- 先週の東京は、前半は暑い・晴れた日が続きました。
庭の緑が陽にあたって、窓から室内に影の模様をつくります。
後半は涼しくなり朝の散歩も再開。ただ、以前に比べて距離も速度も落ちました。
- 久しぶりに、駒場小学校2年生のスズメ君に会いました。
(1)以前にも書きましたが、通学途中の彼と一緒になることがあり、校門の近くまでお喋りをしながら歩きます。老人に対して物おじも嫌がりもせず、自分のことを明るく話す子です。 妻が「スズメ君」と呼んで可愛がっています。
(2)夏休みをどう過ごしたか訊いたところ、家族で本栖湖に行った話をしてくれました。コロナも関係しているのか、若い家族や若者の間でキャンプ旅行が流行っているという話を、蓼科の「ストーブ・ハウス」という、キャンプ用品や薪ストーブなどを売っている店で聞いたばかりでした。
(3) まだ30代初め、同期の友人と週末に2家族でキャンプをしたことを思い出しました。
彼とは一緒にニューヨーク勤務し、ちょうどスズメ君ぐらいの子供たちがいたせいもあって仲良く付き合いました。アメリカ郊外のキャンプ場に連れて行ってくれて、帰国してからは丹沢の山に行きました。
テントを立てるから炊飯まですべて、学生時代から山登りの経験豊富な彼の指導で、楽しい・懐かしい経験でした。
(4)1970年前後の当時は、テントを立てるのもたいへんな作業でした。
スズメ君の話ではいまは便利になって簡単だそうです。
炊飯もやり、夜は流れ星を眺め、湖でカヌーで遊んだ。サップ・ボードという子供でもひとりで操作できる軽量のボートがあるそうです。
仲の良い家族の話を聞くのは気持ちの良いものです。
(5) 以前は仲良しの女の子と一緒だったのに、一人で歩いているので訊いてみたら、コロナのせいで登校時間がばらばらになったとのこと。
- 散歩は駒場野公園をまわって帰ります。
(1) この地は明治の初めに駒場農学校(後の東京大学農学部)があり、ケルメルというドイツ人の農学者が指導して科学的な日本式農業に取り組んだ。そのため「近代日本における農学発祥の地」と言われる。
(2)その跡地に小さな田が残り、「ケルネル田んぼ」と命名されて、近くにある筑波大付属駒場中高が受け継いで維持している。同校の生徒が「実習」の授業として、田植えや稲刈りをする。収穫した米は、卒業式・入学式の折に赤飯にして、生徒たちが賞味するという。
(3)さらに、この活動を応援する「かかし応援隊」というボランンティアのグループもできて、毎年、かかしを作っている。コンクールもやり、見に来た人が選んで優秀作の表彰もする。
38年続けていたが、昨年と今年はコロナのせいでコンクールは中止され、展示だけになった。その代わり「奮闘する医療従事者への感謝のかかし勢ぞろい」と称して25体が完成して11月まで展示されるとのこと。
4.これもまた大昔の思い出ですが、
(1)当時私の通った中学には「農業」という授業がありました。いまは無くなったでしょうが、多摩川の土手に沿って小さな農園があり、そこでサツマイモを作りました。
戦争で負けてまだ10年も経たない、誰もが貧しい時代でしたから、食べ物に対する意識は今とは大きく違っていたでしょう。
(2)「農業」担当の佐藤先生は、いかにも実直な感じの先生でした。生徒からは「パイスケ」というあだ名で呼ばれていました。
(3) 「パイスケ」とは、もともとは土砂・石炭の運搬に用いる竹または縄で編んだ籠(かご)のことだそうです。「鋳物業とくに中小の企業では昭和40年代前半までよく使用された」、そして「この不思議な言葉の語源は、外国人がこれを見て「バスケット」と発音したのが訛って「パイスケ」となったとも言われている」とあります。
佐藤先生の農業実習ではさつまいもや肥料などをこの「パイスケ」に入れて生徒が運んだのでしょうか。よく覚えていませんが、先生がこの言葉を頻繁に使っていた記憶はあります。「~スケ」という語尾が人の名前を連想させるせいか、恰好のあだ名になりました。
「甘藷掘り昭和も遠くなりにけり」ですね。
(4) 飽食の時代と言われて久しいいま、進学校として知られる「筑駒」が、いまも実習で稲作をやる、それを市民がかかしを作って応援する、いい話だと思いました。