飯鮓の時期も終わり、保守とリベラルを考える

1.世田谷の羽根木公園での梅まつりを見てきました。途中の北沢川緑道では亀が日向ぼっこをしていました。

f:id:ksen:20190301134812j:plain緑道沿いを歩くと引っ越し会社のトラックが停まっていて、車の横に大きく「葛飾北斎は93回引っ越したらしい」と書いてありました。

そろそろ引っ越しの時期なので、宣伝に北斎の名前を使っているのが面白いです。「新北斎展」を東京の美術館でやっているのにひっかけているかもしれません。

f:id:ksen:20190208101257j:plain北斎と言えば、1月20日東京新聞に、「モスクワで北斎まとった高層住宅」という記事が出ていました。代表作「富岳三十六景神奈川沖浪裏」が壁面に大きく描かれた高層住宅が完成して、売れ行き好調だそうです。

因みに、昨年秋にモスクワのプーシキン美術館で開催された「江戸絵画名品展」ではこの「沖浪裏」や尾形光琳の屏風絵が展示されて、平日でも行列ができる盛況だった由。 

f:id:ksen:20190301153134j:plain2. 3月に入りましたが、まだ冬の話を少し。

冬には我が家では、家人が「飯鮓(いずし)」を作ってくれて、これを夕食時に晩酌と一緒に賞味するのがなかなかいけるのです。

北国の料理で、家人は新潟出身の友人に教えてもらって、友人の家で代々守っていたやりかたで作っています。

ごはんと麹に鮭や鰊などの魚、蕪などの野菜を混ぜて10日間ほど置いて発酵させるという、おそらく昔から伝わる冬の保存食です。寒い間に少しずつ頂きます。 

 手がかかるので、いまは北国の家庭でも作る人は減っているでしょう。

友人にとっても、秘伝を伝える人は家族を含めて居なくなり、家人のような関係もないのに受け継いでいる存在はとても嬉しいのではないかと思います。

 

こういう味を「おいしい」と言って食べてくれる人が家に居れば作り甲斐もあるでしょうが、そうでもなければ手間暇かけてやる気が出てこないのはよくわかります。

 

しかし、これも1つの、残しておきたい伝統(食)文化だと思います。

このご夫妻はともに、ご先祖は新潟の豪農(名主)です。奥様は村上、夫は新発田の出身、夫の方は父上が次男ですが、生家はいまも本家が守っていて、毎年6月にはバラ園を公開しています。

http://ninomiyake.com/

日本庭園を含む約3000坪の敷地とお屋敷をまだ保存し、そこに住んでおられる。

私のような、東京の戦災で家を失った庶民には想像もつかない「文化」です。

昔なら使用人も大勢いたのでしょうが、それでも「飯鮓」は母上直伝だそうで、おそらく豪農でもこういうことは自ら手を下して守ってきたのだろうと推測します。

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3.こんなことを書くと、よくコメントを頂く我善坊さんからまた便りがあるかな?

(1)というのは、彼は「真正保守」を名乗り、私は僭越ながら「リベラル」を自負しているつもりで、時々議論があります。

ところが同氏から、「最近のブログを見ていると、私が典型的な保守派で、自分(我善坊さん)がリベラルだと人には思われるのではないか?」と言われました。

 

同氏が言うには、

(2)「文化と文明は役割が違うのだから、文明の価値にも目を受けるべきではないか?(これは我善坊さんの主張)というのは、典型的な啓蒙思想の末流で、リベラルです。

それに対し、京都を語り、文化の大切さを主張し、茶の湯の体験を語る(これは私の最近のブログ)のは、どう見ても「真正」保守派です」。

 

(3)「街が焼けて同じ建物が復元されなくても(例えばドイツのドレスデンは戦後見事に復元した)、習俗(エートス)さえ残れば良いではないかという(私の主張)は、「物質文明」を軽く見、「精神文化」を重視する立場。これもやはり保守派のもの」。

―――というご指摘です。 

 

4. 今回の「飯鮓」の話で、ますます「保守」と思われるかもしれません。

この問題(保守とは?リベラルとは?)に興味を持つのは私たち二人ぐらいだと思うので、ここで深入りはしません。

しかし私は、そう言われても、やはり自分では(いまは残念ながら日本ではあまり人気がない)「リベラルであること」を大事にしたいと考えています。

それは、「茶の湯」を親しみ「飯鮓」をこよなく愛する態度と、一向に矛盾しないのではないか。

―――リベラリズムは、自由と民主主義を基本原理とし、個人の自立とみんなの利益をともに守り、権力への警戒を怠らず、社会は草の根の市民の努力によって徐々に良くしていくことができると信じ、論争(debate)と改革によって進歩を達成することに賭ける思想であるーーー

と英国エコノミスト誌は定義します。

多様性と寛容を大切にします。J.S.ミルは「われわれはなるべく変わった人になるのが望ましい」と説きました(『自由論』)。

 

以前のブログでも紹介しましたが、同誌は1843年、日本の天保時代、当時のイギリス政府が実現させようとした穀物法(穀物の輸入に関税を課す)に反対し(そしてその撤回に成功した)、リベラリズムを主張する雑誌として発刊されました。

150周年を迎えた昨年、同誌は記念の特集号を出し、論説で「世界中のリベラルよ、再び結集しよう!」と呼びかけました。

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 5. 先週はいろいろと国の内外で出来事の多い週でした。

その中で、2月25日(月)の朝刊は、どこの新聞も以下の3つの国内のニュースを一面に取り上げました。言うまでもなく、

(1)辺野古新基地建設をめぐる沖縄県民投票―結果は、投票率52%強、反対72%

(2) ドナルド・キーン氏死去(96歳)

(3)天皇即位30年の記念式典、の3つです。

 

これらの記事を読みながら私は、「リベラルよ再結集しよう!」というエコノミスト誌の呼びかけを思い出しました。

 

(1)であれば、先週はこの問題が気になって、他の報道を追いながら、内心忸怩たる思いが続いていました。

私たちヤマトンチューは、この問題を、「米朝首脳会談」や「米中摩擦」や「英国のEU離脱」や「トランプのもと弁護士の議会証言」より、身近に感じただろうか?

私自身、先週は後者に関する情報を追うのにより時間を使ったように思います。それでよいのか?私はもっと沖縄で何が起きているかを考え・語り合うべきではないのか?それが「リベラル」の義務ではないのか? 

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(2) について言えば、ドナルド・キーン氏が、生前の発言や行動からみて「リベラル」であったことは間違いないでしょう。

 

(3) については、もちろん国民「統合」の象徴である存在について軽々に発言することは慎しむべきです。しかし、キーンさんの中で日本の古典文化芸能に対する愛情とリベラルな思考とが共存していたように、天皇宮中祭祀に熱心なことと沖縄に対する想いとは矛盾しないのではないかと考えるのです。