「クオリティ・オブ・デス(Quality of Death)」について考える


1. arz2beeさん、「還暦を過ぎて再び少し小説を読むようになった。小説でしか知り得ない世界があると思う」というコメント、有難うございます。

この方は現役のお医者さんです。忙しい人助けの仕事の傍ら、小説を読む時間を見つけておられることを嬉しく感じました。
おまけに、頻度高くブログをアップしておられます。共感することが多いですが、ご専門の話、たとえば最近の「医師疎通の難しさ」と題するhttp://blog.goo.ne.jp/arz2bee/e/9c962ca04322f7a7655961b938ec3d5e

も面白かったです。


2. 私は生来の臆病者で病院にはなるべく行きたくない方で、医療の知識も知恵も全くありません。
ただ、たまたま最近、2周り以上年下の若い友人(女性です)に会う機会があり、もと商社マンの父上の死去のことを伺い、印象に残ったので、記録しておきたいと思います。


まず、葬儀の際に奥様が会葬者に渡された「会葬お礼」からです。

(1) 昨年10月に81歳で逝去、3年前78歳のときに肺がんのステージ3B とわかり、1年後の生存率50%と言われた。

(2) 本人は、肺がんが分っても、以前から計画していた40年前駐在していたパリへの3週間の旅行にも当然行くといって実現した。手術は成功したが、すでに転移しており、それでもゴルフもお酒も楽しんだ。ゴルフは、死去の3か月前、娘婿と組んで回ったサマーカップで4位に入賞した。


(3)「呼吸が苦しく、本人は非常に辛かったと思いますが、弱音を吐かず、前向きで9月末の緊急入院する前日まで、10月・11月の予定を立てておりました。
先生は退院は難しいかもしれないとおっしゃいましたが、10月11日に思いのほか元気に退院しました。
家に帰り、6日後に亡くなりましたが、その間、散髪に行ったり、大好きなゴルフをテレビで楽しみ、無くなる前日も半日見ておりました。
その晩、家族と食事をし、ワインのお代わりもし、孫たちの歌をにこやかに聞き、有難う、今日はとても良い晩だったと言い、10時過ぎに床につきました。
3時間後に、苦しみもなく天に召されました・・・・・」
病名が分かってから3年後でした。


3. 以下は友人から直接伺った話です。

(1) 当日は、父上は家に残ったが、残りの家族で教会に行き、その後予定にはなかったが妹の一家も一緒に父のもとに集まった。
孫も入れて10人強とにぎやか。彼女が「じーじのために歌を歌おう」と提案して皆で歌を歌った。選曲などのアレンジは全て長女に頼んだ(「娘が快くOKしてくれたので嬉しかった」)。
父上はとても喜んで、白ワインのお代わりまでした。(「いつもは1杯だけなので一瞬迷ったが・・・。あれが最後のワインだったと思うと、あげて本当によかったと思う」)。

(2) そして、上記の通り、一同解散して、その夜に亡くなった、
彼女からメールも来ましたが、当日についてこんなことも書いてくれました。
「上の階に帰る母方の祖母には「おばあちゃま、今度また麻雀をしましょう」と父が言い、それを聞いた麻雀好きな98歳の祖母はすかさず「今晩?」と訊き、父は「いや、今晩はちょっと」とその晩の麻雀は断ったのでした(笑)。
これが祖母との最後の会話になりました。


(3) メールには、「・・・・つくづく大往生。あっぱれでした!」とも。

そして、
「癌が容赦なく広がり、肺が弱り、咳が止まらず、苦しそうで辛そうにみえる時もありました。しかし、弱音や愚痴を聞いたことはありませんでした」
「最後の最後まで、以前と変わらない、あるいは今まで以上の笑顔を見せてくれた前向きで強い父が脳裏に浮かびます・
「病気が分ってから過ごした時間も、私たちにとって宝物の時間だったように思います」。

そして、
「根底には「じたばたするな」ということがあったかもしれません」とも。


4.そんな話しを聞きながら、「何て幸せな、見事な最後だったのだろう。自分にはとてもあり得ないし、出来ない」と痛感しました。


そして以下の感想を彼女に伝えました。
(1) 父上は生来、体力的にも、精神的にも「強い」人だったと思う。そういう「精神的な強さ」がどうして可能になるのか、私には分からないし、真似出来ないが。

(2) 生来の「強さ」だけでなく、意識的な「努力」も大きかったのではないか。自分の
辛さよりも、周りを心配させない・暗くさせないという「強い意志」が支えていたのではないか。

(3) 良き家族に恵まれ、80歳を越えるまで幸せに生きてきたという満足感も大きかっただろう。

(4) 最後に、これは自己努力ではどうしようもない面も大きいし、誰にでも公平に与えられていないので言いにくいことだが、やはりある程度の経済的豊かさが大事ではないか。もちろん「お金持ち」である必要はないが。


5.ということで今回の話は終るのですが、最近、もと職場の友人から「クオリティ・オブ・デス(Quality of Death、略してQOD)」という言葉があると聞いたことも思い出しました。


友人の話および関連情報によると、
(1) 「クオリティ・オブ・ライフ(QOL)」(“質の高い日々”とでも訳すか)という言葉は以前からあるが、日本でも最近「クオリティ・オブ・デス(QOD)」という言葉を聞くようになった。
海外ではだいぶ前から言われており、研究もされ、対策も充実してきている。

(2) 要は「いかに、穏やかに死ぬか」というテーマで終末期医療や緩和ケアの在り方などについての考えや取り組みである。


(3)QOD指数の国際比較もあり、2010年調査で、総合得点で一位だったのが、世界でもっとも早くホスピスを設立したイギリス。オーストラリア、ニュージーランドが上位。日本は23位だった。

もちろんこれは「緩和ケア」や「延命措置」や「尊厳死」など、医療倫理や医学の分野でもあります。

しかしそれだけではなく、友人は、「結局、QODとQOLとはつながる。良き人生を送ることが良き死につながると思う」と言っていました。
当たり前と言えば当たり前かもしれません。しかし上に紹介した若い友人の父上(発病したのはいまの私と同年齢です)の事例を伺うと、この言葉まことに納得しました。