ロンドンのお上りさんが「レディ・ジェーン・グレイの処刑」を見る

1. 山口さん有難うございます。
少し説明不足でしたが、先生対生徒の比率は全校平均の数字で、例えば校長など管理職や体育・音楽など専門の教員も含まれます。従って、1クラスの生徒数は15名前後の筈でこれは(詳しくは知りませんが)公立もさほど変わらないと思います。何れにせよ日本より少ないでしょうね。

2. 今回もまだ英国滞在の話です。
家人は1ヶ月の滞在中、もっぱら家事と子守りに追われて外に出たのは1度だけ。私は10日間で、3度ロンドンまで出ました。
娘一家の住まいは、緑に囲まれ、静かな田舎暮らし(カントリー・ライフ)を楽しむには快適ですが、何せ田舎で車がないと陸に上がった河童状態です。
ロンドン市内に行くには、ウォーキング(Woking)という鉄道の駅まで車で15分、そこから電車で終着駅のウォータールー駅まで25分かかります。そこからさらに地下鉄で移動することになります。


ウォーキングまではタクシー(“ミニキャブ”)を呼んでもらいます。片道10ポンド(1500円)、帰りは駅に並んでいるのですぐに拾えます。値段が張るのでそうそう頻繁に出かけるわけにはいきませし、一度出たらいろいろ時間を有効に使う必要があります。


3. ということで、ロンドンに行くのに往復6回、タクシーを使いましたが、運転手はいつもパキスタン人、うち4回は同じ人でした。
15分も乗っているので結構話もしました。
「フロントに座ってもいいかい?」と訊くともちろん「OK」と答えて、助手席に座りました。以下は彼とのお喋りからです。


(1) 「運転手がいつもパキスタン人だが?」と訊くと、「ウォーキングは第2のパキスタンと言われるぐらいにパキスタン人が多い。英国でいちばん古いモスクがこの街にあることも理由だろう。イスラムは酒を飲まないので運転手の仕事は向いている」という返事でした。

(2)そこから宗教の話になって、週に1回金曜日には必ずモスクに行く。家でも週に4回礼拝をするそうです。
「あなたの宗教は何か?」と訊かれたので、
「仏教」と答えると、「どのくらいの頻度で仏教の“チャーチ(教会)”に行くのか?」と追い打ちをかけられて、答えるのに困り、この話題は早々に切り上げました。

(3) パキスタンは英国と同じく二重国籍OKですから彼ももちろんパスポートを2つ持っています。つい最近も母国に帰ったばかりとのこと。
日本は二重国籍ダメと教えたら、「そんな国があるのか」と驚いていました。
英国に永住するつもりで、子供の頃に親に連れられて移住し、46年住み、6人の子供を育てた、末の息子は大学在学中で、2人大学、2人短大を卒業させたそうです。
えらい父親だと感心してその旨伝えたら喜んでいました。
同じ島国でも、日本とは違って様々な人達が暮らしていて、それなりに子供たちに未来を与えることが可能な社会なのかなと考えました。


4. ミニキャブを降りて電車と地下鉄を乗り継いで、ロンドン市内を歩きました。
30年前には3年ほど市内に暮らし、その後もたびたび訪れ、今回は2年半ぶりですが基本的な姿はほとんど変わらないように感じます。


但し、電車のサービスは30年前よりははるかに良くなりました。キャンセルも遅延もほとんどありません。
変わらないのは、相変わらずきれいではなく実用本位のデザイン、自転車が自由に乗せられること、通勤時間帯でも座れること、ドアは自動ではなく乗客がボタンを押して降りること・・・。
車内でスマホをいじる人は2年半前より随分増えたと思いますが、日本ほど多くはない。本を読んでいる人もけっこういる。新聞を拡げる人は大幅に減った。情報収集の手段が新聞からスマホに変わったという印象です。

終着駅ウォータールーで降りて、トイレに行こうとしたら有料(30ペンス約50円)でした。2年前も有料だったか記憶がはっきりしません。

 

5.(1)街に出て、もう何十回も訪れている、ピカデリー・サーカスやトラファルガー・スクェアやリージェント・ストリートを歩きました。


ロンドンに行くと必ず訪れるナショナル・ポートレート・ギャラリー(国立肖像画美術館)で、ネルソンと彼の愛人だったレディ・エマ・ハミルトンが並べて飾ってある肖像画を性懲りもなくまた見てきました。

今年の1月の素人雑誌「あとらす」に「美女ありき」と題して彼女の生涯を文章にしましました。その際は、「もう見に行く機会はないだろう」と書きましたが、また実物を見られるとは思いがけない悦びでした。
 

(2)ナショナル・ギャラリーで、「レディ・ジェーン・グレイの処刑」の大きな絵もまた見てきました。


昨年10〜12月、上野の森美術館で開かれた「怖い絵」特別展で展示され、「ロンドン・ナショナル・ギャラリーの至宝が初来日」と騒がれた絵です。
レディ・グレイ(1537〜54)は英国史上、最大の悲劇の女性の1人です。
時は薔薇戦争が終息した後のチューダー王朝。ヘンリー7世の曽孫で、ノーサンバランドという公爵の政治的野心のため、その4男ギルフォードと結婚させられ、エドワード6世の死後、義父と夫によって無理に女王につかされた。僅か9日間でメアリー1世に王位を奪われ、義父や夫につづいてロンドン塔で斬首された。たった16歳でした。
この絵はその処刑の模様を描いたものです。


美しく、気高く、プラトンの『パイドン』をギリシャ語で愛読した知性あふれる女性だったと言われます。。


(3)彼女については、夏目漱石が「倫敦塔」で紹介しています。
ロンドン塔は言うまでもなく、多くの王族や政治犯が処刑前に入れられた牢屋です。
エドワード4世の幼い王子5世とその弟が幽閉されて殺されたところでもあります
エドワード4世の弟リチャード3世の指示で殺されと言われるが確証はない)。

これら幽閉された人たちの多くは部屋の片隅に、自分の名前や短い言葉を彫って残し、いまも残っています。
漱石は「倫敦塔」でこう書きます


――銃眼のある角を出ると、めちゃくちゃに書き綴られた、模様だか文字だか分らない中に、正しき画で、小さく「ジェーン」と書いてある。
余は覚えずその前に立ち止まった。英国の歴史を読んだものでジェーン・グレーの名を知らぬ者はあるまい。
またその薄命と無惨の最後に同情の涙をそそがぬ者はあるまい。
(略)余はジェーンの名の前に立ち止まったきり動かない。動かないというよりむしろ動けない。空想の幕はすでにあいている ――
漱石はこのあと、「〜処刑」の絵に描かれた情景を自分が空想する(思い出す)様を2頁にわたって書き記します。
よほど印象に残ったのでしょう。
思えば、何とも「薄幸な美女ありき」でした。