サーロー節子さんの「記憶」とエコノミスト誌の「Kポップ対歴史」報道


1. 東京に大雪が降った22日も、目白が寒さをものともせずに、枝にさした蜜柑を食
べに飛んできました。この雪では他に食べ物を見つけるのはたいへんだったでしょう。


前回のICAN事務局長とサーロー節子さんの平和賞受賞スピーチについては、フェイスブックからコメントを頂きました。
(1) 広島・長崎に、もっと中学生・高校生が修学旅行に行ったらよいと思う。
(2)「正しい歴史教育が大事ではないか」などの意見です。

また、ICANベアトリス・フィンさんの記者クラブでの会見のサイトを載せたところ、見て下さった方がいて、感激しました。
「サーロー節子さんの経験が今しか聞けない世界人類の貴重な話であると思いながら読みました。 ICANは決して政治的イデオロギーではなく、人間の素直なあるべき真実をベースとした活動であることがよく分りました」とも書いて頂きました。


前回のブログで、スピーチの一部を引用しました。原爆投下当日の悲惨な状況について述べた箇所で、ワードで書き写しながら、私も辛い気持になりました。

2.このスピーチの全文を筆写した84歳の女性がいて、1月8日の東京新聞の「発言」欄に投稿しておられます。

―――「・・・・私はこの全文を筆写することを思い立ち、夕食の片付けを終えた後、幾晩かかけて書きました。英文は高校以来六十数年ぶり。翻訳文の筆写にも挑戦し、ノート三十ページを超える勉強をしました。
こうして自分なりに深めた学習で、この演説は世界の歴史に刻まれ、世界を前進に導くものという確信を持ちました。
(中略)

七十年以上に及ぶ被爆者の闘いは苦しみの連続だったことを数少ない被爆者の知人から聞いてきました。「原爆は許せない」と人前で言えば「被爆を売り物にしている」となじられ口をつぐんで耐えた人。銭湯に行けば広島でさえも「ケロイドを気持ち悪がる人がいるから来ないで」と言われた人。聞くだに辛い話でした。

(略)若い方々が、平和を希求する精神を養うため、サーローさんの演説を学習してほしいです」―――


「夕食の片付けを終えた後」のお年寄りといえば、私を含めて普通なら、くつろいだ気分になって、テレビの前に座って、芸能人が軽くペラペラ喋ったり「すごーい!」を連発している場面を見ている人が多いのではないでしょうか。この方は変わった日本人なのだろうなと思いながら、投稿文を読みました。


2. サーロー節子さんは、スピーチの中で「核は正義の戦争のためなら許される」という論理を弾劾します。
――「・・・・広島と長崎(への原爆投下)を残虐行為(atrocities)、戦争犯罪(war crimes)と見なすことをなお拒絶する人たちもいたのです。
「正義の戦争」を終らせた「良い爆弾」だったとするプロパガンダを受け入れたわけです。こうした作り話(myth)が破滅的な核軍拡競争をもたらしました。今日に至るまで競争は続いています・・・・・」


この部分を再読しながら、フェイスブックの「正しい歴史教育が必要」というコメントを思い出しました。ご指摘にはまったく異存なく、その通りだと思います。
しかし同時に、「正しい歴史」とは何なのか?「事実や記憶を“正しく”残し、伝えていくことは可能なのか?」「所詮は勝者や権力者や多数派の記憶しか残されないのではないか?」「意図的に「歴史・記憶」を消し去ろうとする人たちもいるのではないか?」・・・・・などと考えました。


3. 何が正しい歴史か?という問題にからんで、英国エコノミスト誌1月20日号が「日
本と韓国、Kポップと歴史」という「ソウ・東京発」の記事を載せています。


因みに、同誌は今年に入って3週続けて日本のことを取り上げています。
・1月6日号は、「あくびが出そうなくらい退屈」と題して、日本のテレビ番組がいかにつまらないか、それなのにNHKの受信料支払いの強制を最高裁が合憲としたという判決を伝え,


・1月13日号は、「日本の人口構成」と題して、老人ばかりになっていく事態に取り組む富山県のある地方都市の事例と、若者を呼びこむことで成功を収めている岡山県奈義町の事例を紹介。


4. そして3週目が1月20号の記事ですが、要約すると以下の通りです。

(1) 日韓両国の政府関係は悪化している。
慰安婦問題に象徴されるように植民地時代の歴史をどう解釈するかの違いが大きな原因である。
どちらの言い分にも何がしかの真実はある。しかし実は、違いは「些細」なのではないか。そして両国の関係悪化にいちばん不満を抱いているのはアメリカである。


(2)ところが対照的に、両国の若者は相手国の文化、とくにポップカルチャーに熱中している。Kポップのバンドの日本での人気は驚異的。
韓国では、日本の漫画・映画・テレビドラマなどの人気が高い。東野圭吾推理小説は昨年のベストセラー10位のうち3冊も入り、映画化もされた。


世代間の違いもあり、世論調査によれば両国とも若い世代ほど相手国への親近感が高くなる。若者にとって、歴史認識の違いは大きな問題にならない。「日本の友人と話すときに、どこの土地がどこの国のものかなんて、議論もしないし興味もないよ」と語る若者もいる。

(3) 昨年12月には両国の大学生がソウルに集まって、「慰安婦問題についての意見
の違い」をテーマに話し合う企画も実施された。
このように、両国の若者を中心に文化的・個人的な結びつきは強まっている。

こうした動きから将来の良好な日韓関係を期待できるのではないかと指摘する韓国の学者もいる。―――


というような内容です。
「青年即未来」とすれば、両国の若者が親しく交流し、連携していく未来は、まことに素晴らしい。
しかし同時にまた、そのことが歴史や記憶を忘却の中に閉じ込めてしまうことになるとしたら、「忘れることは良いことか?」という新たな問題を私たちに投げかけることになるのではないか。将来の若者は両国の植民地の歴史まで忘れていくのでしょうか?


カズオ・イシグロの最新作『忘れられた巨人(The Buried Giant)』(2015年)はまさにこのテーマを扱った小説だと思います。