京都から須磨迎賓館での結婚式

1. 先週の週末の話です。京都に1泊し、翌日は神戸市須磨まで足を伸ばし、昔の教え子の結婚式に出席しました。
宇治市にある、京都の名前の付いた私立大学に13年在籍し、2011年に定年退職して東京に戻って以来、こういう機会は珍しく、須磨は行ったことがないので好奇心もあって、有難くお招きをお受けしました。
東京からの直行はきつかろうと、前日は勝手知ったる京都に泊まりました。


2. その日の夕食は、鴨川に近い北大路にある小さなビストロで従妹夫婦とフランス料理をともにしながら歓談し、二次会では昔のNPOの友人とバーに行き、翌朝は、堺町六角上がるにある「イノダ」本店で珈琲をのみ、毎朝365日同じ円卓に座っている「主(ぬし)」ともお喋りしました。

たまに行く京都は、観光にはまったく縁がなく、旧知の人たちとの再会が楽しい時間です。
「イノダ」では、黒い制服を来たフロアの責任者の女性から「お久しぶりですね」と挨拶されて感激し、「主」に伝えたら、「京都人は口先だけですさかい〜」と例によって京都人らしい含羞のおもむきで、答えが返ってきました。

フランス料理屋での会話は、天皇生前退位にからんで、新しい天皇の即位を京都でやったらどうか、上皇になられる今上天皇は京都を主たるお住まいにしてはどうか・・・・
といった京都庶民の願いが話題になりました。
現実性があるとは思えませんが、個人的には、面白い発想だと思います。
すべてが東京に集中しているなかで、「歴史と文化を発信する拠点が京都にある」という、この国の多元性をあらためて意識することには、意味があるのではないでしょうか。

従妹の話では、即位の礼は、今上天皇だけが東京で、それまではすべて京都だったとのこと。今でも京都御所の紫宸殿に「高御座」があって、今上天皇のときはわざわざ京都から持っていったとのことでした。


3. 須磨の話ですが、京都からJR三ノ宮や芦屋経由で1時間以上かかり、やはり遠いです。
観光協会の案内書には、
「須磨は古来風光明媚な土地柄として知られ、多くの文人墨客の憧憬の地であった。
明治中期以降、華族や多くの財界人たちが須磨に移り住み、西の別荘地“須磨”として全国にその名を馳せてきた・・・・」
とあります。


その1人に西尾某という富裕な貿易商がいて彼が1919(大正8)年に建てた洋館がいまも残り、兵庫県指定有形文化財の指定をうけつつ「神戸迎賓館」として一般に利用されています。
前庭にチャペルも作られて、ここでの結婚式のあと披露宴がありました。卒業後地元の農業団体に就職して立派に活躍している若者の姿を見るには嬉しいものです。

以下僭越ながら、拙い祝辞の一部を紹介させて頂きます。
(1) 新郎と私のご縁は、大学です。
今から20年前に開学した、宇治市にある比較的新しい私立大学。
開学して6年後に「現代社会学科」という新しい学科ができました。
彼はその2期生として入学して来ました。

(2) ここで、当時の「現代社会学科」について少しお話しすると
・少人数教育を大事にして、先生と学生との距離が近い。
現代社会のさまざまな課題を学びの対象として、とくに「社会起業家精神」をもった、営利と非営利・社会貢献とを結び付けようとする人材を育てたい。
・したがって、実社会との結び付きやゼミを大事にする。ゼミは2年生から始まり、4年生のときには「卒業論文」が必修でゼミの教員の指導のもとに、何らかの「作品」を作って大学生活を終えるという「思い出」を大事にする。

(3) 新郎は私のゼミ生の1人だったが、その特徴を言えば、
・地元の京都や滋賀の親元から通学してくる学生が多い中で、彼は兵庫県の山間部から一人で京都に下宿したという比較的珍しい存在。
・真面目な、しかもご両親のご家庭が偲ばれる、しつけのよくできた、いまどき珍しい若者
・出来たばかりの大学および学科に入学してくるのは、好奇心の強い・チャレンジ精神のある若者が多いが、彼もその1人だった。


(4)ということでゼミ・卒論指導での接触がもっとも濃くなるが、いまどきの学生は本を読まない、授業中ノートをとらない、文章を書くのが大の苦手というのが普通。
したがって、「卒論」を書けと言われても、テーマを何にするか、参考書として何を選ぶか、どのように文章化するか?で大いに苦労し、悩むことになり、面倒をみる教員の手間暇もたいへんである。

4年生の12月末が提出の締め切り期限だがなかなか進まず、研究室にたびたび訪れては、個人指導をうけることになる。
そんな中にあって、新郎は、早くから、テーマも決まり、参考文献も自分で選び、15人のゼミ生の中でいちばん早く提出してくれた。
そういう点で、憎々しいくらい、世話のやけない学生だった・・・・・


4. と喋ったあと、最後に新婦について補足して喋りました。

(1) 親御さんのお名前で招待状を頂くのは最近少なくなっているが、今回はそうだった。そして新婦側にはお母様のお名前が記されてあった。

(2) どういう事情か分からないが、独りで新婦を育ててこられたのかなと拝察し、お名前を拝見しながら、何となく胸が熱くなった。

(3) というのも私事ながら、私は幼い時に戦争で父を亡くし、母が育ててくれた。結婚のとき本当に喜んでくれたことを記憶している。

(4) 今回皇族の眞子さまが婚約したお相手もやはり早く父上を亡くした若者だと聞いている。「僕がお母さんを守る」と小さい時から語っていると新聞が伝えていた。

(5) 新郎は優しい人柄だから、言うまでもないと思うが、新しくできたお母様にそういう想いで接してほしい。
新婦の方は、新しくできたお父様とお母様に大いに甘えて接してほしい。
そして、親御さんともども皆様で素敵な家族をつくりあげていってほしい・・・・と心から祈念しつつ、私の拙い挨拶を終らせていただきます。