夏はそろそろ終わるが、災害は終わらない。

1. 蓼科高原は9月に入って、すっかり秋らしくなり、稲も実り、そばの花も満開です。今年は猛暑のせいか稲の実りも早いようで例年なら10月初めの刈り入れが刈り入れが終わるのではないかと言われています。


そろそろ東京に帰る準備をしないといけないなと家人と話しながら、残り少ない日々をもう少し楽しみたいと思っていました。
汗をかかずに散歩できるのも有難いし、豊富な緑の木立を眺めるのも気持ちよいです。


我が家の近くには草っぱらがあって、そこに面白い木が一本あります。
枝が横に伸びていて、腰を下ろすと足は地面につかないのですが、幹にもたれて座ると安定した姿勢になるので、ここで暫くぼんやりしたり持ってきた本を拡げたりします。
ただの草原ですから、人は誰も来ません。木立のなかはいつまでも静かです。ときどき、リスが走ってきたりします。



2. そんな、田舎の自然とともに過ごすひとりぽっちの穏やかな時間をけっこう楽しんでいましたが、9月4日の午後からは、当地も台風21号の影響を受けました。
この日はもちろん台風情報をテレビでチェックして、外出も避けて家で過ごしました。

もちろん近畿地方などの風雨の強さや被害の大きさに比べれば物の数でもありませんが、それでも長野県全域に「暴風警報」が出、相当な雨と風でした。地域一帯をパトカーがまわってくれて、「倒木や強風に注意するように」というアナウンスを繰り返していました。


我が家の庭も落葉松の木が20〜30本はあるのですが、10メートル以上の高さの木が強風にゆさゆさ揺れる光景はけっこう気になるものです。
落葉松・赤松・白樺は根があまり強くないというので、これが1本でも家の屋根に向かって倒れたらどうしようかと気になります。
昔はそんな心配は住民の誰もしなかったのですが、最近の気象は昔とは違ってきて、雨も風も短い時間に集中して強く襲ってくるようになりました。


4日の夕方からはさらに強まり、何度か外に出て様子を見ていたのですが、落葉松の小枝が道路に散乱する、これでは車も走れないなと思っていたら、すぐ近くの家の庭木が1本倒れました。
幸いに、道路を隔てた向かいは家が建っておらず空き地で、その方に倒れたのでよかったのですが、その空き地の木々の中に倒れました。
こんなことがあるのだなあと若干怖ろしくなって,後日の証拠に写真を撮りました。
停電になるかもしれないと家人と話して、彼女は早めの夕食準備、私はPCに向かって連絡や返事を要するメールを何本か取り組みました。


午後5時半ぐらいしょうか、突然、停電になりました。
まだ暗くはなっていなかったので、幸いの準備のできた夕食を済ませました。
幸いに水は出る、ガスはプロパンなのでこれも問題ない。「オール電化のお宅はさぞたいへんだろう」と二人で話しました。
山奥の田舎家ですから、夏の終わりには夕方から夜にかけて雷雨なども珍しくはありませんし、たまには停電もあります。しかしいままでは1〜2時間もすればまた明かりがつくというごく短時間の停電が普通でした。
しかし、この日は初めて経験ですが、いつまで経っても明かりはつきません。テレビもPCももちろん見られませんから情報も入ってきません。スマホも持っていないのでガラ系の携帯電話で連絡をとるだけです。それも電源の補充ができませんから無暗に使うわけにもいきません。
ろうそくと懐中電灯の明かりだけで過ごし、本も読めず、CDも聴けず、何もすることがないので、早くに寝るしかありません。
冷蔵庫も機能しませんが、幸いに9月初めの山奥はさほど暑くなく、そうかと言ってさほど寒くもないので暖房をつける必要もなく、その点は助かりました。


3. 翌日朝起きてみても、電気は来ていません。
庭や道路には落葉松の枝が散乱しています。
その整理や掃除を老夫婦二人で少しは手掛けました。
何とか車を出して8時から職員が来ている管理事務所まで様子を聞きに行ってくれた隣人がいて、職員の話を伝えてくれました。
「かなり広域の停電のようです。夜の間は原因究明ができないので、朝早くから中部電力が復旧に努力しているそうですが、いつになったら電気が戻るかいまのところ分かりません。地域にもよるでしょうが、少なくとも今日一杯はかかるのではないでしょうか。
いまのところ下水道は大丈夫です。ただし水を上げるのに電気を使っていて、いまのところ貯めてある電気を使っているのですが、停電が長引くと心配がないではありません・・・・」


という話を聞いて、「これはとりあえず、ここをいったん引き上げよう」と家人と相談して、急遽、家の中を整理して、滞在中のたくさんの荷物(着替えだの洗濯物だの、食料品だの、私の場合は大量の書物や書類、PC・・・・等々)をぼろ車に載せて、山を下りました。
幸いに倒木など大きな被害や市や管理事務所の人たちが整理されて道も何とか通れるようになっていました。
里山まで降りれば問題なく、中央高速もまことに順調で、5日(水)の午後には東京の自宅に帰ることができました。

スマホで情報を確認した友人が教えてくれたところでは、電気の復旧は早くてもこの日の夜11時ごろにはなる、地域によってはもっと遅れる、という状況でした。


4. まあ、我が家の場合、東京に住む家があるので何とか逃げ出しましたが、現地の方はそうは行きません。
隣の原村も被害を受けたようで、6日の信濃毎日新聞に、普段から親しくしている、ペンション経営のご夫婦の談話が出ていたので驚きました。6日中には何とか直ったようですがこの間、3日間です。

もちろんこの日には北海道では大地震の被害です。
被災地の方々の悲惨と苦労はこんなものではなありません。想像を絶します。本当にお気の毒に思います。


我々現代人の生活がいかに、災害と隣合わせにあるか、いかに電気に頼っているか・・・
これはほんの少しでも経験してみないと分からないものだ、と改めて痛感しました。