信州の田舎暮らしと東京新聞が懐かしい

1, 7月中旬から茅野市の山奥に住む時間が長くなりました。
福岡・大分や秋田の豪雨はまことに悲惨・お気の毒ですが、長野県中部、いわゆる「中信」は有難いことに比較的災害の少ない地域です。
それでも7月下旬は雨も多く、特に夜によく降ります。
友人2組と一緒に小さな畑を借りて野菜を作っていますが、用水の水があふれたりして、翌朝は長靴を履いて様子を見に行きます。草取りもします。
長靴も着ている物も車の中も泥だらけになります。都会とはまるで違う日常です。


家人は、「栄養を取ってしまうから野菜の出来が悪くなる」と言って熱心に雑草を抜いています。
当方は、「食べられる野菜だけが大事で、あとは雑草だというのは、人間中心の理屈じゃないの」と余計なことを考えたりするので、作業もやや遅れます。

いま畑はジャガイモの花が咲いていて、のどかな野の風景です。林ではほととぎすが鳴いています。


2. しかし道楽でやる私たちの姿は、本気でやっている農家から見れば、いい気なものでしょう。

農業を本業としてやるのは本当に苦労が多い。今回の豪雨災害のように、時に人力ではどうにもならないことがあります。
一方では、AIだのIOTだのが喧伝されていて、他方では相変わらず自然が荒れ狂えば、どうしようもない人間の営みがある。そう考えると、謙虚に・いまを感謝しつつ暮らすしかないのでしょう。


7月2日、まだ信州に来る前に読んだ東京新聞に、群馬県の山村に常住する哲学者の内山節氏が「主張する国は災い招く」と題して、こんなことを書いていました。

――かって日本の人々は、いろいろなことを自然から学ぼうとした。
日本の伝統的な考え方では、社会とは人間の社会ではなく、自然と人間の社会のことだった。
そして人間よりも優れた生き方があることを自然の営みから学び、それが自然に対する敬意へと結ばれていった。
自然の生き物は個性的なのに、全体としての自然は無事を守る調停者のように存在している。この自然のあり方には、私たちが学ばなければいけないものがある ――


読みながら、悲惨な災害を思い、「自然は無事を守る調停者」という言葉について考えました。
災害は、ひょっとして、調停者である「自然」に対する敬意を失いつつある、私たち現代人が引き起こす「人災」ではないのか・・・・・


2. それだけに、農家にとっては収穫できたときの喜びは大きいだろうと思います。

いまJAが経営しているスーパーに行くと、そろそろ地元で採れた野菜が並んでいます。
作った人の名前と写真が貼ってあって、こういう人達が苦労して取り組んでいるんだなあと改めて思います。

長野県は地元出身の大相撲の御嶽海が大人気で、JAにも大きな広告に登場していました。
郵便局に行ったら、82円の切手にも彼が採用されていて、「これは地域限定で東京では買えませんよ」と局員が言っていました。

我が家もこのところ、食事はもっぱら野菜です。
JAで購入する他、作っている畑でも、まだ小さいじゃがいもや枝豆を少々収穫しました。お隣のキュウリやズッキーニも頂いて、さすがに作り立て・取り立ての野菜は何もましておいしいです。


3, 御嶽海といえば、地元の信濃毎日新聞は、今月の名古屋場所、8日の初日に稀勢の里を破ったときは一面トップ、カラー写真付きでした。ローカルを大事にする新聞です。

新聞といえば、
田舎に来て、友人に簡単に会えない(逆に当地で会える友人ももちろん居ますが)、「人生フルーツ」のような地味な映画を観る映画館がない、まともな本屋もないし、図書館はあるが、さすがに「Economist」は置いていない、といった問題・不便さはあります、


その中で、個人的にいちばん寂しいのは、東京新聞を読めないことです。
電子版はあるが、やはり紙の新聞を手に取って眺める気分は代えがたい。


東京新聞は主義主張が自分とは違うと敬遠する東京人も多いでしょう。しかし、
(1) スポーツ・芸能・文化を大きく取り上げるのが面白いし
(2) ローカル性を大事にして「私の東京物語」なんていう記事も楽しい。

(3) スポーツでは例えば7月9日、「高安関へ祖父母、フィリピンからエール」という記事を写真付きで大きく載せました。「海越え届け「ナンバーワンに」」、「孫は最高の宝」という見出しです。
――再会は2014年夏場所後。高安関が祖父母の住む小さな島を初めて訪れた。車が1台もなく,細い道が1本しかない島。そこに現れた巨体は「カラバオ(水牛)かと思った」(祖母)」――
これは共同通信発ですから他紙も取り上げたかもしれません。しかし、読売や産経はどうだったか。


(4) 新聞をどうやったら読んでもらえるか、市民(例えば大学生)に、他紙と読み比べて、考えてもらい、提案してもらう紙面も面白い。
6月25日付には「プチ鹿島」という、私は初めて知った若い芸能人が登場して、

・「新聞は古いメディアといわれるようになったけど、「おやじジャーナル」と名付けて、「おじさんは今日、何に興味を持ち何に怒っているのか」という見方で(六紙を比較して)読むと面白かった」と語り、

・「(各紙の)キャラの違いを理解するには、擬人化すると分かりやすい」として、

東京新聞は「問題意識が高い下町のおじさん」
じゃ、―日経は「現実主義のビジネス一筋おじさん」
―産経は「いつも小言を言ってる和服のおじさん」
―朝日は「高級な背広着たプライド高めのおじさん」
―毎日は「書生肌のおじさん」
―そして読売は、「ナベツネ」・・・・だそうです。

こういう紙面づくりに異論を持つ人もいるかもしれません。
少なくとも、日経や産経が芸能人を登場させて、こういう紙面を作ることはないのではないでしょうか。

やはり、東京新聞が手元に届かないのは寂しいです。