1.
我善坊さん、京都の文化について面白いコメントを有難うございました。
「欧州では、ドレスデンをはじめ、歴史ある都市は戦前の建物や街並みを完全に復元させている。 京都が仮に戦災で灰燼に帰したとしたら、その後に、あの京町家の街並みを復元させるだろうか?東京と同じになったのではないか?」と書いておられます。
たしかに、日本人は欧州とは対応が違うでしょうね。
しかし、ドレスデンの街並みは復興できたかもしれませんが、古い典籍類(例えば、冷泉の蔵にある、定家卿が書き写した「古今和歌集」原本(国宝))など、焼けてしまえばもう元には戻りませんね。
私個人としては、焼けて街並みが灰燼に帰したら仕方ない、無理して復元しなくてもいい、意識や言葉や広い意味で文化が残ればいいのではないかと考える者です。
2.「お茶」も(もちろん、家元制度などいろいろ問題もあるけど)残して欲しい文化の一つではないでしょうか。
たまたま先週、古い友人から「お茶」を頂く機会があったので、今回はその報告です。
まずは、「古い友人」とは昔の職場で一緒で、もう50年近い付き合いです。
20歳の時に習い始め、「教授」の資格も持っています。
小さなマンションの一人住まいですが、居間を茶室風に改装して炉も切って、時々そこでお茶をご馳走になることがあります。
たまたま彼女が、『日日是好日、「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(森下典子、新潮文庫)という本を送ってくれました。
昨年亡くなった樹木希林さんが出演して映画にもなりました。映画は見ていませんが、とても読みやすい、良い本です。
著者はいま60を過ぎたエッセイストですが、やはり20歳の時にお茶を習い始めました。その苦労話や、習ってよかったなという思いを素直な文章にしたものです。
この本を読んで、これまた20歳の孫娘を連れて二人でお茶を頂くというのは、孫にとってもいい経験ではないかと思いつき、くだんの友人にお願いしたところ、快諾してくれました。
3.実は私にとってもいいアイディアなのです。というのも、何度か友人と一緒にお邪魔したことはありますが、作法をまともに聞いたことがない。孫と一緒なら一から初歩的なことを教えてもらえる、良い機会だと思った次第です。
ということで、暖かな日、三人でお蕎麦屋に寄ったあと彼女の茶室を訪れました。
茶室といっても有難いのは、ごくごく気楽な場所だということです。
先生も昔の同僚ですから気が置けません。定年近くまで勤めた女性ですから私たち同様庶民で、豪華な茶道具も持っていません。
「お茶」というのは道具その他に凝り出したら切りがないので、そういうところに庶民には手が届かない嫌味な「文化」があります。
その日も彼女から聞いたのですが、京都のある宗匠が「家に茶室も持たず、茶室に行く路次もないような家に住む人は、お茶を点てる資格がない」旨の発言をしたそうです。
さすがに、これには非難・批判を浴びて後で発言を撤回したそうですが(政治家と同じく表面上だけかもしれませんが)、お茶にはどうしても、こういう「贅沢」「金持ち趣味」の匂いが付き纏います。
しかし、この友人のところでの私的なお茶会はそういうところが全くありません。その日もジーンズ姿で出かけていきました。
4.上にあげた宗匠さんが言うように、本来であれば、路次を通って、つくばいで手を洗って、にじりぐちから茶室に入って、茶扇子を前に置いて挨拶をして・・・・といった手順を踏まないといけないのでしょうが、すべて無しで、マンションの一室に入ります。
そして、その後は(失礼ながら、高級・豪華ではありませんが)、お茶会の雰囲気とお点前、つまり「文化」はきちんと守っています。本来の「茶を点てる文化」はこういう素朴な質素な日常から始まったのではないか・・・・
(1)もちろん、彼女は和服姿です。
(2)掛け軸がかかり、花が活けてあります。
2月末ですから、花は桃と菜の花。
掛け軸の字は「花開天下春」。
(3)これらを拝見してから、お菓子を頂き、お点前を拝見します。そして最初に「お濃茶」次に「お薄」を頂きました。前者は孫娘との回し飲み、後者は二服頂きました。
(4)お濃茶の茶碗は、私は今回は初めて拝見した「嶋台茶碗」という楽焼です。おめでたい時に使う茶碗だそうで、私が誕生日を迎えたばかりなのを覚えていてくれてのことです。和菓子は二種類、干菓子は京都末富の「うす紅」という、とても上品な味でした。
(5)――亭主は点てるだけで、客の方は正客だけが話をする。利休の言葉で「わがたから、わがほとけ、むこしゅうと」の話は避ける。自慢話や宗教や身近の人の悪口は言わないーー
素人だからと言われるでしょうが、こういう決まりは、私にはやや堅苦しい気もします。
亭主も一緒に自分の点てた茶を飲み、次客以下も会話に参加する、そういう自由さがあってもいいのではないか、という気もするのですが。
5.何れにせよ、ここで頂く茶席は気楽・自由ですから、会話も広がります。
私はもう忘れていましたが、銀行時代の若い頃、彼女やその同僚を我が家に招いたことがあった。
そのとき、まだ幼稚園のころの長男から謎々を出されて答えが分からなかった、という思い出話をしてくれました。よくそんな昔のことを覚えているものです。
「目でみないで、手でみるものは、何だ?」という謎々だったそうです。
この「長男」というのが、その日の孫娘の父親で、面白がって聞いていました。いまでは本人が問いも答えも忘れているかもしれない、早速、父親にこの謎々を問いかけてみよう、と言っていました。
6.森下さんの本には、本の題名になった言葉に関する、こんな文章があります。(写真6-4874「日日是~」)
――短い掛け軸に、大きく二文字、書かれていた。「聴雨」(・・・・雨を聴く!)。
(略)
雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には暑さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう。。・・・・どんな日も、その日を思う存分味わう。
(略)雨の日をこんなふうに味わえるなら、どんな日も「いい日」になるのだ。毎日がいい日に・・・・「日日是好日(にちにちこれこうじつ)。
(略)「日日是好日」の額は、初めて先生の家に来た日から、いつもそこに掲げられていた。」。―――
なるほど、と思って、我が家の狭い玄関に毎日掛けてある、善光寺のもとお上人一条智光さん(亡き母の従姉です)の書をあらためて眺めました。
ところで最後に、謎々の答えは、「お風呂の湯加減」だそうです。