「検察庁法改正案反対意見書とタイム誌「今年の女性」」続き

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1.朝の散歩では見事に薔薇で飾られたお屋敷を眺め、眼の保養になりますが、そろそろ終わりでしょう、残念です。

 散歩しながら家人と、「お役人や新聞記者の言動は、私ども市井の庶民とは違うようだ」といった話もします。

 長年、友人夫婦3組6人で毎月1回、自宅回り持ちで麻雀をやっています。一銭も賭けず、女性が中心で男性が交代で1人入り、この間2人は飲んだり喋ったりします。

 この集まり、1月は我が家で実施。2月21日(金)は、老人でもあり早々と自粛・延期。以来、5月まで4カ月自粛を続け、誰ともお会いしていません。

 「新聞社がハイヤーを手配してくれるなら、集まってもいいよ」と冗談を言う老人もいます。

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2.ところで、スキャンダルはともかく、本来の検察庁法改正の問題を忘れてはいけないのではないでしょうか。

(1) この問題で、もと検事総長以下OB14人が反対の意見書を法務省に提出しました。

 東京新聞は全文を載せました。ルイ14世ジョン・ロックの名前を出して、ロッキード事件のときの対応にも触れています。

 ジョン・ロックは、『統治二論』(注:あるいは『市民政府論』)の「法が終わるところ、暴政が始まる」という言葉です。

 言うまでもなく、本書は古典的リベラリズムの教科書であり、アメリカの「独立宣言」(第3代大統領ジェファーソンが主に起草した)に大きな影響を与えました。

 「国家は国民の「生命・自由・財産」を守るために存在する。立法者がその信託を裏切った場合、国民は新たな立法部を設けることによってあらためて安全を確保する。国民はそうする権力を与えられているのである」と説く本書は、いわゆる「抵抗権」を認めた書として、フランス革命アメリカ独立革命を支える理念となりました。

(2)この「反対意見書」はかなりの長文ですが、

「上級検察官の役職定年延長」に関する23条5項が引用されています。「意見書」では「難解な条文であるが」と礼儀正しいですが、まあひどい悪文です。句点がない文章が延々と続きます。

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(3) ロッキード事件については、「意見書」が触れていることを少し長いですが以下に引用させてください。思いがこもっています。

―――「かってロッキード世代と呼ばれる世代があったように思われる。ロッキード事件の捜査、公判に関与した検察官や検察事務官ばかりでなく、捜査、公判の推移の一喜一憂しつつ見守っていた多くの関係者、広くは国民大多数であった。

(略)当時特捜部にいた若手検事の間では、この降って湧いたような事件に対して、特捜部として必ず着手するという積極派や、(略)懐疑派、(略)悲観派が入り乱れていた。

 事件の第一報が掲載されてから13日目の(1976年)2月18日検察首脳会議が開かれ、当時の神谷尚男東京高検検事長(注:辞職前の黒川氏の役職)が、「いまこの事件の疑惑解明に着手しなければ検察は今後二十年間国民の信頼を失う」と発言されるやロッキード世代は歓喜した。

 (略)この神谷氏の国民信頼発言でロッキード事件の方針が決定し、(略)特捜部が造船疑獄事件のように指揮権発動におびえることなく、のびのびと事件の解明に全力を傾注できたのは検察上層部の不退転の姿勢、それに国民の熱い支持と、捜査への政治的介入に抑制的な政治家たちの存在であった・・・・――

(4) 私事ながら、大学時代の同級生にのち検事総長になった友人がいました。学生時代に入信したクリスチャンで真面目な正義感でした。3年前に死去しましたが、76年当時、まだ30代の彼は特捜部にいて堀田力氏のもとこの事件に携わりました。f:id:ksen:20200319110445j:plain

2. 前々回に取り上げた、米タイム誌選出「100年の100人の「今年の女性」」(最後に残った600人から選ばれた)について今回もフォローする紙数がなくなりました。

 最後に少し触れて終わりにしたいと思います。

 彼女達を、他方で1927年から始まった「今年の人(Person of the Year)」と比較して感じたのは以下のようなことです。

(1)「今年の人93人」の顔ぶれの方は9割以上が男性で、かつ政治家・行政官・軍人が半分以上を占める。

(2) 対して「今年の女性100人」はこれらは2割に過ぎず(前回紹介した緒方貞子さんも含まれます)、文化・芸術・スポーツや科学者など分野が広い。

とくに注目されるのは、「社会活動家」と呼んでいい人たちが、全体の4割近くを占める。(「今年の人」ではキング牧師など1割に満たない)。

例えば、・1920年に選ばれた、「アメリカでの女性参政権活動家」、

・1944年、人種差別と闘った黒人のレイシイ・テイラー

・1955年の、同じく人種差別に抗議したローザ・パークスに代表される「バスの乗客」

(3) 人種的にも多様であり、アジア、アフリカ等を含み、アメリカ人といっても黒人・アジア系・ヒスパニックの女性も含まれる。

――といった特徴でしょうか。

(4)このように、女性だけに絞って選ぶと、より多様化する、「社会活動家」が増えるという傾向は、興味深いです。

(5) さらに言えば、「政治家」であっても、前回紹介した日系アメリカ人3世のミンク議員のように、選ばれた理由は長年の人種・性差別への活動が評価されている訳で、広い意味で「社会活動家」と呼んでいいかもしれません。

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(6) その点から個人的には、1941年にジャネット・ランキンが選ばれてほしかったと思います。最終600人には入ったかもしれません。

 ジャネット・ランキンはモンタナ州選出の史上初の女性下院議員(共和党)で、もともと1920年の女性参政権運動で活躍した。

 1941年12月8日、真珠湾攻撃の翌日、米議会は対日宣戦布告を可決した。彼女は上下院を通して、たった一人反対票を投じた。

 全会一致で可決したい同僚の圧力にも屈しなかった。その結果、孤立無援となり、政治生命を絶たれたが、その後も新聞に「日本との戦争は正当化できない」と批判を続けた。生涯を通じて平和主義者として活動し、68年には87歳でベトナム戦争反対の大規模な抗議活動を首都ワシントンで指導した。

 多様な意見・少数意見はえてして女性から生まれるかもしれない。政治家や判事・検事にもっと女性が増えたらいいですね。