「明子のピアノ」と被爆75年2020「平和の夕べ」コンサート

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1. 今年の8月6日は広島被爆75年でした。

 朝8時から家人とともに、茅野市で開かれた「第25回平和祈念式」に参加しました。毎年出席しています。県外の被爆者の出席者は私ぐらいでしょう。

 今回は時間を短縮して、広島・長崎両市長からのメッセージの朗読、そして1分間の黙とうと献花だけで終わりました。マスク着用でした。

 例年なら、広島への「平和の旅」に参加した中高校生の報告があったり、皆で木下航二作曲の「原爆を許すまじ」を歌うのですが、今年はありませんでした。

 茅野市が、毎年広島の旅に学生を送り続け、とくに今年はコロナ禍のなかでも式典を実施したことに敬意を表したいと思います。

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2.本拠地広島市での式典は、参列者を例年の1割に満たない785人に絞りました。

 毎日新聞の報道では、「83か国やEU代表部の駐日大使らも出席した。核保有5大国からは中国を除く米露英仏が参列。

 松井一美市長は平和宣言で、新型コロナウィルスの感染拡大による自国第一主義の台頭に懸念を示し、国家間や人々の連携を呼びかけた。日本政府には、被爆者の思いを受け止め、3年前に国連で採択されたものの発効していない核兵器禁止条約の「締結国」になるよう求めた。安倍晋三首相は昨年に続き、条約に言及しなかった」。

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3.広島市では6日夕方には、「被爆75年2020平和の夕べコンサート」~Music for Peace~が、880人の聴衆を上限として開かれました。

(1) 広島交響楽団(広響)が毎年催す「平和の夕べコンサート」は、今年は節目の年であり、当初はベートーヴェン「第九」と、アルゼンチンが生んだ世界最高のピアニストの一人、マルタ・アルゲリッチを招いて実施する予定だった。

(2) しかもピアノ曲は、藤倉大という日本人が作曲してアルゲリッチに献呈された、「ピアノ協奏曲4番“明子のピアノ”」で、これを世界初演で演奏することを彼女が応諾してくれたのだ。

(3)ところが、コロナ危機のため彼女の来日が叶わなくなり、この曲は急遽日本人ピアニストが演奏し、「第九」も中止となり別の曲目に変更された。

(4) コンサートは当日、インターネットで無料ライブ配信された。

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4.ここに至るまでの経緯は以下の通りです。まず「明子のピアノ」について。

(1) 河本明子さんは、広島からアメリカに移民した両親のもとで、1926年ロサンゼルスで生まれた。1933年日系移民排斥の動きが広がるアメリカから帰国し、広島に住む。アメリカで買ってもらって6歳から習い始めたピアノを持ち帰り、広島でも熱心に習った。

(2)1945年8月6日、原爆投下の朝、明子は女学校からの勤労奉仕に参加し、被爆、爆心地から約1キロの距離だった。必死で家に戻ったが翌日死去する。19歳だった。

 翌日、両親は彼女の亡骸を自宅の庭で荼毘(だび)に付した。死因は急性放射線障害。

 前日の朝、数日前から体調を崩していた明子に父親は「行かんでもいい!行かんでもいい!」と繰り返し言ったという。そのため明子は、死の床で「お父さん、ごめんなさい」と謝り続けたという。そして、最期の言葉は、「お母さん、赤いトマトが食べたい」だった・・・・・。

 自宅も原爆で損傷し、前日まで弾いていたピアノも傷つき、弾き手を失ったまま置かれていた。最愛の娘を失った悲しみで、両親は彼女の遺品をすべてそのままにしていた。

(3)1980年ごろ偶然ピアノの存在を知った友人知人が、これを引き取り、調律師(彼は一目見て「これは捨ててはいけないピアノです」と進言した)の協力を得て時間をかけて修復し、2005年8月の「平和の夕べ」コンサートで蘇った。

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5.そしてアルゲリッチです。

(1) 彼女は、すでに2015年8月5日広島市での被爆70年の節目のコンサートに、初めて出演している。彼女自身の強い希望で、先に内定していたザルツブルグ音楽祭など、8月のヨーロッパでの仕事を全て断っての来日だった。

(2)しかも、「明子のピアノ」の存在を聞いた彼女はコンサートの2日後に、自らショパンの試し弾きをしてくれた(その時の写真も上に載せました)。「明子さんはショパンが好きだったのですね。不思議なことに、弾いてみるとそれを感じます。ピアノがそれを記憶しているみたい。私はそれを信じます」と語った。

(3)同じく世界的なピアニスト、ピーター・ゼルキンも2017年のコンサートに出演するため来日したときに、このピアノでバッハなどを45分も弾き、録音の申し出にも快諾した。

(4)アルゲリッチは2015年のコンサート初出演のあとでこんなメッセージを残した。―――「・・・私が日本国内で演奏を続けてきたのは、音楽には人を愛することを助け、人を傷つける気持ちを弱める力がある、という信念からです。第2次世界大戦でのもっとも恐ろしい犯罪は、広島と長崎への原爆投下とナチス・ドイツによるホロコーストユダヤ人の大量虐殺)だと思います。このような犯罪は、二度と起こってはなりません。私は、そのために、広島が今まで以上に重要な役割を果たすものと信じます」。

(5)今年の被爆75年の節目のコンサートでの、2回目になる演奏も快諾した彼女だったが、思いもかけぬコロナ禍で不可能になったのである。

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6.最後に、今年8月6日のコンサートのインターネットライブ放映を見ての感想です。

(1)アルゲリッチに献呈されて、本来この日に彼女が演奏する筈だったピアノ曲“Akiko’s Piano”は約20分の作品で、末尾のカデンツアのみ実際に「明子のピアノ」が使われる。

(2)コロナのため来日できなくなったアルゲリッチはヴィデオ・メッセージを寄せた。 

「今回演奏出来ないことにとても悲しい気持ちです。平和のための音楽会だから参加してきたのに、ごめんなさい」「私たちは、この曲を聞くことで、悲劇的な状況下で亡くなった明子さんのことを、はっきりと記憶するでしょう」。

(3)当日は、代わりに広島出身の萩原麻未さんが演奏した。会場にはスタインウェイの他に、アップライトのピアノがもう1台置かれた。彼女は終末部に入ってグランドピアノから席を立ち、その「明子のピアノ」に向かい、4分ほど弾いて、曲を終えた。

(4) なお、7月に『明子のピアノ、被爆をこえて奏で継ぐ』(中野真人著、岩波フックレット)が出版されました。帯には、「河本明子さんが愛奏していたピアノは、その響きを取り戻し、「音楽で平和を」の輪を世界に広げていく」とあります。関連のサイトも見られます。アルゲリッチのヴィデオ・メッセージも載っています。

https://www.akikos-piano.com/

テレビ番組も作られて、8月15日NHKのBS で午後6時から放映されます。