「里の秋」「海行かば」そして「Bank of Tokyo Building」

1. 東京は良い天気が続き、相変わらず、メジロが昨日は二羽でミカンをついばんでいます。

2. 前回のブログに、童謡「里の秋」に出来れば「物語」が欲しいと書いたところ、
我善坊さんから3番の歌詞は、
「さよならさよなら椰子の島、お船に揺られて帰られる、ああ父さんよご無事でとー」で、「戦地から帰る父を待つ」という「物語」がある、
と教えて頂きました。
 私は3番の歌詞は知らなかったので、有難うございました。
他方で別の友人からメールを頂き、それには、「戦時中に作られたため、元の歌詞(3番、4番)は戦意高揚の意味が込められていたようです。戦後になって3番の歌詞を少し改変して世に出たそうです」とありました。


面白いなと思って検索したところ、ウィキペディアに記載があり、以下のような「物語」のようです。

(1) 作詞は斎藤信夫、作曲は海沼実。
1945年(昭和20年)12月24日、ラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」の中で、
引揚援護局のあいさつの後、川田正子の新曲として全国に向けて放送された。
放送直後から多くの反響があり、翌年に始まったラジオ番組「復員だより」の曲として使われた。

(2) 他方で、『星月夜』(ほしづきよ)という童謡があり、同じ作詞家斎藤信夫がまだ国
民学校の教師をしていた1941年(昭和16年)12月に作られた。

1,2番は「里の秋」と同じ歌詞だが、続く後半の3,4番は「父さんの活躍を祈ってます。将来ボクも国を護ります」という内容で締めくくられている。
童謡にしてもらうため海沼に送ったものの、曲が付けられる事はなかった。
やがて終戦を迎え、海沼は放送局から番組に使う曲を依頼され、要望に合った歌詞を探して見つけたのが「星月夜」だった。
そのままの歌詞では使えないと判断した海沼は、斎藤に東京まで出てくるように電報を打つ。
戦争で戦う様に教えていた事に責任を感じた斎藤は、終戦後、教師を辞めていた。
電報を受けた斎藤はすぐに海沼に会いに行き、「星月夜」の歌詞を書き変える作業を始めたがなかなか進まず、曲名が「里の秋」に変えられたのも放送当日だった。


(3) というような事情がある曲だそうです。
終戦当時、日本の国民のうち、外地と呼ばれる地域にいた民間人と軍人は約660万人。(略)この時代は一日一日を生きるのが必死であり、父親が無事に帰る事が希望だった家庭も少なくなかった。
反響が大きかった事情を考えると、食料や住居不足、インフレなど厳しい世相の中、「里の秋」は年の瀬の人々の心を慰めたと考えられる。」
ともあります。
たしかに、この歌には日本らしい、悲しい「物語」がありますね。

3. 戦争の悲劇を思い出し、それが「物語」を作り上げる歌はいろいろあるでしょう。
私の場合、記憶にあるのは、大伴家持長歌万葉集)に信時潔が曲をつけた「海ゆかば」です。

 
もう15年以上も昔ですが、叔父(母の弟)が亡くなり、その葬式に出た時です。
彼は学徒出陣をして、特攻隊の生き残りでした。
葬儀には同じく生き残りの戦友が6,7人居られたでしょうか。もちろん皆さんすでに老人でしたが、叔父のお棺の前に直立不動の姿勢を正して、敬礼をして「海ゆかば」を歌ってくれました。
http://www.youtube.com/watch?v=cPkAPiJqwlg
それから皆でお棺を車まで運んでくれました。喪主を務めた年下の従弟といまでもその思い出話をすることがあります。
叔父からは、戦友が眠る南の海に灰の一部を撒いてほしいという遺言があって、従弟はその後、実行したそうです。

海ゆかば」が軍歌なのか、鎮魂歌なのかについては、議論が分かれるそうです。しかしその葬式のときには後者だと強く感じました。


4. ところで今回の最後に、歌とは関係ありませんが昔話ということで、ニューヨークにある「Bank of Tokyo Building」の報告をさせて頂きます。

(1) 昔、「東京銀行」という名の銀行がありました。戦前の横浜正金銀行の資産を継承し、
戦後、外国為替銀行法に基づく唯一の専門銀行でした。
英語名はBank of Tokyoで、海外ではよく知られた名前でした。
その後、合併を通じて昨年には銀行名も消えました。
(2) ところが「Bank of Tokyo Building」という名前の建物がまだニューヨークに残っ
ていると最近、友人が教えてくれました。
ニューヨークの金融センターであるウォール街やトリニティ教会に近いブロードウェイの100番地にまだ建物が残っていて、1896年完成の「歴史的建造物」だそうです。
東京銀行ニューヨーク支店は100%子会社のアメリカの銀行だった東京銀行信託会社とともに、長らくこのビルの主要なテナントでした。
教えてくれたサイトによると、「この建物の正式名称は“Bank of Tokyo Building”だとあります。

http://www.skyscrapercenter.com/building/bank-of-tokyo-building/11969


他方で英文のウィキペディアによると、「正式名は“American Surety(保証) Building”で「別名(Alternative names) “Bank of Tokyo Building”」と表示されています。

何れにせよ、ネオ・ルネッサンス様式の、マンハッタンにある初期摩天楼の1つとして大きな意義のある建物だそうです。


(3) 関係のない方には何の興味もない話でしょうが、懐かしい方もおられるのではないで
しょうか。
東京銀行の名前は歴史の中に消えてしまいましたが、Bank of Tokyoの名前がまだニューヨークの記念的建物の名前に残っているということがちょっと面白かったのでご報告しておきます。

最後に「トリニティ教会」は日本語のウィペディアの説明もありますが、ブロードウェイ75番地にある米国聖公会英国国教会)の教会で、1846年に建てられたニューヨーク市の歴史的建造物です。
アメリカ建国の父」の1人で「立憲主義の著名な思想家」、そして初代財務長官で10ドル札の肖像に使われているアレクサンダー・ハミルトンの墓があります。
写真の10ドル札が彼で20ドルはアンドリュー・ジャクソン第7代大統領。
1ドルと5ドルが誰か、もちろんご存知でしょうか?