タイム誌が選出した「100年の100人の女性」

1.外食する機会がなくなり、食事は毎日自宅で(我が家は何年も前から一日二食です)、家人が用意してくれるのを頂き、感謝しています。

友人の中には奥様を先に亡くされた方もいて、たいへんだろうなと気になります。それとこの時期、シーツを夏用に替えて古いのを洗濯したり、季節の変化に合わせた家事もいろいろあります。

 散歩は、住宅地を歩くことが多くなりました。いままで気づかなかったのですが、花の美しい家々がけっこう目に入って、歩いて楽しいです。この時期は、薔薇、クレマチス、それにもちろんツツジが目につきます。

 我が家の前のお宅も鉢植えの花をきれいに飾っていますが、いまはペキュニアが満開です。立ち話をして、親切にも一鉢分けて頂きました。

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2.小さいながらも家庭を維持していくうえで、料理をはじめ家事の大切さ・大変さを再認識したのは、自粛生活のお陰かもしれません。

 もちろん夫婦双方の責任ではありますが、どうしても日本社会は女性に負担が大きくなってしまうのではないか。

 そういう状況の中でも、女性が社会的にも活躍していくことがより一層重要になっているのではないか、そのためには何が大事か。今回のCOVID-19の対応で、ドイツやNZや台湾など女性リーダーの活躍を見て、考えさせられたことです。

 ということで、今回はコロナの話題から外れて、「タイム誌」3月23日号が、過去100年間の「今年の女性100人」を選んだ特集を紹介したいと思います。

 「緒方貞子さんが選ばれた」という日本の報道を記憶されている方もおられるかもしれません。東京新聞の記事はこうあります。

――「毎年恒例の「今年の人」で知られる米誌タイムは、これまでの女性の活躍に光を当てる試みとして、過去100年分の「今年の女性」を発表した。

 1995年を代表する女性として、昨年10月に亡くなった元国連難民高等弁務官緒方貞子さんを選んだ。――

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3.因みに、同誌が毎年12月に選ぶ「今年の人(Person of the Year)」は、1927年から続く、同誌のいわば「ブランド」記事です。

 なぜ今回同誌が「今年の女性」をまとめて選出したかについて、編集部は以下の説明をしています。

(1)  今までの「今年の人」選出が男性に偏りすぎていたという反省がある。1927年から2014年までの88人のうち女性はたった7人しかいない。

(因みに、同誌は2013年にナンシー・ギブスが女性として初の編集長になり、以後15年にはメルケル首相、17年には「#Me too運動に立ち上がった女性」、19年には環境運動のグレタさんと、女性の選出が増えました)。

(2) そこで、今年は、1920年アメリカで女性参政権が認められて100周年を迎える記念すべき年であり、以来100年の「今年の女性」を選出することにした。最終リストに残ったのは600人である。

(3) 私たちはこの作業を通して、過去を振り返る機会を与えられ、歴史や社会を変える意義を再定義し、女性の果たした役割と影響力の大きさを再認識した。それは「発見」でもあり、「再発見」でもあった。

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4.100人のリストを読んでいくと、誰でも知っている有名人がたくさんいます。

例えば、

 1929年小説家のヴァージニア・ウルフ、31年イタリアの教育者モンテッソーリ、46年アルゼンチンのエヴァ・ペロン、52年エリザベス女王、54年マリリン・モンロー、62年ジャクリーヌ・ケネディ、76年インディラ・ガンディー、87年ダイアナ妃、93年のトニー・モリソン(ノーベル文学賞受賞の黒人女性小説家)、2008年ミシェル・オバマ、2009年マララ・ユサフザイ・・・・などなど。

しかし私が知らなかった名前も6割近くになります。 

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5.  因みに、「今年の人」には今まで、日本人は選ばれていません。

その意味では、「今年の女性」に緒方貞子さんの名前を見るのは嬉しいことです。

 もう一人、今回の100人の中に、パッチイ・マツ・タケモト・ミンクという日系アメリカ人3世がいます。1972年の「今年の女性」で、私の知らなかった60人の1人です。

(1)1972年にアメリカで、連邦政府から援助金を受けている教育機関に対して性別による差別を禁じる教育改革法が成立したが、この原案を作成し、多大の貢献をしたのが、ハワイ州選出の民主党下院議員の彼女だった。(タケモトは実家の性)

(2)ハワイのマウイ高校で学生自治会の会長を務め(同校で女性は初めて)、卒業生総代で卒業した。しかし、一ダース以上の医学部から女性を理由に入学を拒否され、その後、ロースクールを卒業し弁護士資格を得たが、就職にあたっても性&人種差別を経験し、生涯を通じて差別と闘ってきた。

(3)アジア系アメリカ人女性として最初の下院議員であり、12年間議会活動を続けた。

(4) 1972年に成立してから50年弱、この法律は、女性のアスリートに平等の機会を与え、学生や職員がセクハラや差別を受けることを守り、法に違反する人たちが報復行為をすることに対する楯にもなってきた。

(5) 2002年の死後、彼女の名誉を称えるため、この法の名前は「パッチイ・T・ミンク教育機会均等法」と変えられた。2003年には彼女の名を付けた、低所得の女性とその子供たちの学費を支援する基金が設立された。2014年オバマ大統領は、大統領自由勲章を死後の彼女に授与した。

 以上、私の知らない、より良き社会のために貢献した、日本人の血を受けた女性がアメリカにいました。

f:id:ksen:20200428081646j:plain以下、感想です。

(6) それにしても、彼女がハワイの高校を卒業したのは1944年、太平洋戦争の最中です。敵国として戦っている国の血を引く彼女が自治会の会長や卒業生総代に選ばれたのはよほどのことだったのではないかな、と思いました。

(7) 法律にその成立に貢献した人物の名前を付けるのは良いアイディアですね。日本ではそもそも議員立法が少ないし、政府提出の法案は官僚が作成していますから、尽力した議員の名前を付けるという発想は出てこないでしょう。

(8) だから、アメリカの政治家にはロースクールを出た法の専門家が多いし、そもそも「法曹一元」が決まりです。つまり、「裁判官、検察官、弁護士のいわゆる法曹三者とさらにロー・スクールの教授を含めて、すべて弁護士からキャリアを始める」という制度です。

 政治家の多くがロースクール出であり、彼らはまず弁護士を経験し、現場を知り、被害者に共感を抱き、国民を守る法を作る気持ちを強く持つようになるのではないでしょうか。