- 前回は昔の職場の同期会のことを書きました。夫婦同伴というのは珍しい、とコメントを頂きました。製造業の大企業に勤めたMasuiさんが、「人数こそ沢山いますが、男性ばかりで、最後は元気よく社歌を歌ってお別れです。」とあり、「社歌」のある会社もあって、それを歌うんだと初めて教えてもらいました。私の職場には社歌というのは無く、無いことが当たり前で、今まで考えたことがありませんでした。会社によって文化は様々なのでしょう。
2.他方で、岡村さんからは、同期会とは無関係ですが、夫婦同伴の集まりから連想し
た思い出話の披露がありました。
――高校の卒業旅行に京都から3人で伊豆に行き、泊まったユースホテルで東京から来た3人の女子高校生と知り合った。6人で親しくなって連絡先を交換した。
その後、とくに交流はなかったところ、何と50年たって連絡が復活し、「東おばさんと京じいさんが連休明けに東京の神保町で会う事になったのです。50年の歳月を彼女達はどの様な喜びと悲しみの人生を送って来たのか、話が聞けるでしょうか?―――
こんなことってあるんですね。
一人一人の話から、何か小説でも書けそうな気もします。
実は、このうちの男女1組はその後結婚していて、残りの5人はまったく知らなかった、なんていうことが神保町の再会で分かったりして・・・・。
そういえば、私も60年近い昔、大学に入ったばかりの中高同級生4人で北海道に旅したことがあります。
やはり、ユースホテル泊まりの、しかも急行を使わない安上がりの旅で、網走だったかで、関西からの女子大生4人と一緒になりました。
名前と連絡先ぐらい交換したような記憶がありますが、結局その後、お互いに音信不通。
「東男と京女」という理想的な組み合わせだと思ったのに・・・
もっとも1人は珍しい名前なので今も覚えていますが、辰馬さん、灘の酒屋のお嬢さんとかで、つまり「京女」ではなかったのです。
酒好きな1人が「酒屋の娘と結婚したら一生ただ酒が飲めるかな」と、みみっちいことを言ったような記憶がありますが、定かではありません。
3.岡村さんの話で面白いと思ったのは、何十年も昔に聞いた電話番号で連絡が取れたという点です。
これはやはり、京都だからではないか、と考えました。
祇園で生まれ、育ち、その後海外放浪はしたようだが落ち着いて、祇園で暮らし、今に至る、住所も電話番号も変わらない・・・・
京都だけではないとしても、日本では少なくなっているのではないか。東京なら、そもそも1か所に定住する人が少ないだろうし、住所表記などの変化もあるだろう。地方都市だって過疎化が進み、人の移動、変化は激しいのではないか。
京都の、とくに洛中あたりであれば、「今出川通烏丸(からすま)東入る」(従妹の住まい)だの、「柳馬場(やなぎのばんば)六角下がる」(私が10年以上住んでいたアパート)なんていう住所がおそらく戦前からいまも、(郵便番号に無関係に)存在しており、しかも地理を頭に入れるにはまことに便利です。
だから、岡村さんは当たり前と思っているかもしれないけど私には面白く、「50年ぶりに神田神保町(これも東京にしては珍しく、江戸時代から残る地名です)で皆で会わない?」なんていう電話が何の不自然さもなく、届くわけです。
「変わらない」ということには、どことなくほっとするところがあります。
4.もっとも、「変わる」ことの方が圧倒的に多いのは当然ですが、良い方への「変化」だといいですね。
(1)前回書いたように、たまたま16日の同期会の前あたりから引いていた風邪をこじらせました。
近くのホームドクターで薬を貰ったのですが、一向に治らないので再度診てもらい、レントゲンを撮ってもらったら、「肺炎らしい、入院になるかも」と脅かされて、紹介状を貰って、家人と2人、その足で目黒区大橋の東邦大学病院に行ったところ、「立派な急性肺炎、但し入院は不要、抗生物質を飲んで安静に」と言われました。幸いに家人はただの風邪でした。
(2)これが22日の月曜日、その後の1週間は全ての予定をキャンセルして医者の指示通り安静にして、昨日27日の土曜日に再診に行ったところ、無事に釈放されました。
多少の数値を別にすれば、ほぼ平常に戻り、熱も平熱で、菌も出ていないとのこと。
親切なお医者さんでいろいろ話がありましたが、「いまが江戸時代なら、死んでますよ」と言われて、あらためてなるほどなと思いました。
言うまでもなく、抗生物質のお陰です。
(3)ただ面白いと思ったのは、私自身、普段あまり病院に行かないので、今回も久しぶりでしたが、この間(だいぶ前からからかもしれませんが)治療のやり方が違ったなと感じました。
病院に詳しい方にとっては珍しい話でも何でもなく、とっくの昔にご存知でしょうが、
・ホーム・ドクターから大きな大学病院へ送り込むやり方のシステム化。
・抗生物質を安易には出さないという処方のし方。
前者は,私の昔の海外暮らしの経験で、英米は当時からこのシステム(病院相互の連携と患者情報の共有)が当たり前でいいなと思っていましたが、日本も今や立派なものです。
後者は、私が知らなかっただけで今や常識らしいですが、昔はただの風邪でも少し熱があれば、抗生物質を飲ませてくれたような気がします。
最近はそういうことはしなくなった。
ホーム・ドクターからも専門医からも言われましたが、「ただの風邪では抗生物質は出しません。それには最近の知見による理由がある」とのこと。
ついでに、「熱はもちろん苦しいが、ただ薬を飲んで下げればいいというものではない。熱が出るということは、悪玉の菌と戦っているのだから、耐えられるなら38度5分以下であれば熱さましは飲まない方がよい」―――こんなことを言われたのも初めてです。
以上、普通の方にとっては常識かもしれませんが、もともと数値など医療の知識は殆どない私には、「医療も変わったなあ」と感じたので報告しておきます。
5, 何れにせよ、「江戸時代なら生死にかかわる大病から回復したばかりだと理解して、治ったからといって暫くは安静に過ごすように」と最後にまたアドバイスを受けました。
そんなわけで10連休は、東京で静かに過ごすつもりです。畑の整地、畝づくり、野菜の種付けなどは全て若者に任せて、老人は老人らしくです。蓼科の満開の桜を今年は見られないのは少し残念ですが。
最後に補足ですが、昨日、帰院してから、10日ぶりにほんの少し歩いたので、その折りのいつもの散歩道でのスナップ写真(駒場民芸館と花みづき、東大駒場キャンパスと図書館、新緑が美しい銀杏並木)をお目汚しに載せさせて頂きます。