ミネアポリスでの黒人男性死亡事件とタイム誌

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1.前回、アメリ最高裁の女性判事の話をしたところ、岡村さんが若い時に訪れた中米コスタリカのことを書いてくれました。

 1ヶ月の長い滞在でこの国に好感情を抱いたようです。2017年3月、国連が核兵器禁止条約を採択したときにコスタリカが議長国として取り仕切ったこと、日本は会議に欠席し、席には「あなたにここに居てほしかった」と書かれた折り鶴が置かれたことにも触れています。

平和憲法を有するコスタリカは「イラク戦争の時には有志連合に加わったが、大学生が憲法違反だと訴えて裁判所はこれを認め、彼の全面勝利となり、参加を断念した」。日本ではありえないでしょうが、こんなことが可能になる国なのですね。

「小国が唯一世界にリーダーシップを発揮できるのは、モラルにおいてなのです」というニュージーランドのアーダーン首相の言葉を思い出しました。

f:id:ksen:20200603104407j:plain2.他方で世界一の大国アメリカはと言うと、「モラル」にはほど遠い現状です。

「5月25日、ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性が白人警官にひざで首を組み敷かれた末に死亡する事件」やその後のデモの様子は、日本でも大きく報道されました。

 あらためて痛感するのは、黒人が射殺される事件がアメリカであまりにも多発することですが、最新号のタイム誌6月8日号が、「理性を欠いた恐怖によって起こされた二重の不正義」と題する記事を載せています。

記事が指摘するのは、事件に共通するのは、

(1)「些細な不正行為や疑わしい態度」が、殺害という「理性を欠いた恐怖(unreasonable fear)にかられた行動」を正当化する理由として使われること。

(2) 事件発生後も、自分自身は同じ行動を取らないまでも、加害者がそのような「恐怖」を抱いたことを理解し、許そうとする国民感情が少なからず存在すること。

の2つです。

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3.同誌は、数多くの同様の事件から、以下の3つを取り上げています。

(1) 「アメリカ史上最大の悲劇の1つ」と同誌が呼ぶ、2012年のトレイボーン・マーティン少年が殺害された事件。

 フロリダで無防備の少年が夜に住宅地を歩いていて、警備員に尋問されて争いになり、射殺された。翌年、州法に基づく裁判で、陪審は彼を正当防衛で無罪とし、これに怒った抗議デモが全国で起きた。

 この時は、当時のオバマ大統領が記者会見で「心情を吐露した」と話題になりました。

「黒人の若い男性であれば、いままでに以下のような経験を何度もしているだろう。

・デパートで、店の警備員から後を付けられたこと

・路上を歩いていたら、路肩に停めた車内に居た人が車をロックする「カチッ」という音を聞いたこと

・エレベーターに2人だけ乗り合わせたとき、同乗の女性がその間ずっとハンドバッグを握りしめていたこと。

そして私も、少年時代、何度も同じような経験をしている・・・・」と語りました。

(2)2017年には、ミネソタ州で後部ライトが壊れた車を停めさせて尋問中の警察官が、黒人を射殺。自分は許可を受けて銃を携帯していると警官に告げた。その上で、免許証を取ろうと手を伸ばしたところで、7発も撃たれた。この事件も裁判で無罪になった。

(3) 今年の2月には、ジョージア州で、ジョギング中の無防備の黒人男性が,もと警官とその息子の2人に射殺されたばかり。しかも2か月も逮捕されず、その後映像が出てきて起訴されて、目下審議中。被告は、ジョギング中の彼が立ちどまって建築中の家屋を眺めていたので「侵入するのではないか」と疑ったと供述している。

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(4)という具合に、殺害の動機が「些細な理由から生じた恐怖」によるものであり、しかもほとんどの裁判で陪審が無罪にする、という事実です。

 今回の事件も、殺害された黒人は無防備であり、スーパーで偽札を使ったのではないかという容疑で尋問中の出来事であり、正当防衛とはとても言えないと思います。しかし警官は「殺意はなかった」と主張するでしょうから、裁判で陪審がどう判断するか?

 (3)のジョージアの事件と同じく、どのような判決が出るかが気になります。事件発生直後のデモだけではなく、判決次第でまた再燃する可能性も十分ありえます。

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4.タイム誌の記事は、このような,黒人に対する潜在的な「理性を欠いた恐怖」とそれを「理解し・共感する」感情が一部のアメリカ人に存在するという「二重の不正義」を強く批判しています。しかし、どうしたらなくせるかについては、触れていません。

 なぜ、黒人に対してだけこのような「不正義」が存在するのか?

 ここには、普通の「人種差別」以上に根深い、奴隷制度にルーツを持つアメリカ社会の2つの「闇」があるのではないでしょうか?

1つはかって奴隷制度を持った国民としての「罪」の意識が、いまだに黒人に対する潜在的な「恐怖」につながるのではないかということ。

 もう1つは英国19世紀の小説家チャールズ・ディケンズが指摘した「残忍さ」です。

(1)1842年に、まだ20代のディケンズは妻と半年におよぶアメリカ訪問をした。

(2)当時アメリカでも彼の小説は大人気で、国を挙げての大歓迎を受けた。しかし彼は、この国に良い印象を持たなかった。最大の理由がまだ存続していた奴隷制度である。

帰国後書いた『アメリカ紀行』のまるまる1章を割いて、厳しく糾弾する。彼ら「所有者」が黒人奴隷をいかに残酷に扱うかを詳しく述べた上で、「このような悪の中で育った人間は、自分の怒りに火がつくとすぐに残忍な野蛮人になりさがる」と指摘する。

 180年経ったいまもこの国のどこかに、誰かに、ディケンズの指摘する「残忍さ」が遺伝子として伝わっているかもしれない、今回の事件でそんなことを感じました。

 アメリカ人に対するいささか厳しい見方かもしれません。若者や女性にはそういう意識はほとんど存在しないと思うし、今回の平和的なデモが新しい変化への一歩になることを期待したいです。

 そして、国会議員の中で、たった1人日米開戦に反対したジャネット・ランキンのような存在に期待しています。コスタリカも、過去に女性の大統領が選ばれています。アメリカはいつになるでしょうか?

 日本は奴隷制の歴史もなく、このような「負のDNA」は組み込まれていないと信じる者ですが、ヘイトスピーチの動きなどを知ると、潜在的な「罪の意識」がどこかに存在しているのではないかと考えたりします。