茅野の図書館で『小倉昌男、祈りと経営』(森健、小学館)を読む。

1,我善坊さん、仁太郎さん、コメント有難うございます。
「毎日」を購読の我善坊さんは、プチ鹿島の言う「書生肌のおじさん」にぴったりですね。
仁太郎さんは、「全寮制・相部屋」の学校で苦労されたようですね。英国のパブリック・スクールはいまだに原則「全寮制」です。日本で問題があるとすれば、何故なのか考えてみたいです。



2. 田舎ではもっぱら散歩と畑、そのあと市営の温泉で汗を流すぐらいの日々。
時々は街まで降りて、茅野市図書館に寄ります。先週はそこで借りた、
小倉昌男、祈りと経営、ヤマト「宅急便の父」が闘ったもの』(森健、小学館、2016)
を読みました。


本書は、題名通り、「宅急便の生みの親にして伝説の経営者。日本人の生活を変え、官と闘い、起業家らに影響を与え続けた偉大なカリスマ」(日経ビジネス)と評される故小倉昌男氏の、知られざる事実を丹念な取材で明らかにした労作です。
2015年小学館ノンフィクション大賞を受賞しました。


(1)「知られざる事実」と言っても小倉氏の功績を傷つけようとするものではありません。
「伝説の経営者」と同時に「障害者福祉に私財を捧げた篤志家」がなぜそうなったかを探ろうとしたもので、読んで心に残ります。小倉自身が生前決して語らなかった私事に踏み込んでいきます。


(2)その前に、小倉の評価について少し補足します。
7月9日のブログで朝の新宿のカフェで大学生に、「社会起業家精神」について語ったことに触れました。http://d.hatena.ne.jp/ksen/20170709/1499552860
社会起業家の定義も紹介しました――「貧困や差別や、さまざまな社会的課題にビジネスの手法を生かして事業として取り組み、社会をよりよい方向に変えていこうとする人たちのこと」。



小倉昌男はまさに、「社会起業家」の代表的な存在であると考えます。
2011年に書いた『小さな企業のソーシャルビジネス』でも紹介しており、以下に引用します。障害者が働くパン屋とカフェを経営する株式会社スワンについてです。

―――小倉は1993年に私財(ヤマト運輸の持ち株、当時の時価にして総額46億円)を投じてヤマト福祉財団を設立。
株式会社スワンはこの財団の支援を受けて小倉が始めたもので、障害者が生活できる水準で給与を払うビジネスを続けるという理念を掲げて、パンの製造やカフェの運営を行う。
 1998年6月、スワンベーカリー銀座店が1号店としてオープンし、(2011年現在)直営店3店、チェーン店は24以上。働いている障害者の数は全店で300名をこえ、知的、精神、身体に障害のある人を雇用し、その7割以上が知的傷害のある人たちである。


3. 小倉は、父から引き継いだ沈没寸前だった大和運輸を宅急便の成功で優良企業に育て上げ、会社は急成長。ところが、1987年62歳で社長を退き(父親は81歳まで社長だった)、69歳で財団をつくり、71歳でヤマト運輸の一切の職を退き、2005年81歳で死去するまで福祉の活動に専念した。


なぜか?
理由の1つに、財団設立の2年前の91年、妻を亡くした悲しみがあるだろう。
日経に連載した「私の履歴書」を本にした『経営はロマンだ』によると
「会長時代の4年間は楽しかったが、最後に悲しみに襲われた。玲子が心臓発作で急逝したのである」とある。
しかし、なぜ46億円も投じて「心身に障害のある人々の「自立」と「社会参加」を支援すること」が目的なのか?
小倉自身は同書の中で「身近に障害者がいたとか、特別の動機があったわけではない」と書く。
しかし、本当に「特別の動機」がなくて、人はこういう行動に出るものか?
彼も妻もクリスチャンだった。しかし、それだけが理由だろうか?


4. 著者はこういう素朴な疑問から出発してさまざまな関係者に会って取材を重ねます。もと小倉の部下や家族、妻の死後に彼の世話を親身になって世話した女性など。

(1) その結果明らかになったのは、「妻と長女が抱いていた悩みと苦しみ」とその結果の「荒れた娘をもつ家庭」であり、それに自分が何もしてやれなかったという強い悔いの気持です。
人一倍優しい気持の持ち主だっただけに、その悔いが大きな動機になったのだろうという理解に著者は達します。


(2) 著者は取材の最後に、いまはアメリカで幸せな家庭を築き、穏やかな日々を送っている長女の真理さんに会うことができた。そこで聞いたことは、

―――彼女は少女時代から荒れて両親を苦しませていた。しかし、その原因が「境界性パーソナリティ障害」という心の病だと分かったのは後年、医学の進歩のお陰だった。
「完治は難しいが、薬を飲み続けていれば安定する」と言われて、父の死後の06年には自分に合う薬が出来て、お陰でほぼすっかり治った。


(3) 真理さんは、母の急死の真相も語ります。母の死の影響で重いうつ病で入院した。度々見舞いに訪れた小倉は、「真理のせいではない。パパのせいなんだ」と頑なに言い続けたという。


(4) 本書の最後は、著者が2015年10月に真理さんに2度目に会う場面で終わります。
58歳になった彼女は、福祉の勉強を始めたと語る。
そして「父が(ヤマト福祉)財団を設立したときの思いを考えると、どこかでもし接点がもてたらいいなと思うんです。なにしろ一番父を苦しめたのは私ですから。だからこそ、私が財団を通じて恩返しできることがあれば、ぜひさせていただきたいと思います」。


(5) 長女真理さんがこのように、自らの暗い・辛い過去を包み隠さず、正直かつ率直に取材に応じて語るのは驚くべきことだと、読みながら感じます。

その理由としては著書が書いているように、たまたま「病から自由になった」時期だったという幸運もあったでしょう。「真理はかりに3年前に取材依頼があったとしたら、受けたかどうかわからないと話していた」と書きます。
タイミングが良かった、運が味方した、その点を著者自身素直に認めています。

しかしそれだけではないのではないか。取材する著者の人柄も大きいのではないか。


(6) 本書を読んで、 真理さんに限らず、取材する誰もが著者に心を開いて語っているという印象を受けます。
それは取材者と語る人との信頼関係が築かれたからではないか。誰にでもこんな風に語るとは限らないのではないか。だからこそ、これだけの情報を入手することができたのではないか。
森健という人を全く知りません。いま49歳のフリーのライターで早稲田の法学部卒。

しかし、彼が「1冊の本を書いた。賞を貰った」という職業作家という存在から離れて、真理ダウニイさんとこれからも交流を続けていって欲しいな、

そして出来れば、森さんの尽力によって、真理さんが、父親が後半生の生き甲斐だったスワンベーカリーの活動に加わることができるような機会が生まれたらいいな、

――縁もゆかりもない庶民の私が言うのも僭越ですが、そんな、これからの希望を感じさせるような、とても良い本でした。