サーロー節子さん講演「被爆者として北米に生きて」

1. 先週は、まだ穏やかな日が続きました。
所用があって、久しぶりに本郷の東大キャンパスまで出向き、三四郎池の紅葉も見てきました。

4日(火)には、六本木の国際文化会館でサーロー節子さんの講演を聞いてきました。


2. その前に前回のダニ・ロドリック教授の政治的「トリレンマ」仮説と「オーストラリアが支配する(Aussie rules)」について幾つか質問&コメントを頂いたので少し補足します。


(1) まず「トリレンマ」――グローバル化、国家主権、民主主義の3つの同時達成は難しいーーについてです。
これはあくまで仮説なので、一般化することの危険もある。あくまでケース・バイ・ケース、国ごと、事例ごとにどこまで当てはまるか検証していく必要があるだろうというご意見を頂きました。まことにご指摘の通りと思います。


(2) 例えばエコノミスト誌は、オーストラリアは、少なくとも現時点では例外ではない
かと言います。
たしかに移民政策1つをとってもこの国は、トリレンマをある程度克服して、民意(民主主義)を尊重し、国民国家としてのアイデンティティを損なうことなく、「人の移動」というグローバル化を、かなりの程度達成できていること、前回報告した通りです。
今から50年昔までこの国は悪名高い「白豪主義」―― 白人最優先主義とそれに基づく非白人への排除政策。 狭義では1901年の移住制限法制定から73年移民法までの政策方針を指す――を採用していましたが、以後劇的に政策を変換し、いまや国民の半分が移民もしくは親が移民であり、しかもアジアからの受け入れが最大です。



(3) この政策転換には、選挙制度も大きい。
選挙が国民の義務であり、投票率は100%近い。かつ、単純多数決ではなく「プレファレンシャル・システム」をとっている。後者は「選挙権者が、投票で候補者1名を記入するのではなく、優先順位をつける」やり方です。
この二つの制度は、政策を「中道寄り」にする効果をもつ、と同誌は言います。与野党どちらも(アメリカのような)分断や偏見をあおり、反対党を叩く戦術はむしろマイナスに働く。その結果中庸・穏健な意見が多数を占めることになる。移民受け入れもこのような国民の選択の結果、与野党間の対立や分断なく、幅広く支持されている。
選挙制度がこういう効果をもつ、という指摘は面白い、かつ重要だと思います。
アメリカであれば、投票が国民の義務になれば、共和党はいままで投票率の低い少数民族や若者へも、他方で民主党は保守層にも、支持を拡げないと勝てない
➜結果、両方とも少し中道寄りになり、「分断」は緩和されるかもしれない・・・・


(4) 前回のフォローの最後ですが、同誌の特集記事の表題「オーストラリアが支配する(Aussie rules)」ですが、この国の優越性を語る記事の題名としていまいちぱっとしない英語だなと感じながら訳しました。
某氏から、「オーストラリアン・ボール」というサッカーやラグビーに似ているが少し違い独特のルールがある、この国でいちばん人気のあるこのスポーツを「オージー・ルール」とも呼ぶ、その言葉に掛けているのではないかという指摘がありました。
なるほど、記者は洒落た表題をつけたつもりで、スポーツに明るくない私にはその「言葉遊び」が理解できなかったということのようです。


3. 以上で前回のフォローは終わり、先週の話ですが、まず本郷の東大に行ったのは、
雑用で、文学部の図書室に初めて入りました。
英国の作家チャールズ・ディケンズの伝記が、邦訳が出ているのですが、原書にも当りたいことがあって、ペーパーバックの中古をアマゾンで注文しました。ところがいつまで経っても届かないのでしびれを切らして駒場の東大図書館で検索したら、本郷の大図書館にはないが文学部にあるというので出向いたものです。
まあ要するに暇なのでしょうね。しかし、アマゾンは未着の照会をしても電子商取引の応対でろくに返事もくれない。他方で、東大文学部の図書室は受付の「人間」が、こんな白髪の老人にもまことに親切に対応してくれて、嬉しかったです。それにしても、昔に比べて何ときれいなキャンパスになったものだろうと、いまの学生を羨ましく思いながら、しばらく散歩しました。


4. 最後に、講演会の話です。
(1) 国際文化会館の案内にはこうありますーー「2017年のノーベル平和賞受賞式で、世
界に向けて核兵器廃絶を訴えたサーロー節子氏は、13歳の時に広島で被爆し、1954年にアメリカへ留学しました。
対日感情の厳しい時代にアメリカで暮らした経験や、ソーシャルワーカーとしての思い、核廃絶運動などの社会的な活動に取り組むに至った経緯などのお話を通して、これからの平和を担う私たちが何をすべきか考えます」。

(2) 300人の聴衆が抽選で、幸いに私も当選しました。
サーローさんは、昨年末のノーベル平和賞受賞時以来の来日。同時通訳付きで、小一時間のスピーチを英語で、30分の質疑応答を日本語で応じました。完全なバイリンガルで、英語で発信できる被爆者の存在意義を強く感じました。
当年86歳、車椅子で登場し、杖とスタッフに支えられて登壇し、胸が熱くなりました。


(3) スピーチは平和賞受賞時のそれと重なる内容で、以前このブログでも紹介しました。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20180121
今回も広島で被爆死した4歳の甥の話から始めて、モデレーターの道傳愛子さん(NHK国際放送局)がきれいな英語で「甥御さんの悲惨な死がサーローさんの活動の原点にあると思う」とコメントすると、サーローさんの眼がうるんだように思えました。


(4) 質疑応答では、
・「私たちは何をすべきと思うか?」のQ(質問)には、「日本には公開論争(Public debate)が本当に少ない。もっと政府と市民が公開でディベイトをすべき」と強調しました(日本ではディベイトというとマイナス・イメージがあるようですが、とても大事なことだと思います)。

・女子高校生からの「5年後、10年後の日本に何を期待しますか?」というQには「寛容で世界に尊敬される国であってほしい」というA(答え)。

・また、ノーベル平和賞を受賞したICAN核兵器廃絶国際キャンペーン)について訊かれて、「情熱とコミットメントを持って、ITも駆使した独創的かつ新鮮な取り組みを続ける世界の若者に感動している」と答えてくれました。


(5) 今年の国連では、昨年122か国の賛成で採択された「核禁止条約」の制定を歓迎し、各国に早期の署名・批准を求める決議案を126か国の賛成多数で採択しました。

(6) 核保有国やNATO加盟国など41か国が反対し、16か国が棄権。日本も反対しました。
「核禁止条約」については「現実的でない。ナイーブ」といった批判がこうした反対国を中心に強くあります。もちろんサーローさんもICANの36歳の事務局長ベアトリス・フィンさんも十分承知しているでしょう。
しかし、サーローさんは「核廃絶に命の限り迫る」と語りました。


サーローさん来日については、日経などの主要なメディアも取り上げないかもしれません。彼女の存在を知らない人、無関心な人、反対国と同じく「理想論だ」と反対する日本人の方が多いかもしれません。

しかしこういう人たちの存在とその活動について、少なくとも知ってほしい・・・・
そんな思いでこのブログを書きました。