エコノミスト誌175周年とリベラリズムという思想

1. 前回は、娘が赤ん坊を連れて一時滞在をした話を書きました。
先週末、英国に帰国する二人を羽田空港まで送っていきました。
帰りはひとりで空港を暫く歩き、伊藤園の栗あんみつを食べてから、バスで帰りました。渋谷まで40分ほどで週末は道も空いており、快適でした。


2. いつもカバンに入れて読み返している2か月前のエコノミスト誌をバスの車内でまた拡げました。
英国エコノミスト誌は、今年創刊175周年を迎えました。
1843年といえば日本は天保時代、イギリスはヴィクトリア女王即位の4年前、チャールズ・ディケンズが『クリスマス・キャロル』を書いて大評判になった年です。


同誌は、9月15日号を創刊記念号にあてて、本誌は175年前、当時のイギリス政府が実現させようとした穀物法(穀物の輸入に関税を課す)に反対し(そしてその撤回に成功した),
リベラリズムを主張する雑誌として発刊された、として、
冒頭に「マニフェスト(宣言)」と題する論説、そして
「21世紀に向けてリベラリズムを作り直す(Reinventing liberalism for the 21st century)」と題する10頁の「エッセイ」を載せています。
以下、堅い話で恐縮ですが、「論説」の概要を紹介します。


3.「マニフェスト」は、「成功が、リベラルな人たちを現状に満足するエリートに変えてしまった。今こそ、ラディカリズム(急進主義)の精神を再び取りもどす時である」という主張から始まり、以下に続きます。

エコノミスト誌が考えるリベラリズムとは、
個人の自立と品格(integrity)、開かれた市場、制限された政府、そして論争(debate)と改革によって進歩を達成することに賭ける思想である。
リベラルは、革命でも保守でもなく、社会は草の根の市民の努力によって徐々に良くしていくことができると信じる。


5.当時の創立者なら、1840年代の貧困と悲惨な状況と現代とを比較して、その「進歩」に驚く筈である。
(1) 世界の平均寿命は、当時の30歳弱から70歳を超えた。
(2)絶対貧困層に属する人たちは、総人口の約8割から8%に減った。
(3)識字率は、当時の5倍に増えて80%を超えた。
(4)多くの国々で、人権が守られ、法の統治が実現し、個人はどのように、誰とともに生きるか選択できるようになった。
これらの成果のすべてがリベラリズムのお陰と言うのではないが、リベラルな社会は繁栄し、西欧の基本原理である自由と民主主義が、世界に拡がったことも事実である。


6.もちろん政治思想家は、過去の成果を誇るだけではなくより良い未来を約束しなければならない。
この点で現状はあまり楽観的ではない。昨年の世論調査で、未来は親の世代より良くなると答えた若者は、ドイツ人の36%、カナダ人の24%、フランス人の僅か9%だった。「民主主義が不可欠」と答えた35歳以下のアメリカ人は3分の1に過ぎなかった。
いま世界はリベラリズムに背を向けているようである。
エコノミスト誌はこういう状況を深く憂慮している。
なぜなら、本誌は依然としてリベラルな思想のもつ力を信じており、論説で「マニフェスト」を載せる所以である。


7.こういう状況になったのには、リベラル派にも大いに責任がある。
自分たちの力を過信し、自己満足と現状維持におちいってしまった。
大衆の不満がポピュリズムに向かうのを、なすすべもなく見守るだけだった。
普通の人たちの問題に真剣に立ち向かうことを、
リベラリズムの基盤が、市民に対する信頼と敬意(respect)にあることを、
忘れてしまった。
自立した個人の自由と共通の利益との二つを守るべきなのだ。


8.いまこそ、リベラリズム再生のときである。
真のリベラリズムは、個人が自立し、その尊厳を守り、しかも現状破壊を恐れないラディカルな精神にある。
 リベラルはまた改革にあたって、常にプラグマティック(現実的)であり、順応性のある人たちでもあった。
革命派や保守派と異なり、社会は市民の力で徐々によくなると信じる人たちであった。


9. 社会の分断が進み、人々は所得、人種、宗教、性別などに引き裂かれ、「みんなの利益」というリべラリズムの思想が失われつつある。
いまではリベラルが標榜するメリトクラシー能力主義)は閉鎖的である。
例えば、最近の調査では、アメリカの一流大学で、所得階層上位1〜5%が下位50%の層より多くの学生を受け入れている、授業料は平均収入の伸びより17倍も値上げされている。
しかも、自由で公正な社会を論じる大学教授自身は「終身雇用(tenure)」に守られている。


1840年時、本誌が穀物法廃止のキャンペーンを張ったときのことを思い起こそう。
当時、工場労働者の収入の6割が食費にあてられた。我々は土地を保有穀物を育てる地主階級の利益保持に抵抗し、貧しい人たちの側に立つことを目的に創刊された雑誌なのだ。
今日、リベラル派は、これと同じ思想・同じヴィジョンに立って、上流階級・高所得層(patricians)に抗して、低所得層・生活不安定層(precariat)の側に立つべきである。


10.最良のリベラルであった先人の成し遂げたことを思い起こそう、例えば、かって「泥棒貴族」たちの独占企業と戦ったセオドア・ルーズベルト大統領や戦後の福祉国家を設計した人たちのことを。


リベラルは、今日の課題に同じような勇気で立ち向かうべきだ。
批判を甘んじて受け、そして「論争(debate)」を歓迎し、改革に対して大胆に、かつ我慢することなく早急に立ち向かうべきだ。

とくに若者は(赤ん坊だって,と私は付け加えたい)、世間に向かって発言すべきである。
エコノミスト誌は175年前の創刊時、「進むべき知性と、進歩を妨げる低劣で臆病な無知との競争(contest)」を約束した。
私たちは、この競争(コンテスト)を再確認することを約束する。
そして、世界中のリベラルが、私たちとともに参加することを願っている。


11.「リベラルよ、再び結集しよう!」
私が知る限り最良の雑誌の1つと信じる英国エコノミスト誌のこの呼びかけを、日本のリベラルは、果たして読んだでしょうか?どのように応えるつもりでしょうか?
保守主義を自認する人たちの勇ましい声だけしか聞こえないような気がするのですが・・・・