やはりカズオ・イシグロのノーベル文学賞のこと

1. 岡村さん、祇園からのコメント有難うございます。当事者の悩み、お察しします。
「狭義の観光地」を、「料金を払っても、不特定多数に見てもらい・楽しんでもらう場所」と定義できるとすれば、祇園花見小路は該当しないでしょうから、何らかの入場制限のルールを設けても、納得を得られるのではないでしょうか。

お嘆きの通り、いまは「京都大原三千院、恋に疲れた女がひとり〜♪」なんていう雰囲気ではなくなっているのでしょうね。

こちらは連休にかけて、観光地とは縁遠い、人里離れた田舎家に来ています。
空気が乾燥しているせいか、秋晴れの日には八ヶ岳が夏よりすっきり見えます。山里は、稲刈りが始まり、初秋の風物である「藁立て」(脱穀したわら束を円錐状に立てたもの。稲立て、稲架とも)が並んでいます。


2.それにしても、「カズオ・イシグロノーベル賞」で号外が出たというニュースには驚きました。
彼の熱心な愛読者なのを知っている身内や友人から、お祝い(?)のメールを頂きました。中には、「次のブログでは、カズオ・イシグロについてたっぷり書いてくれると期待している」とありました。
光栄の至りで、お言葉通り、この話題を取り上げるつもりですが、
(1)イシグロについてはすでに何度も取り上げていますし、
(2)日本の報道がおそらく英国本国以上に過熱しているようですね。


熱心な愛読者になった理由は、1989年に彼が『日の名残り(The Remains of the Day)』でブッカー賞を取ったとき、たまたまロンドンに暮らしていたことも大きいです。
それと、彼の長編小説は7つと少ないので全て読めます。”“grace and subtlety(優雅と繊細)”と評されるように美しい文章で、英語の勉強にもなります。


3. 最近、イシグロについてブログで書いたのは、
(1)2013年5月に『日の名残り』を読みかえしたことを3回続けて書きました。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20130506
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20130519
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20130525
この年、読書会とサロンとで取り上げて、2回プレゼンをしたからでもあります。


(2)次は、2015年7月、http://d.hatena.ne.jp/ksen/20150726
10年ぶりの長編小説『忘れられた巨人(The Buried Giant)』について。

(3)そして最後は、2016年7月3日、英国のEU離脱国民投票の結果を嘆いて彼がフィナンシャル・タイムズに寄稿した「英国の名残り(The Remains of the UK)」を紹介したものです。彼は言います――私はいま、61歳の、日本で生まれ5歳のときからこの国に住んで、見ればすぐにわかる異邦人の少年なんて、学校でももっと広い社会でもずっと私一人だった何十年の歳月をこの国で暮らした英国人として語っている。――
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20160703 「英国のEU離脱問題とカズオ・イシグロ



4. 「あとらす」という雑誌に寄稿もしました。

「あとらす」は年2回発行の雑誌ですが、旧知の編集長から頼まれて手伝いをやっています。
最初に載せた原稿が、2014年7月発行の30号でここに書いたのが「カズオ・イシグロの『日の名残り』を読む」でした。


さらに、35号(2017年1月発行)に書いた「『英国』からと『英国』へ」の中で、上記「英国の名残り」を紹介しました。


3年前の30号に載せた拙文にはこんな文章があります。

―――将来ひょっとして彼(イシグロ)がノーベル文学賞を受賞するようなことがあったら、日本のメディアはどのように彼を紹介し、報道するでしょうか。
世界にはアメリカや英国を初め、二重国籍を認める国は少なくありませんが、日本は上記のようにこれを認めません。イシグロは、自らの意志で日本国民という立ち位置を捨てました。以来、『日の名残り』を発表するまでの7年間彼は、自分にとって英国国民になるとはどういうことかを考え続けたことでしょう。その省察を経て本作品が生まれたという理解を持って読み進める・・・・・―――


上の文章は、二重国籍について触れた箇所ですが、この時点ですでに、イシグロとノーベル賞とを結び付けて言及した・・・我ながら「書いておいてよかったな」と改めて感じました。


5. 最後に、名作『日の名残り』についてです。
(1) この小説の魅力は、美しい文章と同時に、様々な「読み」が可能だということにあると思います。
第1主題は、語り手スティーブンス(英国貴族の執事をしていた)と同じ屋敷の女中頭をしていたミス・ケントンとの実らなかった恋と、過去の自分への悔いの気持ちです。「悲哀とユーモアに満ちた恋物語(sad and humorous love story)」と評されます。
ティーブンスが、いまは退職した彼女に再会するために旅をする、その間に過去を回想し、考える。例えば ―――、
イギリスの田園風景(countryside)の美しさ=「そこには外国の風景が決してもちえない特質がある」。その特質とは「偉大さ」であり、「偉大さ」とは「表面的なドラマやアクションのなさ」「落ち着きであり、慎ましさ」「自らの美しさ・偉大さをよく知っていて、声高に叫ぶ必要を認めない」。
そこから、「偉大な執事とは何か?それは、「品格」(dignity)を備えていることだ」と考える。しかし、それは正しい生き方だったのだろうか?


(2) 第2主題は、スティーブンスが回想で「骨の髄まで紳士だった」と考える、ご主人ダーリントン卿の思考と行動、その輝ける実績とその後の挫折と失意の最晩年、という物語の流れです。


卿は、1920年代から30年代、第1次世界大戦の敗戦国ドイツへの過酷な講和条件(再軍備禁止、巨大な賠償金、領土の割譲)に批判的でした
そこからドイツへの同情、ナチスヒットラー・ドイツへの共感につながり、イギリスの対ナチス「宥和・妥協・譲歩政策」に手を貸すようになる
それが、戦後、「国賊」と批判されるようになる・・・・・

物語の、この部分は、当時のイーデンやハリファックスの両外相、チェンバレン首相、リッベントロップ駐英ドイツ大使等々、歴史上の人物が出てきます。

この主題の方が、個人的には恋物語以上に面白いのですが、あまりこの面白さに触れた書評を見掛けないようです。
詳しくはブログ(http://d.hatena.ne.jp/ksen/20130525) にも「あとらす」所収の文章にも書きました。


多分4度目になるでしょうが、もう一度読み返そうと思っているところです。
また新しい「発見」があるかもしれません。