1. このブログいつまで続くことだろう? 今年もよろしくお願い致します。
メサイアでキリスト教の雰囲気にひたってから2週間も経たない松の内、老夫婦は、こんどは湯島天満宮に行き、菅原道真公にお詣りし、上野公園を歩き、西郷さんにも挨拶してきました。
2. あとはもっぱら家で読書と、時に子供・孫を交えての飲食。
ということで今回は読んだ中から、恒例のタイム誌「2017年Person of the Year」の報告です。アメリカで昨年10月から始まり、世界に広がった「セクハラ」告発の動きに立ち上った61人を「沈黙を破った人たち(The Silence Breakers)」と呼んで選出したものです。
3. まず雑誌の冒頭で、「選出過程」についての編集長の説明です。
(1) 今度で91回目の選出作業は9月末の編集会議から始まった。
この時点で候補にあがったのは、トランプ(昨年に続いて)、習近平、金正恩など。
(2) ところが10月末に編集部に情報が入り、状況は一変した。セクハラ告発の動きで、
まだニュースが公になる前だった。しかしその時点で、この動きが世界的に拡がるだろうという直感を誰もが持った。
(3) 一人は会議でこう述べた。
――「今年は、世界は「草の根」からだって変えられるということを思い起こす重要な第一歩の年になるのではないか」
4. 次いで、61人の写真を掲げて「それは一人一人の勇気から始まった」と題する
「本論」です。
(1)2017年が始まった当初、誰もがこんな動きを予想もしなかった。
なぜなら、問題発言や疑惑の行動で物議をかもしたトランプが大統領になり、しかも対抗馬の夫は、過去に女性との不適切な行為を問われた元大統領である。
(2) しかし、過去のセクハラを告発するニュースは瞬く間に、「“Me Too(私も)の”ハッシュタグ(検索目印)」となり、「社会運動のうねり」となった。
ソーシャル・メディアが強力な武器になったし、新聞記者の勇気ある支援も大きかった。
(3)運動は始まったばかりであり、これからどうなるか、不透明な面もある。反動や揺り戻しもあるかもしれない。
未来は、真実を語ること自体が脅かされるという現実をどこまで変えられるか?にかかっている。
(4) タイム誌はいままで「偉大な人間が歴史を作る」という考えに沿って選んできた。
しかし、今年は違う。
・「公然の秘密(open secret)」に恐れず、白日のもとにさらした人たちの勇気に、
・「内緒の話」という囁きを、ソーシャル・ネットワークに変えた戦略に、
・そして、私たちすべてを、「受け入れ難いことは決して受け入れてはならない」という確信に導いてくれたがゆえに、
「Silence Breakers」が「2017年の、今年の人」である。
5. 続く「各論」はポイントを要約すると以下の通り。
(1) 彼らは、職業も人種も階層も地域もさまざまである。お金持ちも貧しい人もいる。
しかし、庶民から縁遠い存在だった女優アシュレイ・ジャッドがハリウッドの超大物プロデューサーを告発し、「私も」という意識を引き起こし、あらゆる違いを越えて「連帯」が世界的に拡がった。
(2)別の女優アリサ・ミラノは10月5日夜、寝る前に「もしあなたもセクハラを受けた経験があるのなら、このツイッターに「私も」と返事して」と書いた。翌朝起きてみたら、3万人以上の「Me Too」の返事があり、彼女は大泣きに泣いた。
(3)「Me Too」は10月だけで欧州、中東、アジアなど85か国170万件に広がった。
タイム誌も加わった世論調査によれば、85%の人がセクハラを訴える女性たちを信じると回答した。
(5) しかし、この問題の難しさは、「セクハラ」の定義が国によってあいまいであり、、
いまだに「遠回しな言い方」で婉曲に語ろうとする文化が存在し、しかも当事者だけの事例が多く立証が難しい、などの問題がある。(セクハラはもちろん男性にもある)。
(6) しかも、タイム誌がインタビューした殆ど全員が、報復・仕返し、職を奪われること、家族を含めての嫌がらせ,脅しや村八分に怯えている。
といった問題点を指摘した上で、
(7) 大企業を中心に、真剣に対策を考え始めたところも増えている。
しかし、この問題がどれだけ深刻かの理解は、まだまだ十分とは言えない。
革命は始まったばかりである。
と結んでいます
6. 最後に、日本ではどうなのか?
もちろん私には分かりません。しかし12月30日のNY Timesがかなり厳しい記事を載せていますので、この報告で終わりにします。
記事の題名は電子版で「彼女はレイプについて沈黙を破った」、紙媒体は「彼女は公に語った。しかしこの国は彼女を無視した」だそうです。
事件の詳細は省略して、記事が伝える「この国」の状況は以下の通りです。。
(1) ミス・イトウのケースは、よその国だったら大事件として報道されただろう。しかしこの国では多くの人の注目を浴びなかった。
首都ワシントンやハリウッドやシリコン・バレイを揺るがすような出来事が、日本ではあまり取り上げたくない話題なのだ。レイプを警察に届ける女性ははるかに少ないし、逮捕や起訴にいたる事例はさらに少ない。
しかも、日本では起訴されても無罪、有罪でも執行猶予付きのケースが多い。
(2) 日本の関連法は「同意があること」を条件にしない、デート相手からのレイプを想
定していない、性的暴力についての教育の機会も少ない。
内閣府の調査では、3分の2以上の女性が被害にあっても、家族や友人にさえも、何も言わないと答えている。警察に届けたのはわずか4%である。
対してアメリカの統計では、およそ3分の1が警察に報告されている。
(3)2016年政府統計だが、日本では警察は989件のレイプ事例を確認しており、これは10万人に1.5件の割合である。これに対してアメリカFBIによれば、114,730件、10万人につき45件である。いくら両国の社会状況が異なるとはいえ、この差は大きすぎると言えないだろうか。「日本では女性への偏見はいまだに根強いし、性犯罪の被害を真剣に考える人が多くないのです」と早稲田大学のジェンダー法の専門家は語る。
(4)ミス・イトウのケースでは、タクシー運転手の証言や(加害者の泊まる)ホテルのビデオ映像があるにも拘らず、検察は取りあげなかった。
(5)2017年、日本の国会は110年経ってようやく性犯罪の厳格化を法律に織り込んだ。しかし、「同意条項」は依然として規定なく、裁判官は相変わらず執行猶予を優先している。しかも、大学はいまだに性犯罪に関する・指導を学生に行っていない。
と書いて、NY Timesは最後に、
「私は引き続き、自分を強く持って、こういうことが許されないということを言い続けていくしかないのです」というミス・イトウの発言を紹介しています。