コメントのお礼―漢詩と新島襄と元気な若者たち

1. このブログは原則として週に1回アップすることにしていますので、3人の方からコメントを頂いたお礼が遅くなりました。

まず前回7月16日付ブログ「新島襄漢詩“寒梅”について」、黒幕子さん、我善坊さんのお2人、まことに有難うございます。何れも尤もな意見で勉強になりました。

(1) 黒幕子さんは、詩吟の指導者をしておられた由、それなら詳しいわけですね。
私が関わっている「詩歌朗詠懇談会」の会長さんも女性です。きれいな声で漢詩も和歌も吟じます。
また、京都生まれ・育ちの黒幕子さんですから、新島襄の「寒梅」には、思い入れも深いのではないでしょうか。


(2)我善坊さんのコメントのフォローですが、新島襄は21歳のとき、密出国して上海からボストン行きのアメリカ船に乗せてもらい、船長に「ジョー」と呼ばれて可愛がられました。

船長は、船主である実業家で篤志家ハーディ夫妻にジョーを紹介しました。1865年南北戦争直後のボストンです。
新島は到着後拙い英語で「日本脱出の理由」を必死に書いてハーディに提出、彼に感銘を与え、養子同然の待遇をうけ、当時としては最高のエリート教育を受けました。


まず、英語習得のため、フリップス・アカデミーという全寮制の男子私立高校に1年。ここは超名門校の1つで、ブッシュ大統領一族の卒業校として知られます。
そのあとアマースト大学を卒業後、アンドヴァー神学校(大学院)で進学を学びました。
アマースト大学はいまも全米でも1位ないし2位の評価を維持している「リベラル・アーツ・カレッジ」です。日本の外務省が若手を留学させるところでもあります。

新島は都合10年のアメリカ滞在のあと、キリスト教の伝道とその精神を基本とする教育を広める使命をもって帰国しました。
英語はもはや第2の母国語となっていたでしょう。
そんな彼が帰国して10年経った40代初めに、20年の空白を経て再び漢詩をつくりはじめ、それは死の直前まで続いた。
・・・・そういう、明治の知識人の「教養」の在り方に興味を惹かれます。いま、英語と漢語をともに、彼らのように駆使する知識人が日本に果たしているでしょうか?


2.  そんなことを考えていたら、前々回の7月9日付ブログ「社会起業家精神と私たちに出来ること」に、大根田さんという大学2年生からコメントがありました。
今時の大学生とは思えない、きちんとした日本語で嬉しく読みました。朝早く新宿のカフェに参加してくれた1人です。9日のブログはカフェで「意識の高い」若者たちに会って、
 
(1) 「弱い絆の強さ」(グラノヴェター)や「自由は多事争論にあり」(福沢諭吉)の言葉を紹介し、

(2) 志を同じくする「横のネットワーク」が大事であり、よりよい社会を目指す「チェンジ・メーカー」の役割に期待する、
という話しをしたことに触れました。

(3) 印象に残ったのは皆が話をよく聞き、きちんとノートを取り、しかも自分の意見を整理して述べる、その前向きな態度です。
しかも、私と会ったあとですぐに彼らだけで話し合って、「人と人とを繋ぐ」というコンセプトでビジネスコンテストに企画を応募したという、その行動力です。

(4) こういうことはとても嬉しいし、頑張って欲しいと思います。

・ちょうど新島襄が(鎖国の禁を犯して)アメリカに向けて単身旅立ったのと同じ年頃の若者です。


・朝のカフェで語ってくれたのは、同じ大学の学生との付き合いに疎外感を感じる、社会や大学に不満を感じて彼らに何か意見を言うと「意識が高い系」として敬遠されてしまう・・・画一的な・自分を主張しない、違ったことを言わない、そういう雰囲気の中でどこかに同じような学生が居るのではないかと数人が集まるようになった・・・・


・例えば、自由学園という全寮制のユニークな中高を卒業して大学に入った学生がいる、大学に入って3週間、野宿をしながら日本を歩いた。
・大学1年の時に、名門ラグビー部のマネージャーになったが、その「体育会至上主義」に違和感を感じてやめた学生もいる、上級生に反対もできない文化があると感じた。

・1ヶ月、一人で東南アジア(タイ、ラオスベトナム、カンボジャ)を旅した女子学生がいる→貧しいけどエネルギーを感じた。ポルポトの虐殺の歴史が衝撃的だった。日本は、むしろ「隠す文化」ではないかと感じた。

モーガン・スタンレイがスポンサーになっている「日米学生の交流プログラム」に
応募して、大学から1人だけ合格し、3週間、首都ワシントンで様々な若者に会い、語り合った。

(5) 彼らがそれぞれに、社会の閉塞感・画一観を何となく感じながら、その中で、人と違う・自分のやりたいことを見つけようと努力している、そんな前向きな生き方を感じました。

私が会ったのは彼等の2回目の集まりですが、多少は彼等の「疎外感」に自信と勇気を与える、きっかけにはなったかもしれない、などと己惚れています。
もちろん、日本社会は強固でもあり、保守的でもありますから、これから苦労もするでしょう。挫折もあるでしょう。

「だから、戦略が大事なんだ。仲間を巻き込むこと、“横に”つながること、そして、センス・オブ・ユーモアが大事だと思う。
また、自らが経済的・社会的に比較的恵まれている、そんな悩みを感じる余裕のない、アルバイトに必死に追われている学生も多い、そのことを忘れないように。
比較的恵まれている君たちは、そういう人たちのためにも頑張らなければいけないと思う・・・」

最後はそんな、えらそうなことを言って、ちょっと説教臭かったかな、と反省もしています。