本と本屋と日本人のユーモアと

1. 先週はネット上に桜の写真があふれたでしょうね。私も性懲りもなく素人写真を載せます(東大駒場キャンパスの並木と我が家の老木)。
我善坊さん、山口さんコメント有難うございます。山口さんのは「コンナコトカイテイイノカ」とありますが、このブログあまり読まれず、炎上の心配もありませんからこれからもご遠慮なくお願いします。

お二人の、池上さんのTV番組(私は観てませんが)面白く拝読しました。
ただ、「本を読むのは情報と知識を得るため」だけではないだろう、とは思います。
例えば、400年も昔、モンテーニュは、
「私が本を読むのは、知識や情報を得るためではなく、よく死に、よく生きることを私に教えてくれる学問を求めてである」と言っています。


2. 他方で、フェイスブックからは
(1)「いまの時代はあまりに知が軽視されすぎているのではないか」という懸念、
(2)「ご紹介のロンドンの本屋2軒は私も大好き、何時間過ごしても実に居心地よい」
というコメントを頂きました。
(1) で言う「知」は、モンテーニュの求めるものにかなり近いのではないでしょうか。そして
(2) では、あらためて、本は、本屋や図書館や本箱・書棚と一体になってこそ価値がある存在だと感じました。TVやネットにこの感覚があるでしょうか。
居心地の良い本屋で、並べてある書物を飽かず眺める時間は、何と楽しいことでしょう。時に書棚から、本が私に語り掛けてくるような気分になることがあります。


3. もう1つ、本を読むことで、私たちは言葉への感性を養うのでしょう。
TVやネットばかり触れていると、日本語に対する感覚が鈍化していくような気がします。テレビの日本語は、概して美しくも何ともない、レトリックも感じない(コンナコトカイテイイノカナ)。
前回のブログでは、ロンドンで求めた『外国人嫌いのガイドブック』という本を紹介して「イギリス人にとって、勉強はoptionalだが、ユーモアのセンスはcompulsory(必須)だ」というレトリックを紹介しました。
もちろんガイドブックは知識や情報を得るのに役に立ちますが、それだけではなく、こういう「レトリック」に、本を読む魅力を見いだします。

ということで、今回は『ガイドブック(日本篇)』が「日本人のユーモア」について何を書いているか、ご紹介したいと思います。



4. (1) 日本人はユーモアのセンスに欠ける、とはよく言われる。

(2)しかし日本人のもっとも楽しく、芸術的なユーモアは、落語にある。
日本人が落語に笑うのは、落語家のしぐさや言葉が真に迫っておかしいことと同時に、物語が人間の弱さを基調テーマにしているからである。

呑み込みが遅く、騙されやすい、或いは善いことをしようと思うのだがしくじってしまう主人公の姿に笑いを誘われるので、そこには人間一般に対する、compassion(哀れみ)とempathy(共感)とがあふれている。


(3) 日本人は、自らをこけにすることで気持ちよく笑える人種でもある。だから不思議なことにテレビ番組で、素人が登場して自虐的なことを平気で言って、自分で笑ったりする。
(TVを見る方ではないので、このあたりの指摘は私にはよく分かりません。
山口さんが紹介する、「アイルランド人のバーナード・ショウの、「人の話はすべて自慢話である」というirony(皮肉)は面白いですが、日本人は「自虐」が「自慢」になるのでしょうか。)

(4) もう1つ、日本人が好きなのは、「言葉遊び」である。
例えば、一時「なりたこん」という言葉が流行ったが、これは成田空港から新婚旅行に出かけるカップルが、海外であまり存在感を示せない新郎に失望して、帰国してすぐに離婚してしまう、この2つの言葉の「遊び」でもある。


(5) しかし、日本人は概して、ユーモアはプロに任せることを好む。自らが主体的にユーモアを楽しんだり、ジョークを言ったりすることは少ない。
たまに言う時は、「これはジョークだけど・・・」という前置きで始めることが多い。隣人との摩擦を避けるリスク回避の姿勢だろう。
だから、彼らの日常会話で、irony(皮肉)やleg-pulling(ちょっかい)やpractical joke(からかい)を聞くことは極めて少ない。ましてsarcasm(若干悪意のある皮肉)はそれだけで彼らには屈辱なのだ。


(6) しかし、彼らを、この上なくリラックスして、心の置けない人たちだけとの、無礼講の場に置いてみることだ、
誰にも気を使う必要のない、そんな場所では、彼ら日本人は本当に面白くなる。

日本人のユーモアは、「人前には見せない、押し入れにしまい込まれたユーモア(closet humour)」なのだ。



5. もちろん、『外国人嫌いのガイブック』は、「イギリス篇」も「日本篇」も英語で書かれ、英国で出版されています。イギリス人の好きな皮肉やユーモアがたっぷり盛り込まれています。
それと国民性を語るとき、どうしても「ステレオタイプ」な理解や認識がもとにならにならざるを得ません。
ひと昔前の日本人なら「カメラをぶら下げて、集団で行動して、個人の判断より上司を忖度する」というのがよく語られるイメージでした(あれ、今もそうかな?)
「テームス河を歩いていたら若い美しい女性が川に落ちて溺れそうになっている、
イギリス人なら〜イタリア人なら〜どうするか?
日本人なら・・・・スマホで、どうしたらよいか本社の指示を仰ぐ」
そんなジョークが一時、好まれました。
「イギリス人は、得てして、自分たちがいかに謙虚な国民であるかを得々と自慢する」なんていうイギリス人を揶揄った言葉もあります。

こういう「ステレオタイプ」の見方にいちいち向きになって憤慨しても仕方ありません。

それより、私は、例えば、「日本人のユーモアは“クローゼット・ユーモア”だ」という、そのレトリックを面白いなと思いながら読みました。