1.(1)前回の京都行きについてはフェイスブックのコメントを幾つか頂きました。
Masuiさんから、「伝統の京都文化を今後どのように守っていくべきか心配。
長い歴史の中で京都は多くの争乱に巻き込まれてきた。江戸末期には薩長の異文化の連中に大いにかき混ぜられた。
今の京文化は、それでも本来の文化を維持してきたものなのか?それにより現在の外国観光客をよしとするか、それとも警戒すべきかが決まると思う」
と頂き、幕末の京都での薩長を“異文化”という視点を面白いと思いました。
(2)京都人からは、「外国の観光客がいくら増えても、京都の文化や伝統が変わることはない。
お客より資本の論理――東京の資本が入ってくるーーの方を懸念する」
という答えが返ってくるような気がするのですが・・・・
ロンドンやパリやヴェネチアなど、京都以上の観光客が外国から押し寄せている筈。
にも拘わらず、残るものは残る。消えるものがあるとすれば、観光客よりも受け入れる内部の人たちの意識のせいではないか・・・そんな感じがするのですが、どうでしょうか?
(3) 街のたたずまいが残ること・残すことも大事だと思います。
京都であれば、もちろん神社仏閣やお庭ですが、それだけではなく、昔からの街並みや雰囲気が残っていること、例えば、路地を入ったところの古い店構え、三条通りを歩いていて、「駐車禁止」の代わりに「駐車は遠慮しておくれやす」という表示を見たとき等々、”これも文化ではないか“と感じます。
2.ロンドンも、街のたたずまいはあまり変わりませんね。
1年前のいまごろ、ロンドンの街を歩きました。
例えば、ピカデリーの「ハッチャーズ(Hatchards)」という本屋です。
――「外装も内部もいつ行っても変わらず、旧友に再会した気分でした。1797年創業、英国で最古の書店だそうで、1801年以来200年以上同じ場所にあります。ディケンズの生まれる10年も前。
ゆったりした雰囲気で、書物も居心地良さそうに並んでいます。書棚から私に語り掛けてくるような気分になることがあります。本は本屋や本箱と一体になってこそ価値がある存在だと感じました。テレビやインターネットにこの感覚があるでしょうか。
2008年にリベラルな新聞「ザ・ガーディアン」が「世界の最上の書店10 軒」を選びましたが、英国からはここが一軒だけ選ばれました。京都の一乗寺にある「恵文堂」も選ばれました」――
長い文章を引用しましたが、「あとらす」(西田書店)という雑誌に書いた、私の文章の一節です。
ディケンズが昔ロンドンで住んだ家も1軒だけ残っていて、いまは博物館になっています。ダウティ街48番地の雰囲気も昔のままです。
3.ということで、今回の最後は厚かましいですが、「あとらす」所収の「チャールズ・ディケンズ賛歌」を簡単に紹介させて頂きます。
(1) チャールズ・ディケンズは、1812年生まれ、70年に死去した、19世紀ヴィクリア朝を代表する英国の小説家です。
(2) 2020年が死後150年を迎えます。日本でも少し話題になるといいなと思っ
て、今回が初回で、何回か「あとらす」に書くつもりです。
(3)初回は、出世作である『ピクウッィク・ペーパーズ』と『オリヴァー・ツイスト』を取り上げました。後者は2017年に新潮文庫から新訳も出たし、『クリスマス・キャロル』と並んで日本でもよく読まれているのではないかと思います。
(4) この2作を取り上げて、伝えたいと思ったことは、
・英国人のユーモア
・ディケンズの小説の登場人物の魅力
・ディケンズの「楽観主義」
の3つです。
まず、ユーモアについてですが、英国人の国民性を説明した小冊子にある、
「英国では、勉強するかどうかは任意(optional)だが、ユーモアのセンスを身につけることは、必須(compulsory)である」という言葉を引用しました。
その上で、彼らは、「ナンセンスや馬鹿々々しい言葉遊びも大好きだ」として、以下の小噺を紹介しました。
――男が医者の診療室に入ってきた。
「おや、随分久しぶりじゃないですか」と医者が声をかけると、彼は「いやあ、実は暫らく病気をしていましてね」と真面目な顔で答えた。――
(5) 次に「登場人物」ですが、ディケンズの小説の面白さは「筋」よりもむしろ「人物」にあるとして、ロシアの文豪トルストイの「彼の小説の登場人物は誰もが私の友人だ」という言葉を紹介しました。
因みに、彼の小説の「筋」は得てして冗長で、脱線も多く、今の読者には退屈なところも多いと思います。人物と筋に関係ないちょっとした細部が最大の魅力です。
(6) 最後に、「楽観主義」です。これは英国人の国民性ともからみ、アンドレ・モロアと
いうフランスの文学者の、「ディケンズと英国民は共に楽観的な人生哲学を有している。英国人と長い間共に生活して見ると、必ず彼等の行動の底には幾分ディケンズ精神が流れているのに気づかずに居られない。」という一節を引用しました。
(7) ディケンズの「楽観主義」については、英国の評論家で推理小説「ブラウン神父シリーズ」の著者G.K.チェスタトンの評を紹介しました。
チェスタトンは、ディケンズを「19世紀が生んだもっとも偉大な楽観主義者」と呼びます。そして、「その中心となる考えとは、人間の平等という考えであった。真に偉大な人物は、他人に、自分は偉大なんだと感じさせる人のことなのである」。
そして、続けてこう言います。
――「悲観主義者よりも楽観主義者のほうがよりよい改革推進者となる」し、「改革者は不正を悲惨なものだと感じるだけではいけない。不正を馬鹿げていると、存在することすら異例の、涙にくれるよりもむしろ笑いとばすべきものだと感じなければいけないのだ」。
(8) 最後の、チェスタトンの言葉は彼一流の逆接的言い回し(英国人にはよくみられる)
で、少し誤解を招くかもしれません。
私たちは、「不正を笑い飛ばすことが出来るか?」「ユーモアを剣に変えることが出来るか?」
例えば、野田市の10歳の少女の虐待死があまりにも悲惨で、こんなことが起こってはいけないと心底思う。(私はいまだに彼女についての新聞やテレビの報道をまともに読めず・耳にできません。生前の写真を正視することが出来ません。写真を見た夜は、彼女が夢に出てきました・・・・)
彼女をめぐる出来事の「不正と悲しみと絶望」に「怒り」ではなく、「楽観主義と笑いで立ち向かうことが、真に不正をなくすことにつながるのだ」という思想とはどういうことでしょうか?ひとりで考えています。