「孤独という病(A plague of loneliness)」―米タイム誌

f:id:ksen:20200720134423j:plain

1. 茅野市の山奥に移動して、静かに・おとなしく過ごしています。一度だけ東京に日帰り往復しました。病院行きと、朝日カルチャーセンターが再開したので新宿に出て、友人と一緒に「平安時代文学と源氏物語」の講義を聞き、昼食をともにしました。

彼に会うのも5か月ぶりで、話が弾みました。少し喋り過ぎたかなとあとで反省しました。自粛が続く中で対面で話す機会は珍しく、つい調子に乗ってしまったようです。

f:id:ksen:20200720161720j:plain

2. 山では米タイム誌も眺め、相変わらずアメリカでのコロナ関連記事が多く、病院での悲惨な記事があり、写真が生々しいです。

今回紹介するのは2つあって、1つは「孤独という病が拡がる」と題する記事です。

(1) まず「社会的な孤立(social isolation)」と「孤独(loneliness)」とは異なる。

前者は、人とどの程度の接触があるかという客観的な指標だが、後者は「自分が孤立している」と感じる主観的な感情である。

(2) もともとアメリカ人は、「孤独」を感じる人の比率が他国に比べて高い。

 主観的な感情だから、性別・年齢などに関わりなく、一人暮らしか否かも関係ない。一人だから「孤独」とは限らないし、家族に囲まれていても「孤独」を感じる人はいる。     

そして聞き取り調査で、コロナ禍のもとで「孤独」を訴えるアメリカ人は急増している。

(3) 専門家はこれが、認知症うつ病自傷行為、薬物の乱用、ギャンブル依存症などをひきおこすのではないかと懸念している。

他方で、むしろこれが人とのつながりを一層強めるのではないかという楽観的な意見もある。

(4)この記事は、こういう人たちを助けようとするNPOの活動も紹介しています。物理的な「つながり」を作って仲間に入れる、あるいはネットの活用による機会の提供といった取り組みです。

(5) そして、ひとつだけ良い点を指摘すれば、「孤独が珍しくなくなった」ことだと言います。

いままでの調査によると「孤独」を感じる人は、それを恥と思い、自責の念にかられることが多い。「孤独な人」に対して「人に好かれない、社交的でない、魅力的でない」とマイナスイメージを持っている人が多いという調査結果もある。

しかし、「いまは誰もが孤独になりうる」状況である。そう思えば誰もが自らの「孤独」を気楽に話題にしやすくなったのではないか、それは良いことである、と結論付けています。

f:id:ksen:20200720161613j:plain

3.もう一つは、「人生相談もウィルスに向き合う」と題する記事で、この時期、「相談コ-ナー」を利用する人が急増しているという内容です。

(1) 日本の新聞にも「人生相談」のコーナーがあります。アメリカではもっと盛んなようです。それも幅広い、諸事全般の相談事のようです。

もともとこの国では、臨床心理学と臨床心理士の役割が大きく、この場合は厳重な守秘義務がありますから、外部に漏れることはありませんが、心の悩みを専門家に相談することは普通に行われています。著名な政治家や芸能人なども専属の臨床心理士を抱えているという話もあります。日本でも伸びている分野かもしれません(失礼ながら、利用した方がいいのではないかと思われる政治家もいるのではないか)。

(2) 日本と同じようにメディアが提供する「場」で、「相談欄(アドバイス・コラム)」と呼ばれ、悩みや相談を、匿名だが誰もが読めるようにオープンに取り上げる。デジタル媒体の雑誌でも人気がある由で、回答者(コラムニストと言うのでしょうか、臨床心理士もいるかもしれない)の中には、この道で知られた有名人がいる。

f:id:ksen:20200725093512j:plain

(3)ここに来て、コロナの影響を受けている人たちからの、この利用が急増している。結婚式や卒業式がキャンセルになった悩み、隣人やルームメイトとのもめ事といった具体的な内容が多い。

例えば、「コロナのため卒業式がなくなった。いままで誰もが経験してきた人生の大事な思い出を自分が持てない。この喪失感をどうしたら克服できるか?」

例えば、「ルームメイトが、失業して落ち込み、家賃の負担分を払わなくなった、分担していた家事もやらなくなった、どうしたらよいか?」

例えば、「隣人がソーシャル・ディスタンスを守らないで騒いでいる。警察に通報すべきか?」

(4)アメリカ人は何でも他人に相談するのだな、こういう相談をされたらどう答えるのかな?と読みながら思いました。

卒業式が無くなった悩みに対しては、有名人の某回答者は、「誰もが経験しなかった出来事だからこそ、貴重で珍しい体験だと前向きに捉えよう」と返事したそうです。

こんな回答で満足するのかどうか分かりませんが、他に言いようもないのでしょうし、彼に言わせると「誰もが同じアドバイスを求めている訳ではない。質問者は必ずしも明快な答えを求めているとも限らない。大事なのは、(たとえ紙やネット媒体であっても)耳を傾けること、そして対話すること・・・」だそうです。

(5)他方で、増えてきた相談内容を見ていると、

・具体的な相談事だけではなく、「孤独」一般についての悩みや、

・皆が苦しんでいるこの時期に自分が「孤独」なんかに悩んでいる、そういう自分を責める気持ちへの悩み、といった相談事も増えている。

また、社会的なことへの関心も拡がり、他者に感謝する気持ちが一層芽生えて、それを伝えたいとする人たちも増えたようだ、と明るい面も指摘しています。

f:id:ksen:20200703142624j:plain

4. 記事を読んで、さて日本人の場合はどうだろうかと考えました。

アメリカ人は、我々だったらごく些細だと思うような「悩み事」でも、前広に赤の他人に相談するという心的傾向があるのだろうか?

アメリカは多民族社会であり、それだけ文化や風習や伝統も異なり、その中で人間関係を円滑に進めるには、些細なことでも専門家の知恵が日本より要るかもしれない。

対して日本人は、他人に相談など恥ずかしいと抑制する意識が強く働くのだろうか?

 もちろん、個人差はあるでしょう。ただ、このコロナ禍で社会的にも経済的にも家庭的・個人的にも悩みを抱えている人は増えているでしょう。

 そういう人たちを誰が、どうやって救っていくことができるか、とても難しい、しかしとても大事な問題だと思います。

 アメリカの某回答者が言うように、答えられなくても「少なくとも、耳を傾けること、対話すること」が大切かもしれません。