『女性のいない民主主義』(前田健太郎、岩波新書)を読む

1.私たち老夫婦は、東京では相変わらず「stay home」ですが、短期間、長野県蓼科の古い田舎家には行ってきました。

 自宅だからそろそろ許されるかなと車で移動して、畑をいじったり本を読んだり静かに過ごしました。散歩で鹿にも会いましたが、例年以上に人を恐れず悠々と歩いていました。田植えが終わり、こなしや藤の花も咲き、新緑がみごとでした。

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2.ということで山奥で読み返した本を紹介します。

『女性のいない民主主義』(前田健太郎、岩波新書、2019年9月)。刊行直後から話題になりました。

 このところ、このブログで、タイム誌選出の「100年の100人の女性」の記事やNZの女性首相・ドイツのメルケルさんなどを紹介してきました。「日本でも女性にもっと活躍してほしい」という岡村さんのコメントにも共感し、紹介しました。

(1) 著者は1980年生まれの気鋭の政治学者、東大准教授。

 本書は、「いままでの政治学は「男性の政治学」に過ぎなかったのではないか」という反省に立って、「政治」「民主主義」「政策」「政治家」の4つのテーマを「ジェンダーの視点」で見直し、日本の政治状況が「男性優位」の構造になっている現状、その理由や問題点を鋭く指摘します。

➜「日本では男性の手に圧倒的に政治権力が集中している。このような国は、他にあまり見かけない。日本の民主主義は、いわば「女性のいない民主主義」である」。

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(2) ここで「ジェンダー」とは、「人間の生物学的な性別とは区別された社会的な性質、単純化すれば「男らしさ」「女らしさ」を意味する」。

「男は仕事、女は家庭」というのもジェンダー規範であり、政治に使われると「女性は政治に向かない」という偏見になる(ドイツやNZの例にも拘わらず)。

ジェンダーの視点」をあらゆる政治現象に取り入れることで、「世界の見方が違ってくる。どのような政治現象を見ても、「では、女性はどこにいて、何をしているのだろうか」「あの政治家が行った選択は、その人が男性だったことと関係があるのだろうか」などと問いかける習慣が身についてくる」。

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3.このような観点に立って、著者はまずは「政治」を定義することから始めます。

(1)「政治とは、公共の利益を目的とする活動である」

(2)「政治の基礎は、政治共同体の構成員による話合いである。公共の利益は、多様な視点を持つ人々によるコミュニケーションを通じて明らかになる」。

(3)「政治とは、権力を握る人々が、それ以外の人々に自らの意思を強制する行動である」・・・・と定義した上で、

いまの日本で果たして「男性と女性とが平等に話合う政治が行われているか?男性の手に政治権力が集中しているのではないか?結果として、女性が重要と考える争点や課題が国の政策として反映されにくいのではないか?」と問いかけます。

 

(4) その前提として、政治において大切な「話合い」における男性の言動を以下3つあげます。

・一方的な発言―男性の発言する時間は長くなり、女性は短くなる。

・発言の遮断―女性の発言が封じられる。

・発言の横取りー女性が何か言っても、自分の意見として認められないことがある。

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4「(このような)、男性が一方的に意見を言う状況は、常に生じるわけではない」。

(1) 女性が発言しやすい条件が整う場合もある。

 とくに男女比は重要な鍵を握る。組織の構成員の男女比が均等であれば、その組織が男性を優遇するわけではないというシグナルが伝わり、女性も男性と対等に議論に参加できるようになる。

 ここで著者は、「クリティカル・マス」理論を紹介し、この理論によれば「女性議員の数が一定の水準、例えば30%程度に到達して初めて、女性議員は本来の力を発揮することができるようになり、男性議員と対等に意見が言えるようになる」と言います(日本の衆議院議員の女性比率は、現状約10%)。

 

(2) 女性が発言しやすい条件を整えるには、女性の構成員を増やすことが大事で、そうなれば女性が重要と考える課題が「政治」の世界でまともに取り上げられるようになる。男女の意見が平等に反映される体制という意味での民主主義がもたらされる。

 

(3) こう説明した上で、諸外国では、選挙における候補者や議席を男性と女性とに一定の比率で割り当てるクオータ制が用いられている事例を具体的に紹介します。

 このような「議会における男女比の隔たりを是正する制度は、政治における男女の不平等の背後にあるジェンダー規範(女性は政治に向いていないという偏見)をも変化させる可能性を持っている」。

(4) 制度導入とともに重要なのは、やはり私たち有権者自身のジェンダー規範を見直すことです。「ジェンダー規範を内面化した有権者は、その候補者が男性であるというだけで、男性の候補者に投票する。女性候補者は、女性らしい振る舞いをすれば政治的な能力に欠けると言われ、政治家としてのリーダーシップを発揮しようとすれば、女性らしさに欠けると批判される」。

 

(5) さらに大事なのは、立候補者を増やすことだと、著者は言います。例えば、直近の2017年の総選挙でも、立候補した1180人のうち女性の候補者は209人にすぎない。女性が立候補しにくい社会環境に加えてここにもジェンダー規範が働いている。「女性が選挙に立候補しないことこそが、日本で女性議員が少ない決定的な原因なのである」。

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 5.以上は、本書の中身をほんの一部を紹介したに過ぎません。

(1)しかし、女性議員の少ない現状では、女性の意見が政治に反映されにくく、真の民主主主義ではない。その理由として、男性高齢者を中心とするジェンダー規範が強く働いているという指摘は重要だと思います。

(2)日本の政治については、利権や地盤や世襲の問題などどろどろした側面があるのでしょう。著者の言うきれいごとだけでは解決できない、という批判もありそうです。

しかし、他の諸外国で実現できて、日本でできないことはないのではないか。私たちの「ジェンダー規範」を少し変えていけば、未来は変わるのではないか・・・・と思わせる良書です。

(3)そもそも、男性の政治学者による、従来の政治学の反省に立った分析はまことに貴重だと思います。私のような素人でも読みながら、「女性と真面目に政治を話し合い、女性の視点から教えてもらおうとしたことがあるだろうか?」と自己反省する気持ちになりました。