今年初めての蓼科と赤ん坊のお守り

  1. (1)先週は気温の低い日が多かったですが、その前の週末は暖かく、家人と二人、今年初めて、2泊3日で蓼科へ行ってきました。過ごし易かったですが、八ヶ岳はまだ雪が残っていました。

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中央高速を走り、釈迦堂のレスト・エリアにある花桃の林がほぼ満開で,しばらく花見を楽しみました。千円で苗木を買って、東京の狭い庭に植えました。

(2)蓼科では、今年も農作物を多少は作る予定で、休耕地を持っている知り合いの農家から借りる予定の土地を見てきました。

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家からすぐ近くで、日当たりもよさそうです。昨年借りた土地が太陽光発電の会社からオファーがあって20年の賃貸借契約を結んだそうで、畑としては使えなくなってしまい、代替地を提供してくれたのです。

高齢夫婦が、これからもどこまで農作に取り組めるか分かりませんが、幸いに年下の友人夫婦と2区画に分けて使い、かつ我々農地は長女の夫婦が一緒にやってくれる予定で、最小限のことはやれるかなと思っています。とにかく、この地で夏に、採れたての野菜を食べることほどおいしいものはありません。

ということで天気にも恵まれ、事もはかどった滞在でした。

(3)この地は年間の日照時間の長いことでは有数の場所だそうで、このところ太陽発電の場所がやたらに増えました。それだけ休耕地が多いということもあるでしょう。農地の景観がすっかり変わりました。エネルギー源として頼れる存在になっていくのであれば、原発は要らなくなるのではないかと期待しています。

f:id:ksen:20190405150140j:plain2.(1)そのあと、東京に帰宅した先週は、次女が出張で、おまけに1歳2か月の孫娘を連れてロンドンからやって来ました。

こういうスタイルで一時帰国するのは今回が2回目ですが、ホテルに泊まる訳にはいかず、出張にも拘わらず、狭い我が家に滞在しました。赤ん坊は時差を自分で調整することなどできませんから、昼に寝て夜は起きてる。

娘はこれに付き合っていたら昼の仕事はできません。仕方がないから、夜はもっぱら家人が、寝ない孫娘の面倒をみることになります。

(2)ということで、家人はいささかグロッキー気味で、昨日の土曜日に出発したあとはさすがにお役を果たしてほっとしたようです。

 私は少しお守りをした程度で、土曜日は一緒に羽田空港まで見送りに行きました。見送って、空港で少しゆっくりして、帰りは空港から渋谷までのバスの中で寝ていました。

良い天気でした。

(3)それにしても、次女の場合、二人の子供を育て、自分もロンドンの金融街で働いているのですから、たいへんです。亭主がだいぶ手伝ってくれるようですが、それにしても子育ての重点は母親にかかってくるでしょう。昨年の10月も同じでしたが赤ん坊にはまだ、離乳食と授乳の両方をやっていて、それもあって今回も「子連れ出張」となりました。

f:id:ksen:20190413103041j:plain今回の出張は若い部下も一緒だったそうで、彼も上司の女性の赤ん坊連れには驚いたかもしれません。もっとも英国ではさほど珍しい光景ではないかもしれません。

(4)この時期、ここまでして来ざるを得ない理由は当然あるのでしょう。仕事の話はほとんどしませんが、最終日の12日(金)は朝の7時に出て、夜の9時近くに帰宅、外部との面談を3つ、内部でのミーティングを3つこなしたそうで、さすがにくたびれた様子。頂き物の、割といける豪州の赤ワインPenfolds Bin389 を開けて慰労しました。

まあ、若いということは元気なものです。

我々老夫婦は、普段は遠く離れていて面倒見られないので、たまに孫娘のお守りをやって多少の役に立つのであれば、まあ生きている意味もほんの少しあるのかな、と家人と話したばかりです。

それにしても上野千鶴子東大名誉教授の入学式での祝辞が話題になっていますが、日本はまだこんな当たり前のメッセージが話題になるぐらいの社会なのか、とも感じます。 

3.(1)ということで今回は身辺の出来事中心になってしまい、私事ばかりで恐縮です。

お守り疲れで、堅い話は取りあげる気分ではなく、最後に前回に続いて家庭麻雀の話を報告します。

前回、始めたばかりの家人が「大三元」をつもって驚いた、と書きました。

京都人の下前さんからコメントを頂き、「麻雀習いかけの祇園の芸妓と卓を囲んで、『同じ牌が4枚揃いました。如何しましょ。』と言われ・・・・後ろから一枚取りなさいと言うと 『また4枚揃いました』。もう一枚お取りと言うと『全部揃って捨てる牌が無いという。「開けてご覧」と言うと四暗刻 自積って和了あがってました』とありました。

祇園の芸妓さんと卓を囲むとは何とも華やかで、さすが京都ですね。

f:id:ksen:20190405101141j:plain(2)そこで思い出したのですが、四暗刻(スーアンコ)については私も経験があります。

大三元を家人が上がった時の数か月前、同じメンバーによる麻雀会。3組6人で、習いかけの女性3人に男性が1人入り、残りの2人はワイングラス片手に後ろから見ています。たしか横浜青葉台のお宅での出来事。

某氏夫人の後ろで私が見ていたら、何と、暗刻(アンコ)がどんどんできてきます。

と思っていたら、右隣(つまり下家(しもちゃ))の某氏(これが男性1人加わったご亭主です)が立直(リーチ)を掛けました。

(3)何巡か回ったところで、某氏夫人は、とうとう暗刻を4組もってきました。役満四暗刻が出来上がり、テンパッたのです。余ったパイは、五索(イーソウ)と六索(リューソウ)の2枚で、そのどちらかを切って残り1枚で待って、聴牌(テンパイ)です。その1枚が場に出るか、つもれば、それで頭が出来て、出来上がり四暗刻の上りです。

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(4)ところが、五索(イーソウ)と六索(リューソウ)も場に1枚も出ておらず、立直を掛けている右隣がそのどちらかで待っているかもしれず、まことに出しにくい、いわゆる「危険牌」です。

さあ、私だったらどうするか?

もちろん本人が最終的に決断するのですが、私は思わず興奮して、「さて、ここで名誉を守るか(つまり四暗刻を残して、危ないと思う(もちろん当らない可能性もない訳ではない)五か六を切るか?それとも、リスクを避けて、四暗刻を諦めて、より上がる可能性の高い手にするか?の選択ですね」と囁きました。

(5)暫く考えた某氏夫人は、どうしたと思いますか?

四暗刻の1つ、いちばん安全な牌の1枚を切って、それを「頭」にして、三暗刻の手に変えました。

結果、五索(イーソウ)と六索(リューソウ)が並びますから、四か七が出れば上がりです。

そうしたら、何と右隣のご亭主がすぐに七索(チーソウ)を出して、某夫人の上りです。

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しかも、さらに驚いたことに、ご亭主の待ちは五索(イーソウ)と六索(リューソウ)。つまり四暗刻を残して、このどちらかを捨てていれば、どちらでも振り込んでしまった訳です。 

(6)偶然と言えばそれまでですが、こんなに偶然が重なった状況は、私の長い麻雀生活でも初めてです。

実は、この話を長男と、出張でロンドンからきている次女に話して聞かせました。

すると2人とも即座に「それは、出来ている四暗刻を捨てるなんてことはあり得ない」というコメントでした。

「しかし、そうしたら振り込んでたんだよ」と説明しても「それはあくまで結果論」と反論されました。

私はいまでも某氏夫人の判断は(たしかに結果論ではありますが)正しかったと思っているのですが、こと麻雀に関する限りは私より腕前に自信のある2人の子供は別の意見なので、ちょっと面白いなと思った次第です。

碌でもない話でまことに恐縮ですが、皆さんならどう思われるでしょうか?