1. (1)もう10日以上前ですが、京都に2泊しました。今回は遅ればせながらその話で
す。中国からのコロナヴィルス発生がすでに報道されていましたが、まだあまり気にせずに、歩き、多くの人に会いました。
穏やかな日和で、大徳寺の早咲きの梅がもう咲いていました。
主目的は私事ですが、従妹の家での「新春かるた会」です。
その他にも、もっぱら人に会い、お喋りをし、酒食を楽しみました。
時間がゆっくり過ぎていく気持になる、京都で過ごすといつもそう思います。
名所旧跡や、お寺を訪れたりしなくても、街を歩いたり、バスに乗って窓からみえる比叡山や鴨川を眺めるだけでほっとします。
(2) 観光客が多いといっても、東京の新宿や渋谷の雑踏とは少し違うように思います。
老人には東京の街中を歩く人々の速さとお互いの距離間隔がなかなかついていけない。 京都の人は歩くのが少し遅いし、躰が触れ合うこともない。
それと人々の表情が穏やかな感じがする。東京では、忙しそうに、不機嫌そうにしている人が多い。
そんな話を、いつも行く気楽な割烹「松長」で常連さんと話していて、
「京都では、街中は社会空間。みんなが仲間。外に出れば誰か知っている人が必ずいて、見ている。東京では外に出れば知らない人ばかり。その違いが大きいのではないか」という女将のコメントを面白く感じました。
「子供にも、外で知っている人に会ったら必ず挨拶するように」しつけているという常連の女性客もいました。
(3)そういえば、出発の朝、品川駅で11時10分の新幹線に乗るために、山手線を降りて階段を上がっていこうとした時です。
若い女性が左手に赤ちゃんを抱えて右手にベビーカーを持って階段を上り始めました。
誰も知らん顔をしているので、ベビーカーを私が持って一緒に上がりました。並んで上る母親から「有難うございます」と3回もお礼を言われました。
むろん、礼を言われるほどのことではありません。
電車から降りたばかりの沢山の男女が階段を上がって追い抜いていきましたが、皆忙しそうで、旅行鞄を持った81歳の老人に代わってあげると言ってくれる人は誰もいませんでした。
東京人は誰もが、他人を構っていられないのでしょう。中には「エスカレーターのついた階段を探せばいいじゃないか」と意見を述べる人もいるかもしれない。こういうのを、頭の良い人の「合理的あるいは功利主義的発想」というのでしょう。しかしそういう思考で動く人ばかりではないし、そうでない人への気遣いが「仲間意識」ではないのか。
そんな話を「松長」でしたら、常連の、京都生まれ・育ちの女性が、
「以前、東京に行ったときに、同じようなことをしてあげたら、若い母親が涙を流してくれました」と言っていました。
街中も社会空間、見知らぬ人でも、二度と会わない人でもすべて「仲間」、そんな感覚が大事だなと思った次第です。
京都もだいぶ変わってきているかもしれませんが、それでも「イノダ」の主、柳居子さんのブログを読むと、たまたま一緒にバスに乗り合わせた初対面の外国人の女性と会話を交わし、料理のレシピを交換する仲になったそうで、まだ「社会空間」の意識は東京よりだいぶ残っているのでしょう。
2.最後にカルタ会の話です。
(1) 所詮は、、競技かるたのような技量の持主はおらず、ただ大勢で遊ぶだけです。
当初始めた頃の我々老人世代(とその前の世代)は徐々に減り、その代りに次世代が入り、今年はさらに第3世代まで顔をみせて、賑やかでした。
いま百人一首はマンガになったりして若者に人気上昇中とのこと。
今回は、最年少は姪の長男の小学1年生。私の妻の隣に座って、教えてもらって「田子の浦に~富士のたかねに雪は降りつつ」(山部赤人)を1枚だけ取って大感激でした。
「ドラエもんの小倉百人一首」というマンガを持参していたので、夕食会でこの本をもとにクイズを出して遊んだところ喜んだようです。帰京してから、丁寧な手書きのお礼状が我々老夫婦あてに届きました。一生懸命に書いたようです。何でもメールの時代に貴重だと、妻は大事に取っています。
そういえば、英国に住む次女一家を見ていると、同国ではまだ手書きのカードをやりとりする風習が残っているようで、忙しい中、我が家にも孫の礼状が届いたりします。
手書きの手紙文化は、少しでも残って欲しいものの1つです。
(2) 残ってほしいのは、かるたで遊ぶ文化もその1つ。
もう一つ残ってほしいものに、「暗記する文化・風習」があります。
百人一首を私が遊び始めたのが、やはり姪の長男と同じ年ごろでした。
意味も何も分からず、ただ闇雲に覚えて、上の句の最初の5文字で下の句を覚える。従って間の「七五」はとばしてしまい、いまでもなかなか出てこない句があります。
子供は記憶力は強いですから、遊んでいるうちに自然に覚えてしまいます。
そのなかでやはり、子供心に自分の好きな「リズムや調べ」があって、好きな句が幾つか生まれます。これだけは大人に負けずにすぐに手が伸びます。
私であれば、例えば
「かくとだに、えやはいぶきのさしも草、さしも知らじな、もゆる思ひを」(藤原実方)
の句は、なぜか調べがごく自然に頭に入って忘れられません。
「いぶきのさしも草」はもちろん、滋賀県の霊峰伊吹山で、新幹線で京都が近くなると、右手の車窓から山容が見えてきます。冬はいつも薄く雪をかぶっていますが、今年は暖冬のせいか、雪なしの山姿でした。
「さしも草」はヨモギのことで、お灸に使うもぐさの原料になります。古来から伊吹山の名物です。「かくとだに」と歌い始めて、「さしもぐさ、さしもしらじな」とつなげる、日本語の美しさを感じます。
(3) もちろん百人一首でなくても、例えば島崎藤村(「小諸なる古城のほとり、雲白く遊子かなしむ~」)でも、立原道造(「夢はいつもかへっていった、山の麓のさびしい村に」)でも、何でもいいのですが、「暗記する文化、そして時々それをそらんじたり引用したりする文化」は大事ではないかなと思う者です。
いま学校教育では「自分で考え、調べ、発表する」といった自己開発能力が重視されているようで、その点に異存はありませんが、同時に、頭脳が柔らかい時に、古典でも何でも意味が分からなくても、少なくともその一節を記憶してしまう。
意味は大事かもしれないが、身体感覚や感性も大事ではないか。言葉の記憶はおそらくいつまでも忘れないし、その頃覚えた「美しい日本語」はその後もその人の言葉遣いや生きる態度や感性として残っていくのではないでしょうか。