台風24号の直前に、京都で「百人一首かるた会」

1. 柳居子さんコメント有難うございます。アメリカの政治・社会は、今回の最高裁判事選任の大騒動に象徴されるように、トランプ支持と反トランプとに真っ二つに分断されています。「皆が選んだ」とは誰も考えていない状況のようです。

ところで、先週の台風24号は、東京も激しい雨風に見舞われました。強風のため、30日(日)の真夜中には古い我が家も揺れを感じたほどでした。
10月4日(木)、美術館に行くため上野公園を歩いていたら、台風のせいでしょう、東照宮の真下に大木が根こそぎ倒れていたので驚きました。


2. その30日(日)の朝は、前日京都に一泊してとんぼ帰りで東京に帰ってきました。
台風を懸念して午前中の「ひかり」指定席を買ってあり、結果的にこれがラッキーでした。
午後の東海道新幹線はすべて運休、午前中でも博多始発など遠くから来るのはやはり運休。私の電車は新大阪始発なので、順調に走り、定刻に品川駅に無事到着。しかし、指定席の車両まで、立っている人で大混雑でした。
座って、読みかけの英国Economistを読もうと広げたところ、隣に座った旅行者に話しかけられ、結局、品川までずっと喋っていました。
フランス人の若い男女で、企業に勤務しながらグルノーブル大学の博士課程で電子工学を学んでいる学生同士とのこと。


28日(金)、フランスから友人の居る福岡に到着し、29日(土)は大阪に1泊して、目下新幹線で移動中。
東京に4泊してその間、日光にも行き、翌週は京都に戻って、広島から福岡経由帰国する予定とのこと。
1日遅かったら、福岡で足止めを食っていただろう、台風の最中にまあラッキーな方だったねと元気づけました。


この世には、自らの努力とは関係なく、運不運、不公平としか言いようのないことがあるよね、と話を交わしました。そして、日本は災害の多い国だね、フランスはたまに洪水があるくらいかな、とも。


3. 京都に出かけたのは、姉弟やいとこなどの親戚が集まって、従妹の家で百人一首を取るという「遊び」の会です。
「かるた会」はいつもは年初ですが今年は日程が合わず、季節外れの集まりになりました。3年前から、若い世代にも入ってもらい、今年も長女夫婦が参加しました。

高齢者が増えたせいか、初めて「坊主めくり」もやり、気楽に遊びました。

坊主めくり」はご存知でしょうが、「百人一首」の100枚の絵札を裏返して、順番に開けていく、たわいもないゲームです。子供は結構好きで、夏に6歳の孫が英国から一時帰国をしたときに教えたところ、夢中になっていました。

ちなみに藤原定家卿が選んだ100人の歌人を区分けすると以下の通りです。
(1) 天皇上皇親王(女性を除く)―――8人
(2) 女性(天皇1人、内親王1人を含む)―――21人
(3) 僧侶(西行法師など)―――――15人
(4) 残りはすべて男性(選者の定家卿など)―――56人


坊主めくり」は、この区分けに従って、

・男性の札を開けた人は、場に置く
・女性を引いてきた人はその札だけでなく、場に残っている札をすべて貰える
・僧侶を引いた人は、自分の貰った札をすべて場に返す・・・
などの約束に沿って遊びます。
・女性の小野小町と僧侶の蝉丸は別格で、前者を引いたら他の人が持っている札すべてを貰える、後者を引いたら、全員が持っている札を場に戻す、
という特別ルールもあります。
もちろん、最後にいちばん多くの札を所有した人が勝者です。

他愛もない遊びながら、結構楽しく、また和歌や歌人を覚えることにも繋がります。
先ほどの6歳の孫の場合も、母親は「日本語を学ぶ良い機会になった」と喜んで、我が家にある古い「百人一首」を英国に持って帰りました。


4. ところで、「百人一首」について以下の質問、
(1) 女性の中でも別格扱い、小野小町の歌をご存知でしょうか?
(2) 女性天皇内親王がそれぞれ1人選ばれていると上に書きましたが、どなたでしょうか?
(3) この2人の歌をご存知でしょうか?



5. いまどき、親戚が集まって無邪気に遊ぶ機会などは少ないかもしれません。
たまたま私の母の実家が京都で、子供が多かったということと、昔から集まって遊ぶのが大好きだったという雰囲気がいまも影響しているようです。
ただ、皆年を取っていくので、次世代にも継承したいと願っていますが、いつまで続くか、ちょっと心配なところもあります。

かるたの後は、四条大橋のたもと、南座と鴨川を隔てた向かい側にある、大正時代に建てられたアール・デコの建物「東華菜館」で賑やかに会食しました。

その後は、御池通に面したホテルに戻って、京都検定1級の友人に付き合ってもらってバーでワインを飲みながら歓談。
翌日の朝早くは恒例の「イノダ」によってコーヒーを飲み、毎朝必ず来ておられるお二人の京都人にも会い、
そして冒頭書いたように、追いかけてくる台風24号を振り切って早めに出発した次第です。

「イノダ」では、50年以上欠かさず、ここの「円卓・常連席」に座ってあたりを睥睨している某氏と、
祇園の花街に生まれ育って、その後「何でも見てやろう」と世界を放浪して歩いたという某々さんと久しぶりに会って、とりとめもない話をして、良い気分になりました。


6. 最後に4の質問の答えですが、まず小野小町の歌はもちろん、
<花の色は、うつりにけりないたずらに、わが身よにふる、ながめせしまに>
(花の美しさはむなしく色あせてしまいました。私が物思いにふけっている間に、長雨が降って。「花の色」に小町自身の「美しい容貌」が込められているという読みが中世以来絶えない)

ここで、「ふる」が「降る」と「経る」の、「ながめ」が「長雨」と「眺め」の掛詞で、「前者が春の風景の文脈、後者がわが身の文脈を形作り、巧妙である」。
大岡信に言わせれば「それは、目に見える外界の事物を、内部世界の比喩、あるいは象徴として、いわば主客未分の状態において表現することです」。
こういう技法は、現代短歌においては使われないし、むしろ「陳腐だ」と否定されるのではないでしょうか。
「和歌と短歌はちがう」とよく言われるのは、このあたりにもあるでしょう。

女性天皇の歌は持統天皇
<春すぎて,夏来にけらし白妙の、衣ほすてふ、天の香具山>
内親王で選ばれたのは後白河院の息女、式子内親王ただ一人、
<玉のをよ、たえなばたえねながらえば、忍ぶることの弱りもぞする>
です。
大岡信は『日本の詩歌』で式子内親王の歌を絶賛しています。