京都から遅く帰宅して憩う

1. 我善坊さんコメント有難うございます。
オルテガは大衆に危惧をいだき(知的)エリートを高く評価したというのが日本での評価のようですが〜」とあります。
私は「日本での評価」は、西部邁を少し読んだぐらいでよく知りません。しかし西部氏は「オルテガは知識人のための知識を軽蔑し、大衆の真ん中にいようと努力した人である・・・“一緒に独りで”いることの緊張に堪えぬく精神、それがオルテガのいう貴族・・・たることの条件である」という批評は的確だと思います。

(1)実は本書についてはすでに2011年2月のブログを始め過去に何度も紹介しています。http://d.hatena.ne.jp/ksen/20110218
その間ずっと本書と付き合ってきた訳ですが、今回またまた取り上げたのは、
「彼が言う“大衆”と“エリート(邦訳では少数者)”の定義は、我々が普通に考える目に見える存在ではなく、人間の2つのタイプだ」という「私の読み」を確認し、その背景にはいまの現時点での、この国についての危惧があるからです。


(2)多少繰り返しになりますが、彼は「社会は、つねに2つのファクター、少数者と大衆のダイナミックな統一体」と理解します。そして、この違いは「人間の種類による分類なので」あり、「大衆とは自分に対してなんらの要求も持たない人々、“生きるということ”が自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもない」人々、と定義します。


(3)したがって我善坊さんの言われる「旧エリート層への失望」とは、まさにオルテガが本書で嘆いていることですね。そこから、「(いまの日本の“目に見える”)少数者にだって実は、(オルテガ)の言う意味での“大衆”が少なからず増えているのではないか・・・」という危惧につながる訳です。


(4)そしてオルテガは、「生きるということ」とは?を次のように、美しい(と私が考える)言葉で定義します。


――「生きるとは、何かに向かって放たれていること、1つの目標に向かって歩くことだ。そしてその目標は、私の道程でもなければ、私の生でもない。それはわたしがわたしの生を賭けるもの、したがってわたしの生の外に、彼方(かなた)にある何者かである・・・」―――
おそらく、オルテガ自らが「賭けた」のは「人類の気高い叫び」と彼がよぶ「自由主義的デモクラシー」であるでしょう。


(5)ということで、前回のブログの続きになってしまいましたが、コメントを頂けるのは有難いことで、説明が少し足りなかったかなという反省にもつながります。

2. 話は変わりますが、実は所用があって京都と神戸に行っており昨夜帰宅しました。
このブログは原則として週1回、日曜日の朝アップしています。

起床してすぐに家人と東大駒場キャンパスまで約30分の散歩。そのあと国際ニュースをみて(旧東京銀行で一緒だった若い同僚の夫人がよく同時通訳で登場します)、それからPCに向かいます。ブログの原稿はだいたい土曜日の夜にほぼ書いておきます。


ところが昨夜は旅から遅く帰宅して、原稿を書く気分になれませんでした。

ということで、気楽に音楽を聴いてから寝ることにしました。
音楽はCDではなく、PCを開けた序でに「お気に入り」に入れてある Youtubeからです。(サイトは著作権の関係でしょうが、時々、突然削除されてしまうことがあるのが難点ですが、その点を除けば私のような素人には音を含めて十分楽しめます。)


昨夜は、
(1) まずは、眠気を覚ますような、モーリス・ベジャール振付の「ボレロ」から。
https://www.youtube.com/watch?v=SsSALaDJuN4
15分強をひとりで踊り続ける集中力と、後半にかけてますます力強く美しく踊る姿がみごとです。終わって拍手と「ブラボー!」が2分以上続きます。

(2) 続いて、ベリーニのオペラ「ノルマ」から、有名な「清らかな女神よ(Casta Diva)」。

https://www.youtube.com/watch?v=yiGpm56Bi8s
https://www.youtube.com/watch?v=B-9IvuEkreI

これは何といってもマリア・カラスでしょうが、アンナ・ネトレプコもいいなと同じ曲を2回聴きました。


(3) やはりオペラの中の「Va, pensiero」も(ヴェルディの「ナブッコ」)。
今回は「フラッシュモブ」にしようと、コベント・ガーデンのロイヤル・オペラハウス前での即興演奏のYoutubeを開けました。

https://www.youtube.com/watch?v=P_Y-yJBa8FA
フラッシュモブは,街頭やレストランやデパートや空港などで突然、音楽に遭遇する人たちの嬉しそうな表情がいいですね。
どこかの図書館で突然演奏が始まるサイトもありました。勉強中・読書中の誰も文句を言わず、面白がっていて、終わって拍手する人もいました。


(4) 最後は、映画音楽から3つ。
・初めに『カサブランカ』から。
イングリッド・バーグマンが、カフェでピアノを弾くサムに「あの曲を弾いてよ(Play it, Sam)」と頼む場面。ここでサムは「私は最近声もさびついてね(I am a little rusty)」といったんは断る、初めて映画を観たとき、その際の「rusty」という言い方を面白いなと思った記憶があります。
https://www.youtube.com/watch?v=7vThuwa5RZU

・もう1つは同じカフェで、占領しているドイツ軍将校に対抗してフランス国家を皆で歌う場面です。
https://www.youtube.com/watch?v=KTsg9i6lvqU

・そして最後は「蛍の光」、原曲はスコットランド民謡のAuld Lang Syne。
『哀愁(ウォータールー・ブリッジ)』でヴィヴィアン・リーロバート・テイラーが食事中、最後にこの曲が演奏されて、他のお客と一緒に名残りを惜しみながら、ワルツを踊る場面です。これが、二人の「永遠の別れのとき」になります。

https://www.youtube.com/watch?v=6egm4SNGLbY
たくさんの美女を眺めたお陰で、旅の疲れもとれたような気分になって床につきました。

ということで、今回のブログは、まことに簡便な文章で申し訳ありません。