「男はつらいよ、お帰り寅さん」を観る

1.ここ2回続けて、気候変動と「グレタ効果」をご報告しました。コメントをいろい

ろ頂き、関心の高さを感じました。「若者が主導して(権力者や年寄りはせめて邪魔しないで)グレタさんを日本に招いてほしい」という意見もありました。

この問題、私としてはまだまだ勉強も自己努力も足りないと感じています。

2.実は、このブログは日曜の朝にアップするのが原則ですが、今回は京都行で外出す

るので早めに出させて頂きます。

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ということで気楽な話で、映画「男はつらいよ、お帰り寅さん」を家人と二人で観に行ったという報告です。

久しぶりに老人二人が人混みの街を散歩し映画館に入ったきっかけは、岡村さんのフェイスブックの以下のコメントです。

「映画で「おじさん、人間って何のために生きているのかなぁ」と満男が寅さんに語りかけます。「生まれて来て、生きてて良かったと思うことがなんべんかはあるじゃないか、その為に人間生きて居るんじゃないのか」そんなセリフが流れていました」。

以前の「寅さん」映画の場面でしょうが、どうも見た覚えがない。岡村さんが引用された気持ちがわかるいいセリフだな、自分でも映画館で確かめたいと思いました。

3.誰もがご存知でしょうが、ほぼ全作山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズは、

テキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、故郷の葛飾柴又に戻ってきては騒動を起こす人情喜劇で、毎回旅先で出会った「マドンナ」に惚れつつも成就しない寅次郎の恋愛模様を、日本各地の美しい風景を背景に描く」。

主演の渥美清死去によりシリーズはいったん終了したが、20年以上経って第1作以来50年目となる昨年12月に50作目「お帰り寅さん」が公開され、この年の日本国際映画祭のオープニング作品となりました。

本作は、現在の満男(さくらの息子)とかっての恋人・泉とが再会する物語を中心に、昔の場面を織り込み、技術的にも内容的にもよく出来た映画です。

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日本外国人特派員協会が山田監督の記者会見を開き、YoutubeでPCから観ることができます。これもなかなか面白い。

「フーテンの寅」を英語では、「free-spirited fool(自由な精神の愚か者)」と訳していいるが「フーテン」の英訳としてはかなり意訳ではないか?という質問に、山田監督は「意訳でいいんです。精神の自由は寅さんの大事な要素なのです」と答えていました。

第1作では妹さくらを演じる倍賞千恵子はまだ25歳、本作では75歳になって同じ役を演じています。登場人物の誰もが歳を取るが、寅さんだけは変わらない姿で回想場面に登場する。そこが映像の魅力でもあり「変わらない寅さん」の存在感が観客の心を動かします。

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4.「人生の師である」(山田監督)寅さんを、現在の満男はしばしば懐かしく思いだす。

そういう回想のいちばん初めに、冒頭に紹介した、岡村さんが書いておられる場面が出てきます。

どの作品か私には分かりませんが、旅に出る寅さんを高校生になった満男が柴又駅まで送っていく途中での会話です。人生に、恋に悩む満男が問いかけ、立ちどまって暫く考えて寅さんが答える、いい言葉だと思います。監督が本作の冒頭に再録したいと思った気持ちがよく分かります。

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 面白いと思ったのは、このセリフに関して上述した記者会見で外国人特派員から質問が出ました。

 「監督ご自身は、“生きていてよかった”と思うことは何ですか?」という質問です。

山田監督は「弱ったな」と言いながら、次のように答えました。

「私自身は、嬉しいことばかりの世の中には生きていないように思います。いまの世界は、日本国内も国際的にも喜ぶべき状況にはないのではないか。「ああよかった」と思えるような時代まで生きていけたらいいなと思う。それがいちばん大事なことかな・・・・」。

 寅さんの受け答えとは違いますが、これもまたいい返事だなと思いました。88歳にもなってまだ映画を作り続ける、その原点にいまの日本や世界に対する「怒り」がある、その気持ちに打たれました。

そう言えば、寅さんの心にあるのも「怒りではないか」と監督は語っています。

いまある素人雑誌に雑文を書き続けている19世紀の英国の小説家チャールズ・ディケンズのことを思い出しました。『一九八四年』や『動物農場』で世界的に知られるジョージ・オーウェルは、ディケンズを「19世紀リベラルの顔」と呼びます。どういう顔かというと、「ディケンズは笑っているが、その笑いには少し怒りも感じられる。しかし、勝ち誇ったりするところや悪意はいっさいない。つねに何ものかと闘っている、公の場でひるむことなく闘う男の、“寛容な心で、しかし怒っている顔・・・・」。

 ひょっとすると、「自由な精神」を軸にしてディケンズと寅さんとはどこかで共通するところがあるかもしれない、そんなことを考えました。

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5. 最後に、満男の昔の恋人・泉です。40代になった後藤久美子が演じます。

ジュネーブ国連難民高等弁務官事務所に勤めて、久し振りに上司とともに日本に一時帰国したという設定です。

難民救済活動についての講演会を日本で開き、流ちょうなフランス語と英語で説明します。終わって上司の女性と移動します。銀座の華やかな通りを車で走り、二人はフランス語でこんな会話を交わします。

――上司「ずいぶん賑わってるわね」

泉「ええ銀座ですから」

上司「みんな幸せなのかしら?」

泉「どうでしょう~~~不満はないと思いますけど」

上司「不満がなければ幸せなのかしらね」――

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上司役を演じたのはウィーン生まれの文学博士、日本映画史専攻で、明治大学教授。

彼女は、キネマ旬報の特別号でこう書いています。

車中の場面の撮影は、実際に銀座を走る車の中で行われたこと。上記のセリフは山田監督が現場で即興的に作った。しかもフランス語なので、後藤久美子さんと共に、ちょうど良い言葉遣いを目指し、監督の日本語をフランス語に訳し、言葉を選び抜いたこと。

そしてこう続けます。――「数秒で終わるこの場面は、多くの観客は忘れてしまうに違いないが、無意識のうちに少しは残るかもしれない。経済的な豊かさを優先する現代人に対しての、山田監督の小さなメッセージであろう。他に大切なものはないのか。人間同士のつながりの方が重要なのではないか。考えてみれば、寅さんはこうした生き方の象徴である」。

そして山田監督自身はキネマ旬報の中で、この場面についてこう言っています。

「今の日本人は不安を抱いている。~日本の政府はその不安を解消しようとしない。~だから、自分だけは何とかしようと必死になっているのかもしれない。だから訳のわからない焦燥感に駆られている。とても不安な国だよね」。

――――観ているときは笑ったり泣いたりして、終わってみればいろいろ考えさせられる映画でした。