米中間選挙、再びリベラリズムとJ.S.ミルについて考える

1.11月に入り、東大駒場の銀杏並木が少しずつ色づいてきて、歩く楽しみです。

2.米国の中間選挙については日本のメディアも大きく報じました。
翌日朝刊一面でほとんどの新聞は「ねじれ」議会という見出しでした。

他方でニューヨーク・タイムズ(NYT)は「今回の選挙は分断を裏付けた」と“division”という表現を使いました。
その象徴として、
共和党はますますトランプの党になり、
民主党は、ますます少数民族・女性・若者が支持する党になっている、と伝えました。
(そして長期的な人口構成の変化を考えると、共和党のリスクが大きいのではないかとも指摘)
・NYTは下院の民主勝利は女性の躍進にあるとして、「彼らは、動き出し、走り回り、そして勝った(They marched, they ran,and on Election Day,they won.)」「州で初めての黒人女性、イスラム系女性2人、ネイティブアメリカンの女性2人、最年少の女性議員」など、「史上初めて」を連発した、と報じました。


またワシントン・ポスト(WP)は「民主主義にとって偉大な日」と題する社説を載せました。
「民主主義のため、国民のために今回の“ねじれ”は良いことだ」、「なぜなら権力分立というアメリ憲法の理念からして、立法府(注:日本の憲法では「国権の最高機関」と規定されている)が行政府をチェックすることはとても重要だから」という論調です。日本ではややネガティブなニュアンスで使われる「ねじれ」をむしろ前向きにとらえる姿勢が見られます。
NYTは「民主が下院を制した、じゃどうする?」と題する社説で、勢いに乗って大統領弾劾に動くなどではなく、冷静に長期的に、トランプに批判的な共和党員の支持をも得られるような政策を打ち出すことを主張しています。


4.ところで、前回は英国エコノミスト誌の175周年について触れました。
1843年、リベラリズムを旗印に掲げて発刊された同誌は、今年周年行事として「開かれた未来を目指すプロジェクト」と題して、リベラリズム再生のための企画を、エッセイ・討論会・インターネット・映像など様々な形で行っており、前回紹介した論説「マニフェスト」もその1つです。

「再生」のために同誌が重要と考えるのは、
(1) リベラリズムという思想・価値観を再確認すること。
即ち、守るべきものは、個人の自由、みんなの利益、権力集中への警戒、そしてより良き社会を信じて、目指すこと。
(2) 同時にリベラリズムの方法論を再確認すること、
・ラディカル(急進的・現状破壊的)な姿勢を保つ(しかし革命は否定し、草の根の市民の力を信じる)
・プラグマティック(現実的)で、弾力的(アダプタブル)である。
(3)その上で、
・「論争(debate)」を歓迎する
・「過去」を振り返る
の2つから「再生」のための新しいアイディアが生まれる、と主張します。


論争というと、これまた日本では「争ってでも黒白の決着をつける」というネガティブなニュアンスがあるかもしれません。
しかしリベラルは「論争」を恐れない、むしろ大いに歓迎する、これは本誌を読んで面白いなと感じたところです。
ということは、時に「論争」で合意に達しない場合もあるだろう。あるいは相手の主張に納得することもあるだろう。
だからこそ「現実的・弾力的」な姿勢が評価されるのでしょう。
「合意」に達しない場合はどうするか?「それなら我々だけでなく他者の意見も聞いてみよう、あるいは、実践によってどちらがより妥当かを実証しよう」ということになる。何れにせよ、リベラルは決して「自分が常に正しい」と独善的になるべきではない。


6.もう一つの「過去」を振り返るという点ですが、エコノミストは誌上で、6回に分けて過去の思想家を取り上げました。
第1回は、8月4日号で、19世紀の英国を代表する思想家ジョン・スチュアート・ミルです。


7.エコミスト誌は「過去のリベラルな思想家から今も学ぶことがある」として、ミルが生きていれば以下の三点について大いに懸念するだろうと指摘します。
(1)「フェイク・ニュース」の名のもとに、「真実」が見えにくくなっている現状。
(2)個人の自由を保持することが難しくなっている現状。とくに、ミルが言い出した「多数の専制」という言葉がいまほど懸念される状況はないのではないか。

(3) 最後に、リベラル派が「進歩」に疑いを持ちつつある現状に、ミルはいちばん嘆くのではないか。
いま、未来が良くなると考えない人たちが増えている、民主主義が自国第一の偏狭なナショナリズムに取って代わられている、そしてリベラリズムは、個人の自由を制限しつつ国家資本主義を標榜する中国という、もっとも強力な対抗馬の挑戦を受けている・・・・


とした上で、同誌は「だからこそ過去の思想家を思い起そう。
ミルを初め、トクヴィルケインズシュンペーターロールズなどなど、過去のリベラルな思想家がいま生きていたら、より良い世界を目指して、もういちど腕まくりをして立ちあがるのではないだろうか・・・・」
と訴えます。


8.ミルの「自由論」をまた広げてみました。
明治の初め、福沢諭吉中江兆民などに多大の影響を与えた著作です。
彼は冒頭から、民主主義のもとでの「多数の専制」を懸念し、「自由」を守ることの大切さを語ります。ミルと同世代19世紀のフランスの歴史家トクヴィルもまた、新興国アメリカを訪れて書いた『アメリカのデモクラシー』の中で、同国の民主主義の精神を高く評価する一方で、民主主義を信じすぎているがゆえの「多数派の専制」に陥る可能性も指摘します。
だからこそ、ミルは「世論の専制を打ち破るために、われわれはなるべく変わった人になるのが望ましい。現在、あえて変わった人になろうとする者がきわめて少ないことこそ、この時代のもっとも危うい点なのである」と述べます。
そしてまた、
「人は何をするかだけが重要なのではない。(略)人が一生をかけて完成させ、磨き上げるべき作品のなかで、一番重要な作品はまさしくその人の、人間そのものである」
とも語ります。(斎藤悦則訳、光文社古典新訳文庫


エコノミスト誌が言うように、リベラルな優れた思想家を振り返ることにはたしかに意味があると思います。
そういえば、福沢や兆民が生きていたら、いまの状況を同じように嘆くのではないか、とも考えました。