妻籠に行った方から「正しい観光地ってどんなものでしょう」

1. 1週間に1度しか書かないのでお礼が遅れましたが、山口さんコメント有難うございます。
東京のお庭で野菜作りとはいいですね。
我が家から歩いて数分のところが、空き地になったと思ったら、そこに畑が出来て野菜やら花を作り始めたようで、びっくりしたり感心したりです。
このあたり空き地と言えば、すぐにアパートを建てたり、駐車場になってしまいます。
持ち主がやっているのでしょうが、その「余裕」を評価しております。


2.妻籠や馬籠に数年前に行かれたが、「お土産店と飲食店ばかりでうんざりです。正しい観光地ってどんなものでしょう」とも書いておられます。

とても面白い疑問で、私にもよく分かりませんが、そもそも「観光旅行」なんて昔はあまりなかったのではないか。

それがいまや、「観光」のため(だけ)に旅することが、大衆化し日常化した。
そういう状況で、「人の住む場所」や「神社仏閣」や「遺跡」や「自然」だった場所が、「観光地」になっていった。

最近は「ダーク・ツーリズム」と称して、悲劇の場所(アウシュヴィッツ跡など)を旅する人たちやその企画もある。これは「観光地」か?

妻籠」の住民は、「ここは日々の暮らしの場所。だから守っていくんだ」と思っているはず。これも「観光地」か?

調査や歴史保護・自然保護などの目的を持って訪れる人は別でしょう。
しかし、「観光で訪れる人」と「もともと居る人や自然」との調和をどう図っていくのか?難しい問題ですね。


3. それで思い出しましたが、いまそのことでいちばん悩んでいるのが京都人ではないかと思います。


数年前、京都に行ったとき、例によって珈琲店「イノダ」に座ったら、常連の1人に会いました。
彼から、祇園の町内会の役員をしているが、花見小路の観光客の激増にどう対処するか、頭が痛いという話しをいろいろと聞きました。
観光客は大事だと思う。しかし、そこに普通に住んでいる人たちが居ることも忘れないでほしい・・・・


4. もちろん、「保存」や「文化の継承」とともに最初から観光客に来てもらうことを意図して、人工的に作った場所は別です。

日本であれば明治村なんかがそうでしょう。
例えば、アメリカのヴァージニア州には「コロニアル・ウィリアムズバーク」という場所があって、独立前の植民地時代の風俗や建物などを復元した壮大なプロジェクトです。

昔、子供たちを連れて、ニューヨークから首都ワシントン訪問とのセットで訪問しました。アメリカ建国の歴史を知るには、格好の旅でした。


5.しかし、豊かで土地も広い・歴史も新しいアメリカだから可能になる訳で、日本だけでなく英国や欧州でもなかなか難しいのではないでしょうか。


従って、観光客は、妻籠や馬籠に行くように、変わらない英国の街や村のたたずまいを求めて、コッツウォルズを歩いたりする。
そこにはもちろん住民が普通に暮らしているが、同時に観光客目当てのお店も飲食店もたくさんある。
彼等住民も京都人のように悩んでいるのでしょうか。それとも、「人の住む村」と「観光地」との調和を工夫する知恵がうまく考えられているのでしょうか?


6.何れにせよ、「観光」が大衆化していくのはいいことだと思います。日本国内だって、旅することで「違い」を意識することはいくらもあるし、まして海外旅行はそうでしょう。

前回のブログで、花田清輝が『復興期の精神』の「楕円幻想」で、「楕円」の思想がいかに大切か、しかし日本ではいかに幻想に終わるかを嘆いているかを紹介しました。


こういう思想も、観光旅行で「違い」を感じることからも生まれるのではないか、という気がします。もっとも花田は、海外に行くことが容易ではなかった時代に生きて、旅ではなく、膨大な読書によって西欧ルネッサンスの文化と思想を学びました。

他方で、加藤周一は花田よりはるかに恵まれた環境に生まれ・育ち、大学を出て医学の勉強にフランスに行き、以後海外に長く暮らしました。

前回、加藤周一の、2004年に書かれた『高原好日』というエッセイ集の最後の1節――「楕円」の思想を象徴的に表現していると感じる――を引用しました。

「思うに憲法第九条はまもらなければならぬ。そして人生の愉しみは、可能なかぎり愉しまなければならない・・・・」。


 今回の総選挙についての報道を読んでいると、いまの日本社会では、加藤の2つの願いの、どちらもあまり評判が良くないような気がしますが、どうでしょうか?

しかし、ひょっとして、加藤の「2つの願い」を政策に掲げる政党が結集したら、かなりの支持者を獲得するのではないかという気もするのですが、これも花田が嘆いた「楕円幻想」でしょうか?


と考えていたら、たまたま昨日(土曜日)、図書館で日経の朝刊を拡げました。
当月の「私の履歴書」は湯川れい子さん。
連載の最終日でしたが、こう書いていました。
―――「私は憲法9条を守ろうと訴える「九条の会」(注:加藤も呼びかけ人の1人)
に入っているが、自衛力まで否定するつもりはない。
確かに九条は一種の理想宣言にすぎない。でも(略―いまこそ)九条の人類史的な意味を世界に誇示するべきではないだろうか」―――


 彼女は1936年生まれ、もう80歳を越えています。『高原好日』を書いた加藤周一は85歳でした。
「恰好いいおじいさん、おばあさんだな」と思って読んでくれる若者が増えるといいのですが。