、お客が一人入ってきた。」
そして、暫らくして・・・「相手がこっちの方を向いて、「一杯如何ですか」と徳利を上げた時は、何も断る理由はなかった。雨の晩に一人で飲んでいるのもいいものであるが、二人で飲むのも結構楽しい。そして飲んでいる時に誰か知らない客に声を掛けられるのは、それだけで嬉しくなるものである。」

まさに「日常」が語られる訳ですが、この語りがうまい。
読んでいると本当に、旨い酒が、もちろん燗で飲みたくなります。燗酒がいちばんというのも高齢者の証拠でしょう。


2人は暫らく一緒に飲んで・・・
「雨の夜の銀座は綺麗な筈で、・・・男と一緒に「岡田」を出た。
銀座の道路は案の定、雨に濡れて街灯の明りで薄く光っていた。・・・」
そのあと2人であちこち飲み歩く。最後は男が誘って隅田川の川っ淵の料亭にあがる。

飲んでいるうちに
「男が立ち上って、障子の外の欄干を跨いで地面に降りた。
・・・・
庭を横切って、その端から川に入った・・・・そして月光を散らして中流まで行った時は、既に頭が四斗樽位はあると思われる大亀になっていて、亀はその頭を川下の方に向けて泳ぎ去った。」

これで小説はおしまいです。
馬鹿々々しいと思われたらそれまでですが、大好きな小説の1つです。

もちろん先輩2人との酒席は最初から最後まで「日常」の世界で「非日常」はありません。楽しく・気持ちよく午後5時から飲み始め、7時には終わりました。
店を出ると、その夜は雨の予報でしたがまだ降ってはおらず、しかしやはり「銀座の道路は街灯の明りで薄く光っていて」「綺麗」でした。

銀座通りに大きな車が止まっていて、その横に「分際を弁えよ安倍晋三、次代天皇の大世直しに備え奉れ。 皇祖天照大神世直し特別広報隊」と大書してあるのに驚きました。


これは「日常」か、それとも「非日常」か。いよいよ21世紀の銀座にも海坊主が現れたかと一瞬おもしろく思い、暫らく眺めて写真も撮りました。
ということで今回は馬鹿々々しいお話しです。