東京藝大「メサイア」慈善演奏会は、今年が70回目の筈でした。

  1. 庭にあるかりん(花梨)の木が「今年は、なかなか落葉しない」と妻が不思議がっています。

 例年より暖かいせいか、まだ緑の葉が残り、枝に置いた蜜柑をついばむ目白の姿の見分 けがつかないほどです。

 1 2月の会食・会合予定はさすがにキャンセルが続いて、家にいる時間が増えて、庭を眺めながらそんな老夫婦の会話です。

 毎年の年末に欠かさなかった、ヘンデルの「メサイア」を聴きに行くのも今年はついにお休みです。東京でもやっているところがあるでしょうが、思い出深い東京藝大も、このところお決まりの渋谷の青山学院大学も、中止となりました。

 私にとって「メサイア」を聴きにいかずに終わる年は、藝大の演奏会を初めて聴いた中学生のときから69年、初めての出来事でしょう。

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  1. (1)「メサイア」は、ヘンデルが作曲した救世主キリストの生涯を主題とするオラトリオ(宗教的合唱曲)です。バロック音楽にも通じる馴染みやすい曲(アリアも合唱曲も)が多く、特に第2部の終わりの「ハレルヤ・コーラス」は日本でも誰でも知っているでしょう。

 1750年末、ロンドンで慈善演奏されて以来、キリスト降誕祭に合わせて12月に演奏することが多い。

 

(2) 藝大の「メサイア」チャリティ演奏会は1951(昭和26)年12月に始まりました。

「半世紀連続」と銘打って、2000年まで50年続きました。その後も継続されて、昨年2019年が69回目。この間、「1回も欠かすことなく上演されています」と大学の昨年のホームページにあります。作曲者の意図を酌んで、収入は社会福祉事業への支援に充てられます。

(3) その伝統ある歴史が今年、コロナ禍のなか途切れました。 69年間連続して東京藝大が社会に貢献してきたプロジェクトです。学生にとって晴れの舞台、とくに4人のソリストは学生からの抜擢であり、将来のプロの声楽家への登竜門と言われます。本当に残念な思いでしょう。

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  1. (1)ホームページには過去の写真もあるので、第1回演奏会の写真と第2回のプログ

ラムを載せました。

 当時の入場料は指定席200円自由席100円とあり、時代を感じます。まだ戦争の記憶も残り、私たちのほとんどが貧しく、傷痍軍人の白衣姿も街に見られました。

 

(2)以下私事になってしまいますが、何とも懐かしいです。私が中学に入学したのが、「メサイア」第1回演奏会と同じ1951年でした。

 そして、仲良しの友人3人と,中学生の分際で日比谷公園内の日比谷公会堂まで「メサイア」を聴きに行きました。

 

(3) これには理由があって、入ったばかりの中学の、ゲタさんというあだ名の音楽の先生が、藝大のチェロの講師もしていました。いまでは藝大の「メサイア」と言えば、知る人は多く切符を買うのに苦労するぐらいですが、当時は始まったばかりで、まだ知名度もなく、自分も出るから生徒に買ってもらいたいと思ったのでしょう。

 仲良し4人組は、音楽への興味はまるでなかった。当時の中学生にとって、保護者抜きで都心への夜の外出など稀有な機会で、そのことに胸躍らせただけだった。

 

(4)ところが、これが意外にも面白かった。大勢の正装した男女の大学生が舞台の上に整列し、コーラスの出番になると一斉に立ち上がって、よく調和のとれた美しい四部合唱をくり返す。この儀式が私たちに軽い興奮を呼び起こしたのです。

 

(5)終わっての帰り道、「毎年4人で50年連続聴こうではないか」という話になりました。その後、大学も職場も勤務地も変わり、約束を果たすことは出来なくなりました。しかし皆それぞれに「メサイア」への愛着は持ち続けています。市民合唱団に参加して高齢になっても歌っているのが2人います。

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4.私はといえば、もっぱら聴衆に過ぎませんが、その代り、どこの土地にいても年末は「メサイア」だけは何とか日程をやりくりして、毎年聴いてきました。

(1)ロンドンではジョージ・ショルティ指揮のロンドンフィルや、住まいのすぐ近くのセントメリー教会で、暖房もなく寒さに耐えながら、素人っぽい、しかし一生けん命のコーラスを聴きました。

豪州シドニーの12月は夏の盛り、それでもクリスマス・ツリーは街に飾られ、サンタクロースもお出ましになり、「メサイア」も正装で演奏されました。

 

(2)京都で13年大学に勤務したときは、単身赴任なのでひとりで行くことが多かったが、いつも12月24日、京都コンサートホールでの「オール同志社」の「メサイア」を聴きました。2000年、当初の約束の半世紀連続最後の藝大50回演奏会も、東京には行けず、京都でした。

 

(3)ニューヨークでは、リンカーン・センターに行くことが多かったです。

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5.69年間聴き続けた「メサイア」の演奏会それぞれに思い出があります。

 しかし、何と言ってもいちばんはニューヨーク、1980年12月14日のデヴィッド・ラインスドルフ指揮の「メサイア」です。妻と二人でリンカーン・センターに行きました。

 

 演奏会14日の6日前に、ジョン・レノンが、セントラルパーク西にある高級アパート「ダコタハウス」の自宅に妻ヨーコと帰宅する玄関の前で、ファンと名乗る男に射殺されました。

 14日の夜、いよいよ演奏が始まるので、オケもソリストも合唱団も舞台にそろい、指揮者が出てきて指揮台に上がるところで、聴衆に語りかけました。

ジョン・レノンのために黙とうをしたいので、参加してもらえるだろうか」という発言です。

 皆立ち上がって、いっしょに黙とうをしました。
 冒頭に指揮者が聴衆に声をかけるという出来事は、いまに至るも私には最初にして最後の経験で、忘れられない思い出です。

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 今年の12月8日、彼の死後40年経ちました。「セントラルパークの記念広場では、代表曲「イマジン」の文字があしらわれた円形の碑の上にレノンさんの遺影や花が置かれ、人々は思い思いに追悼した」と日本の新聞も報じました。