「社会起業家精神と私たちに出来ること」

1. 前回は、生前退位をして「上皇」になられたら京都に〜と希望している京都人が居るという話を書きました。
http://www.asahi.com/articles/ASK6D51N0K6DPLZB01K.html

そこでつまらぬジョークを思い出しました。
「世界にいま、永遠に退位しそうもない女王が2人いる。1人は英国のエリザベス2世!そして、もう1人は・・・・・・トランプの女王」。


2. ジョークはさておき、先週は2回、多少真面目なお喋りをする機会がありました。
月曜(3日)は10人、木曜(6日)は6人と、ごく少人数ですが、こういうゼミ形式で集まるのはとても好きです。他方で、一方的に何十人もの人に喋るのは昔大学の授業でよくやりましたが、苦手です。

ということで6日の話を記録しておきたいと思いますが、大学2年生が4人、PTA(おそらく40代半ば)の女性が2人、朝の7時半から新宿の某カフェで11時まで賑やかに話し合い、面白かったです。


3. 一時期に比べると少し話題にならなくなりましたが、私は今だに「社会起業家精神」の広告塔を任じていて、若者にそれを伝えたいと思って、お喋りをしました。

 社会起業家とはソーシャル・アントレプレナー(social entrepreneur)の邦訳ですが、
「貧困や差別や、さまざまな社会的課題にビジネスの手法を生かして事業として取り組み、社会をよりよい方向に変えていこうとする人たちのこと」。
“元気人”と呼んでもいいと思っています。


当日はまず30分ほど、レジュメに沿って話し、あとは若者たちが自らの想いを語り合いました。

(1) 京都の大学で新しい学科の設立を準備したときに2回、アメリカの大学や社会起業家を支援する団体(Ashoka)を訪問して、関心を持ったこと。

(2) 2006年にバングラデッシュのグラミン銀行の創設者ムハマド・ユヌスノーベル平和賞を受賞したこともあって,こういう存在や彼が主張する「ソーシャル。ビジネス」が注目されたこと。


(3) 京都で、仲間と「京都ソーシャル・アントレプレナー・ネットワーク(KSENケーセン)」を立ち上げたこと。

(4) 2010年に京都新聞が大きく取り上げてくれた、しかし大学を定年退職し、会も活動報告を作成して解散したこと。

(5) しかし、仲間たちと一緒に活動したことの意義は大きいし、仲間たちはいまそれぞれの生き方をしつつ活動で学んだことを心に持ち続けているだろうこと。


4. そんな話をした上で、さらに以下を続けました。
社会起業家精神にとって大事なのは?)
(1) カタリスト(catalyst)−自分が触媒になって科学変化を起こす存在
(2) レバレッジ(leverage)―自らを梃子(てこ)にしてリソースを拡げる
(3) そして何といってもやはり根っこにあるボランティア精神
の3つだと思う。


(そして、何か新しい活動をしていく上で大事なのは?)という問いかけで、
(1) 「学び」と「気づき」から始めてはどうか?「学び」は本を読んだり、いろんな人に会ったり、見知らぬ土地を旅したり、
➡そこから「気づき」が生まれると思う。


(例えば、私であれば、2000年前後に読んだ、グラミン銀行を取り上げた本、「世界を変える人たち」という社会起業家を紹介した本、ユヌスの自伝・・・・などから大きな「気づき」を貰ったと思う)

(2) そこから、「共感」と「協働」がもてるか?考えてみてはどうか?
 
(3) その上で「ネットワーク」がつくれるか?考えてみては?

ここで「ネットワーク」とは横につながる、フラットな人と人とのつながりで、つながるためには「居場所」も大事だ・・・・・

として、京都には古い町家を提供してくれる人達がいて、格好な居場所が見つかりやすい、新しいことに好奇心をもち「つながる」文化もある、(だから私は京都が大好き)という話しもしました。


(4) 最後に、そういう、いわば「弱い絆(例えば、友人の友人といった・・・)が実は、ひょっとして「強い絆」(家族とか、職場の上下関係、党議拘束で締め付ける政党や利害関係の結びつきなど)よりも意外に強いのではないか、として
弱い絆の強さ(The strength of weak ties)」という、あるアメリカの社会学者の論文の話をしました。


5. と、ここまでは老人の「イントロ」で、その後の学生やPTAの話の方がはるかに面白かったのですが、記録する紙数がなくなりました。


ただ、彼ら大学2年生4人+数人は、大学も学部も違う、まさに「弱い絆」の仲間で、しかし何か「変化」を求めて集まろうとしている、この日がまだ2回目の集まりだということでした。
私の経験も多少の参考になったのではないか、彼らが「カタリスト」になってぜひ「居場所」と「つながり」を継続していってほしいと願う者です。


おそらく、いまの大学や、友人や、広く言ってこの社会に必ずしも満足していない、何か動いてみたいと思っている、そういう若者たちだろうと思います。

大学で会う友達の多くが、日々の流れの中で、現状に満足していて、だけど必ずしも充実感を持っていない、勉強もしていない・・・・・どうもそんな風に感じていて、


しかし、そう思う彼ら少数派は「意識が高い系」と揶揄されて、敬遠される・・・・・
そういう若者たちが「横のネットワ―ク」を作ろうとしているようです。
及ばずながら応援したい、と思いつつ彼らと別れました