『2038滅びに至る日々』(廣田尚久、河出書房新社)を読む

1.昨夜はラグビーW杯決勝を蓼科でTV観戦しました。

スタンドに「サー・エディーを首相に(Sir Eddie for PM)!」と書いて応援する英国人ファンがいました。たしかに優勝したら叙勲して「サー・エディー」になったかもしれない。「首相に!」というのが面白い。もちろんジョークでしょうが(エディーはオーストラリア人)、よほど今のBrexitをめぐる政治の混乱にうんざりしているのでしょう。

  今年最後の滞在に、田舎家に短期間来ています。水抜きをして家を閉めて、来年来られればよいなと思いつつ東京に戻ります。この時期、紅葉がきれいで、静かな山奥です。

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2.10月27日から11月9日までは読書週間です。評論家の斎藤美奈子さんによると、

「若者や子どもの読書離れがささやかれて久しいが、子どもが読む本の数はさほど減っていない」そうです。新聞のコラムに、「小学生が読む本の冊数は一カ月で約十冊、中学生は約四冊だ。一方、成人の場合は約半数が月に一冊も読んでいない」と書いて、「私の率直な感想は「中高年男性が本を読まなくなったんだな」である」と続けています。

 そういえば、渋谷の本屋(東急百貨店の中にある)に行く途中、歩道を夢中になって本を読みながら歩いている小学生の姿を見かけました。いま「スマホ歩き」が殆どで「読書歩き」は見たことがなく、珍しい光景です。危ないなと思いながら、他方で自分にもそんな子供時代が昔あったなと懐かしくなって、思わず写真を撮ってしまいました。

 読みかけの本がどうしても手から離せず、通学帰りのバスを降りても、区切りがつくまでは歩いても読みつづけてしまう、そんな中学時代の思い出が私にもあります。この少年の気持ちがよく分かります。

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3.たまたま友人が、自分が書いた小説を送ってくれたので、いろんな「中高年」がいるなと考えました。

『2038滅びに至る門』は、彼が今年の3月、河出書房新社から出したものです。

 中高・大学と一緒だった彼は、卒業後某鉄鋼メーカーに就職したがすぐに辞めて6年後に司法試験に合格し、弁護士になりました。「紛争解決学」が専門でその方面の著書もあり、法科大学院でも教えました。

 かたがた、65歳で最初の小説を出版し、本作が5作目。ベーシック・インカム問題を取り上げた次作もすでに書き終えて、出版社に渡したそうです。

 そのエネルギーと物語を作りあげる能力に感心します。

f:id:ksen:20190921154502j:plain ITが専門の西垣通東大名誉教授が、7月23日の毎日新聞に長文の書評を載せました。

(1) 本書『滅びに至る門』は、約20年後の近未来を扱った、いわゆる「デストピアユートピア・理想郷と正反対の社会)小説」です。 

(2) 2038年の世界、「アメリカ合衆・連邦国」が舞台。そこでは特別のAIが開発されて人間の知能を超えて、アレクサンドロス十九世と呼ばれる皇帝になり、国の最高施策を決定するようになる。

(3) その皇帝が宣託(神のお告げ)を述べて、核攻撃が起こり、世界は破滅に向かう。

という物語です。

4.この点を以下に少し補足します。

(1)本書が描く20年後の世界は以下のようなものです。――

・まず、依然として「地球は「国」という単位で仕切られている」。

アメリカが南北アメリカを合わせた大規模かつ強大な連邦国家になり、自給自足が可能になり、移民の受け入れも禁止し、「他国の疲弊や解体を尻目に見て、ひとり勝ちの状況にある」。

・他方でEUは縮小を重ね、多民族国家のドイツは紛争に明け暮れ、フランスはイスラムが多数を占めている。「ロシアは見る影もなく」、中国は衰退し、八つの小さな独立国家が生まれた。中東やアフリカは相変わらず内戦が絶えない・・・

――20年後のこういう世界の姿、とくに南北アメリカの統一などは現実的でない気はします。

 しかし、小説は「何を、どのように書いてもいい自由な文学形式」なので、想像することは十分許されるし、面白いです。(フランスが近未来にイスラム国家になるという小説が、4年前にフランスで出版されてベストセラーになり、邦訳もされました)。

(2)ところが、このような「ひとり勝ち」のアメリカの問題は、社会が分断され荒廃していること。

 西垣氏の書評を引用すると、

「歴史家ハラリが『ホモ・デウス』で予言したように、人間は(AI社会を生き残った)ごく少数の上層民と圧倒的多数の下層民に分断される。上層民はマネーゲームにうつつを抜かし、富を独占して酒池肉林の生活に溺れるばかり。下層民は地を這うように生きているが、下手をするとたちまち棄民として環境汚染地域に追放されてしまう」。

(3)AIは人間の知能を超えるようになった。しかし道徳と倫理は相変わらず人間並みであり、「ヒトは、特異な共食い動物です」と登場人物が指摘するような状況は変わらない。

 だからこそAIの最高指導者は,「パリのエッフェル塔周辺を弾道ミサイルをもって攻撃せよ」という、奇怪で怖ろしい宣託を述べてしまう。

 果たしてアメリカ大統領は、この新しい「神の声」に従うだろうか?

f:id:ksen:20191101185628j:plain5.「ヒトは特異な共食い動物」という嘆きに、私は、本年1月に93歳で死去した哲学者の梅原猛が生前書いていたことを思い出しました。

 東京新聞に26年間も随想を連載した氏は、2016年4月25日号に、「戦争する動物」と題して、以下のように書きます。

「私は甚だ悲観的な人間観をもっている。それは、人間というものは戦争すなわち大量の同類殺害を行う動物であるという考え方である。

 人間以外の動物は、人間が行うような大量の同類殺害をほとんど行わない。

 ゴリラは人間よりはるかに平和を愛する文化的な動物ではなかろうか」。

 そして、「長年の思索の結果・・・・、人間という甚だ知能の発達した動物が行った自然破壊という暴挙が、その始まりではないかという答えを見つけた」と続けます。

―――たしかに、よく晴れた秋の空を眺め、色づいた木々を眺め、鹿や小鳥の姿を眺めながらひとりで歩いていると、梅原氏の嘆きが伝わってくるような気がします。

f:id:ksen:20191031123403j:plain        他方で本書の著者は、宗教とくに一神教の神を人間がつくったことに原因があるという意見を、破滅する世界の隅に追いやられた棄民たちに言わせます。

 旧約・新訳聖書の唯一神であるヤハウェを「狂暴で、嫉妬深い神」と呼んだり、「ヒトが神をつくって戦争や人殺しを正当化したのではないか」という、宗教を信じる人にとってはかなり刺激的な言葉が紹介されます。

6.しかし本書は同時に、そういう棄民たちに少しの希望があるという逸話も語ります。

すなわち、西垣氏が紹介するように、

「棄民の集落では、人々が盲目のピアニストの音楽に耳を傾けながら、ひっそりと暮らしている。その情景は美しい」。

 人間はゴリラと違って「戦争する動物」かもしれない。

 しかし同時に、「音楽を奏で、それを聞く動物」、本書の著者のように「本を書き」、「それを読み、感じる動物」でもある・・・・・

 そういえば、前回のブログに、新天皇が皇太子時代に書いた「テムズとともに」を紹介したところ、岡村さんから「滅多に行かない図書館で借りて読んでみたい」という読書週間らしいコメントを頂きました。