またまたヴェルディのオペラ「ナブッコ」から「Va pensiero(行け、我が想いよ)」

1. 寒い日が続きます。小さな庭の花みづきの木に家人が毎朝みかんを下げておくと、小鳥がやってきてつまんでいきます。メジロが多いです。


大きなひよどりがやってきて、小さいメジロの前に食べはじめ、家人はメジロに同情して追い払おうとします。「ひよどりだってお腹空いてると思うよ」と私が止めます。
 それから二人で朝の散歩に出かけます。
先週の某日は、朝から少し遠出をして小田急ロマンスカーに乗って箱根湯本まで日帰り温泉に行きました。

「はつ花」という老舗の蕎麦屋のあと湯本富士屋ホテルで入浴、「ユトリロ」という喫茶店でお菓子と珈琲を頂き、夕方には帰宅するという手軽で安上がりな「散歩」です。
ユトリロ」には、本物の彼の絵が飾ってあり、のんびりした、今は東京には少なくなった喫茶店です。


2. ところで今回は、「タイム2018年今年の人」の続編(次点など)を書こうと考えていたのですが、コメントを頂いたので、そのお礼と補足で終わりたいと思います。

まず、2013年11月1日付のブログに5年以上経った今年の1月6日付でコメントを頂いた澤田様にお礼を申し上げます。
こんな昔に書いた文章を今だに読んでくれる人がいること自体、なぜサイトに行きついたのだろうと不思議な気もしますが、まことに光栄です。
頂いたのは、「“第2の国歌、Va pensiero”は日本にもあるか?」と題する私の古いブログに、
「国民の歌『若い日本』はご存知ないでしょうか?2万数千の応募作品から選ばれた文字通り国民の歌です」という回答です。
申し訳ありませんが、私は知りませんでした。


3. ということで、古いブログとダブリますが、「Va pensiero(行け、私の想いよ、というイタリア語だそうです)」について以下に補足したいと思います。

(1) http://d.hatena.ne.jp/ksen/20131101
のブログは「イタリアのヴェルディのオペラ『ナブッコ』で歌われる合唱曲“行け我が想いよ、黄金の翼に乗って”がイタリア人に「第2の国歌」として愛唱されている。翻って日本で、自然発生的に皆が歌い、その背景に素敵な「物語」もあり、「これが第二の国歌」と言えるような歌は何だろうか?と問うたものです。


(2) 教えて頂いた国民の歌『若い日本』は、「東京オリンピックの前年、内閣、総理府
電通NHK、民放各社、新聞社、レコード会社などの呼びかけに、日本全国から2万数千の作品(歌詞)が寄せられた。そのうち3作に曲をつけてNHKで全国放送された」そうです。
この歌、Youtubeで聴くことができます。
https://search.yahoo.co.jp/video/search;_ylt=A2Ri8cjwbjlcyX8AkRmJBtF7?p=%E5%9B%BD%E6%B0%91%E3%81%AE%E6%AD%8C%E3%80%8E%E8%8B%A5%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%80%8F&fr=top_ga1_sa&ei=UTF-8

これが「国民の歌」であることに異存はありません。
しかし、実は私が想定したのは、政府が号令して電通やメディアも一緒になって宣伝するような歌ではありませんでした。


4.(1)『ナブッコ』は1842年にミラノ・スカラ座で初演。旧約聖書に出てくる、紀元前バビロニアの王ネブカドネザルと「バビロンの幽囚」の話。
「行け我が想いよ、黄金の翼に乗って」は、オペラの中で、囚われてバビロンの奴隷になったヘブライ人が懐かしい祖国を想って歌うコーラスです。
「O,mia patria, si bella e perduta! (ああ、失われた、美しいわが祖国よ!)」という一節もあります。
(2) 初演当時、イタリアはオーストリア帝国の圧制に苦しんで独立運動も盛んな時期であり、聴衆はこの歌を自分たちの「独立の想い」に重ね合わせで愛唱しました。
ミラノでのヴェルディの葬式のときは沿道に1万人もの市民が集まって、彼らがこの歌を自然に歌いだして葬列を見送ったと言います。

(3) 今も、『ナブッコ』でこの歌が歌われると拍手が鳴りやまず、指揮者はいったん流れ
を中断して、もう一度繰り返すこともあります。


2011年ローマ歌劇場でのリカルド・ムーティ指揮の時は、拍手のあまりの長さに、ムーティは中断して聴衆に語り掛け、時のベルルスコーニ政権を皮肉り、そしてもう一度タクトを振り、聴衆も立ち上がって一緒に歌いました。

この場面は以下のYoutubeで見ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=G_gmtO6JnRs

ムーティのイタリア語、私にはちんぷんかんぷんですが、こういう内容だそうです。
――「(観客)イタリア万歳!」
「(以下ムーティ)ええ、その通り、『イタリア万歳』。
しかし、私は今、祖国に起こりつつあることを、深く憂うるのです。
ですから、もし皆さんのご希望に答えて私が、<行け、我が想いよ、金色の翼に乗って>をアンコールするとしたら、それは単に愛国的な理由からではなく、合唱が
<おお、かくも美しく、失われたわが祖国よ、Oh,mia patria si bella e perduta!>と歌うとき、
もし、私たちが、イタリアの歴史を背負っている文化を殺してしまうなら、まさに、かくも美しく、そして失われた祖国になってしまう、と私は思うからなのです。(拍手)


今ここでは、とても雰囲気が盛り上がっていますし、私ムーティはかくも永き間、聞く耳を持たぬ者を、幾度となく説得しようとして務めてきたのですから、私たちの家、この首都の歌劇場で、合唱は素晴らしいし、オーケストラも見事に演奏したところで、皆さんもどうぞ加わってください。
皆で一緒に歌いましょう(拍手)」―――


5.指揮者と演奏と舞台と、そして観客が一体となった、いい場面だと思います。
背景を理解して、このYoutubeを聴くと、また気持がいっそう引き込まれます。


以上が、私が考える「「第2の国歌」と言われるような歌をめぐる物語」です。