山極先生の「ゴリラからの警告」を視聴する。

 1. 山極壽一前京都大学総長による、5月25日に行われた「ゴリラからの警告―人間と科学の本質を読み解く」と題する講演を、YouTubeで視聴する機会がありました。

 友人某君の紹介です。なかなか面白い内容で友人に感謝しています。以下は90分の講演のほんのさわり、かつ勝手な要約です。

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2.山極先生は、ゴリラを研究対象として人類の起源を探る著名な人類学者ですが、今回も類人猿(とくにゴリラ)と人間とはどこが同じでどこが違うかを理解しながら、私たちの未来を考えていきます。

 

(1) 人間は、700万年前に直立二足歩行の動物になり、熱帯雨林から草原へ移動した。

その結果、食物が豊富に手に入るようになり、「共食」(必要以上の食べ物を持ち帰り、仲間に分配して一緒に食べる)の習性が生まれた。

 

(2)また、人間の子供は成長に時間がかかるため、育てるのに母親だけでは無理で、

共同保育」が必要になった。

「共食」と「共同保育(人間の子供だけが泣き・笑う)」➡そこから生まれるのが「共感能力」と「信頼」である。

 この2つの習慣が、ゴリラと違って、集団の規模を大きくさせるように進化し、「社会脳」を育てた。「家族」と両立する「共同体」の発生と進展である。

f:id:ksen:20210617142620j:plain(3) 共同体には言語以前の「対面によるコミュニケーション」が重要である。

ゴリラにも「対面」の習性はある(チンパンジーにはない)。しかしゴリラは「対面接触」だけだが、人間は「距離」をとり「時間」をかけたコミュニケーションが可能で、その結果、ゴリラやチンパンジーには見られない、共同体をつくる特性を備えた。

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3.ところが、この状況が、通信革命・情報革命などの文明の発展によって変わってきた。

即ち、「知識➡知能」と「意識➡直観」のバランスが崩れ、前者が肥大化し、

本来人間の特性である「共感能力と信頼(情緒的社会性)」が薄れつつある。

 個人はコミュニティから切り離されて、制度や国家や自治体に頼らざるを得なくなり、身体のつながりではなく、脳のつながり(情報交換)に時間を使っている・・・・

 

4.そこに、今回の新型コロナのような「感染症」がさらに追い打ちをかける。

即ち、本来社会的動物である人間に必要な「密」の状態が制約される。

(補足すれば、人間+家畜の数は世界の哺乳類の9割以上を占める。野生動物の数は桁が4つ少ない。このアンバランスが、ウィルスの繁殖に恰好な舞台を提供する)

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5.以上が現状認識である。

しからば、ポスト・コロナを展望して、人間の本性から必要な未来社会とは?

(1)人間はゴリラと違って、本来社会的動物である。集団を自由に移動する存在である。

(2)情緒的社会性を養うためには、「文化」と「社交」とが大切である。

(3) そして最後に、西洋哲学の古典的パラダイムだけではなく、西洋の知と東洋の知と

の融合を目指す必要があるのではないか。

 

6. 5に述べた点を少し補足します。

(1) 「文化」とは「体験と共感によって体に埋め込まれるもの」であり、人が「移動し・集まり・対話する」自由を通してグローバルに共有されてきた。

(2)その再構築にきわめて大切なのは、山崎正和がかねて唱えた「新たな社交の精神」である。

(3)「東洋の知」について補足すれば、西洋が重きをおくのが「排中律(AかBか)」の論理とすれば、東洋は「容中律(あれもこれも、或いは「中間」」を大事にする。

 

例えば、「里山」「縁側」「間や「と」の思想」は、日本の特性である。縁側は「あちら」でも「こちら」でもなく、その中間にあって両者をつなげる場所である。

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(4) これらを大切にしたうえで、これから目指すべきは、「共有」と「共感」に基礎をおいた、「移動」し、「シェアとコモンズ」をもとにした社会ではないだろうか。

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7.というような話でした。

端折り過ぎて、分かりにくいとは思いますが、お許しください。

 しかし自らの専門である、ゴリラとの比較で人間の特性を考えていくというところにユニークな面白さがあります。

 そうは言っても、世界には戦争も飢餓も貧困も感染症もなくならない。

しかし「共感」と「共有」が「ヒト」の本性だと再認識し、そこから未来社会を考えていこうという発想は、少しは未来への希望を与えてくれるのではないか。。

そんな風に感じながら、話を聞きました。