友人と渋温泉や松代を旅する。

1. 前回は停電になって急遽、東京に帰ってきたことを書きました。
先輩から「どうも東京が一番恵まれているみたいです」というメールを頂きました。ご指摘の通り、このところの災害で、東京はかなりセーフですね。

当初は帰京した5日から,友人2人と旅行に行く予定だったのですが、有難いことに状況を知って1日伸ばしてくれて、6日出発、2泊3日の旅をしました。


2. 泊まりは、
(1)志賀高原に近い渋温泉の「金具屋」という古い温泉旅館、
(2)真田10万石の城下町松代の「国民宿舎松代荘」、の2か所です。
後者も「かけ流し」の良い温泉があって、鉄分を含んでいるためか、宿の宣伝によれば「黄金色の湯」だそうです。国民宿舎ですから宿代も手ごろです。


「歴史の宿・金具屋」は、「温泉博士」と我々が呼んでいる別の友人から教えてもらったものです。
宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」のモデルになったそうで、昭和11年に完成した木造4階建ての建物が中心で、国の登録有形文化財に指定されている。

宿は約250年前に創業、珍しい名前は前職が鍛冶職だったこともあって当時の松代藩主の命名で、藩の脇本陣となった。
その後、「それまでの湯治宿から観光旅行へ対応するため、昭和初期に当館の六代目が、宮大工とともに全国観光地を行脚し、名建築を参考にして完成させたもの」
と宿の案内書にあります。

「六代目が気にいった日本各地の建築様式や材料を好きなように採り入れました。
常識では行わないような「遊び心」が散見する、他では類を見ない特殊な細工の建築物になったのです。」とも。

当日は、八代目若主人による「金具屋文化財巡り」という35分のツアーがあり、宿泊者が揃って説明を聞きました。

3. 館内にはすべて源泉掛け流しの「湯」が8か所もあります。
私はうち4つに入りましたが、「それぞれ全て造りも異なる、昭和時代に造られた。シャワー設備もわずか、パウダールームもありませんが、昔ながらの「温泉宿」をご体験いただければと思います」という能書き通りで、堪能しました。

渋温泉は、奈良時代から記録があるそうで、武田信玄によって兵の傷を回復させるための温泉町として整備された由。
ごく素朴な小さな街並みで、「外湯」が9つあり、「地域住民の共同浴場。現在でも住民は外湯を日常の風呂として使用している」。
「宿の宿泊者も「一泊住民」として無料で利用できる」というので、1つに入りました。「お湯づけ」になった日でした。


 「金具屋」で面白いと思ったのは、若い宿泊者がほとんどで、私たち3人組のように80前後の老人は他に見かけませんでした。
千と千尋の〜」の映画の影響や、古い「温泉宿」の雰囲気に憧れるというのも若者の趣味かもしれません。階段の上り下りもあり、老人にはきついかも。


それと、近くにある「地獄谷野猿公苑」は山道を15分ぐらい歩きます。
「世界的に有名な、野生の猿が天然温泉の露天風呂に入る公苑。冬場雪をかぶって湯につかる様子は、スノーモンキーとして知られています」。
寒い冬しか入らないようですが、お猿さんは我々が訪れたときも見かけました。
ただし、足が疲れて、最終の目的地まで行くのは諦めて、噴泉の湯けむりと猿の姿を見るだけで満足しました。

4. 老人三人旅は、長野まで北陸新幹線善光寺にお詣りをして、そこからレンタカーです。
宿は2泊とも、3人で一つの相部屋です。食事が終わってからは部屋で暫くお喋りです。これも、この年になるとなかなかない経験です。


翌日は、小布施経由、松代まで移動しました。
小布施は私はさほど印象には残りませんでした。
町おこしの成功例として知られていますが、若い人、とくに女性に人気のある散歩道かなという気がします。
信玄と謙信が戦った川中島古戦場にも寄り、「松代荘」にチェックイン。
「古戦場跡」という公園で犬を散歩している女性に「川はどこですか?」と訊いて、「こないだも同じことを訊かれました。千曲川犀川も近くにありますが、川中島というのは地名で川の中の「島」があってそこで戦った訳ではありません」と教えてくれました。
「鞭声粛々、夜河を渡る」という頼山陽漢詩があまりに有名なので、何となく、終始「川の中の島」で戦われたように思っていました。


5. 翌日は夕方長野から再び新幹線に乗るまで、ゆっくり松代を歩きましたが、とても良かったです。


松代藩は、江戸時代、信濃最大の藩として繁栄した。上田から移封後、真田信之が初代藩主となり、その後約250年にわたって治め、城下町の整備などに尽力した」と案内にありますが、たしかに城下町のたたづまいが今も残っていて、落ち着いた雰囲気のある街並みです。


幕末の思想家・佐久間象山の出身地として知られ、象山神社があり、記念館があります。
記念館の向いに公衆トイレの建物があり、これに「悠楽庵」という名前がつけてあるので、驚きました。優雅な考えかつ立派な建物で、これならきれいに使用しようという気持ちになるのではないでしょうか。


松代城は信玄が築城したそうですが、いまは建物は残っていません。
近くに真田邸や文武学校という藩校の建物が残っています。
「藩校」には修練場も残っていて、ちょうど武道の練習をしているところでした。先生も生徒の多くも白人で、面白いと思って受付で訊いたら、「年に1回、東京からやってくる剣道を習う素人のグループ」とのことでした。いろんな人がいますね。


しかし、松代で何と言っても印象に残ったのは「象山(ぞうざん)地下壕」です。
先の戦争の末期、極秘裏に大本営や政府各省庁などを松代に移すという計画のもと構築された地下壕で、いまも一部を見ることができます。
これは今回の旅のハイライトであり、戦争の「負の歴史」を知る機会で、勉強になりました。
長くなりましたので、次回にご報告したいと思います。