京都から東京へ「東下り」

  1. 前回に続いてまた、京都から東京に出て来られた方のことです。「上洛」「帰洛」とは言いますが、京都人の東京行きは「東下り」でしょうか?

東下り」の語源は在原業平の「伊勢物語」でしょうか。「なほ行き行きて、武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ」とあります。ここで「名にし負はば、いざ言問はむ都鳥、わが思ふ人はありやなしやと」と詠みました。私は、彼が病床にあって詠んだという、「つひにゆく道とはかねて聞きしかど、昨日今日とは思はざりしを」(古今集)を時々、思い出します。

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2.前回のブログに、下前講師に同行して「東下り」した岡村さんがコメントを寄せてくださいました。岡村さんは「1年ぶりの東京に心が弾みました」とあります。行きたいところがたくさんあって残念だった。駒形の「前川」で隅田川を見ながらどぜう、吉原の「伊勢屋」、佃島の「天安」などの名前が出てきて驚きました。私はどこも名前も知りません。

 岡村さんは、祇園で生まれ、いまも祇園町の会長を続けておられます。そういう人が「八幡宮の鳥居をくぐった左にある「深川宿」の深川めしも、老舗の店自体がしつらえも含めて、僕には観光なのです。東京は、古い店がいつまでも残るためのエネルギーがあるのでしょうか。京都の店には不思議と興味を感じません」と書いておられるのは、とても興味深かったです。

 

3.さてと、東京赤坂での柳居子さんの「床屋談義」を聞いた感想を今回も続けます。

(1)本論は、古い京都の話で、応仁の乱後、秀吉がたくさんのお寺を移転させるなどの事業を行ったこと、廓のこと、さらには明治になってからの都市整備にまで及びました。

(2)本論の前に、ご本人も自分のブログに書いておられますが、話の枕を振られました。「私は、生まれてから京都を出たことがない。『井の中の蛙大海を知らず』というのは私のためにあるような成句です。ところで、このあとに続く言葉をご存知ですか?」という問いかけです。

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(3)これはなかなか巧い出だしだなと感心しました。

あとに続く言葉があるとは考えたこともなかっただけに、もちろん私は答えが出てきません。他の出席者も同じだったようで、しばらく間を置いて、誰からも答えがないのを待ってから、「『されど空の色を知る』という言葉が続くようです」と言われました。

井の中の蛙は広い世間のことは分かっていないが、井戸の底から見える空はいつも見ているからよく知っていると理解すれば、「京都については多少お話しできるでしょう」という話の出だしで、聞いている人は引き込まれます。

 

(4)面白いと思ったので、帰宅してから、書棚にある広辞苑を取り出しました。「井」でひくと、「井の中の蛙大海を知らず」の言葉と意味の説明がでてきます。出典も中国の古典『荘子』とあります。ところがその後の言葉は書いてありません。

 

(5)そこでパソコンで検索すると、ちゃんと出てきました。どうやら、「されど~」以下の言葉は誰が考えたか分からないが日本で付け加えたらしく、「されど空の青さ(深さ)を知る」など言い方があるようです。

 

(6)今の時代、まず広辞苑をひくなんて人がいるでしょうか。むしろたちどころにスマホをいじって、「ここに出ています」と答えてしまうのではないか。

 便利になったと言えばそれまでですが、私のような旧世代の人間には味気ないという気持も拭えません。何事でも、訊かれたら、疑問に思ったら、スマホですぐに検索して、答えが出てしまう。それで調べたことになる。

 

 その前に一瞬でも自分で考えてみる。自分の頭に答えがなければ、質問をした講師の答えを待つ、そのあとさらに疑問が湧いたら書物でも辞書でも探してみる・・・・・こういう時間に意味があるように感じるのですが、いまは、何でもすぐに機械に頼って調べてみる、検索する時代になりました。

そういう私自身、まずはウィキペディアのお世話になる(だから時々少額の寄付をしています)のが習性になっていますから、他人のことは言えないのですが・・・・

f:id:ksen:20200822143205j:plain4. 時代が変わったといえば、下前講師の話の合間に、松井教授のアレンジで、戦前の古い、懐かしい「犬のマーク」のついたビクターの手回し式の蓄音機が持ち込まれました。所有者は若い方でしたが、45回転のレコードも持ってこられ、淡谷のり子の「人の気もしらないで」などをかけてくれました。

 これもまた昔のことを思い出して、いい休憩時間でした。私の田舎家にもごく手軽なレコード・プレイヤーがあり、もう何十年も昔に買ったレコードが何枚かは捨てないで残していて、音はひどく悪いですが、時々聴いています。

 因みに今も日本ビクターでも使われている「犬のマーク」について、同社のホームぺ―ジには以下の説明があります。

――原画は、1889年にイギリスの画家によって描かれた。彼の兄が生前ニッパーと名付けた賢い犬を可愛がっていた。

 弟の画家が犬を引き取った。たまたま家にあった蓄音器で、吹き込まれていた兄の声を聞かせたところ、ニッパーはラッパの前で耳を傾けて、なつかしい主人の声に聞き入っているようだった。その姿に心を打たれた画家は早速一枚の絵を描き上げ、「His Master's Voice(ご主人の声)」とタイトルをつけた。それを知った円盤式蓄音器の発明者はこの画をそのまま商標として1900年に登録した――

「以来この由緒あるマークは最高の技術と品質の象徴としてみなさまから深く信頼され、愛されています」とあります。

 ということで、下前さんの話といい、合間のレコードといい、老人にはとてもいい雰囲気の企画で楽しい時間でした。

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f:id:ksen:20200905093724j:plain5. 最後になりますが、この「床屋談義」を「イノダ」の珈琲を飲みながら聞いたという贅沢にも触れておきます。

 下前さんは、おそらく60年、毎朝職場近くの京都堺町にある珈琲店「イノダ」で仕事前のひとときを過ごします。

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「イノダ」は1940年創業、「京都の朝は、イノダコーヒの香りから」のキャッチフレーズで知られます。1年365日、朝7時から開いていて、だから彼も一日も欠かさず顔を出せる訳です。

 私が13年宇治にある大学に勤務したときも、「イノダ」のすぐ近くのアパートに住み、しばしば出かけました。そのお陰で下前さんと昵懇になりました。

 この「イノダ」は東京にも東京駅八重洲口の「大丸」百貨店の中にあります。下前さんが「東下り」とあれば「イノダ」も黙っている訳にはいかないと思ったのか、当日は特別サービスの出前でした。こういう特別な関係もいかにも京都だなと思い、かつこれもまた洒落た企画だなと感じ入った次第です。