読書の秋、実りの秋、落ち葉の季節

  1. 秋は実りの季節で、庭のかりんの木にも実がなります。

妻が、門前に「どうぞご自由に」と書いて置いておくと、けっこう持っていってくださる人がいます。食べられないのですが、香りが貴重がられるようです。

f:id:ksen:20211030102333j:plain

  1. 年に一度、植木屋の竹内さんが入ります。

 

(1) もっぱら妻が相手ですが、昔の、我が家にまだ梅や松があった頃からの長い付き合いです。

今は畳2畳ほどのごく小さな庭になりましたが、竹内さんはこの日も、「季節外れの陽気ですね」と言いながら、汗を拭きふき、丁寧な仕事をしてくれました。

数年前に独立して「世田谷・庭竹」と名乗り、頑張っている職人さんです。

f:id:ksen:20211117091531j:plain

(2) 暖かな秋日和で、私も卓と椅子を出して本を拡げていたところ、「顔を見えないように写真を撮っていいですか?」と訊かれました。

ブログをやっているそうで、毎回写真と短文を載せる、家の主が庭を好んでいる光景はとても嬉しいので紹介したいということでした。

 

(3) 翌日、早速アップしてくれたので覗いてみました。

「手入れの仕上がったお庭で、お茶を片手に読書をされているお客さんです。

お庭を上手に楽しまれる方がいらっしゃると、植木屋(庭師)としても嬉しくなります」

と書いてくれました

この文章は前置きで、彼のブログのこの日の本題は、「年内は予約でいっぱいで、新規の対応はできない」というお詫びでした。こういう仕事が忙しいのは結構なことだと思いました。

f:id:ksen:20211117091608j:plain

(3) 若い頃は、庭木への関心は薄く、仕事で忙しいのを口実に、もっぱら妻任せでした。

 あの頃、もっと竹内さんの話を聞いておけばよかったと今になって悔やんでいます。

 昔なら縁側があって、休憩時間に庭師が座ってお茶を飲みながら、木や花々を眺めながら家主とのんびり会話を交わす、そんな光景があちこちで見られた筈です。

 

(4) 椿の植え込みがあり、そこに妙なものがぶら下がっているのを数日前に妻が見つけました。

二人で確かめて、どうやら蛇の抜け殻ではないだろうかと、ちょうど竹内さんが来てくれたので訊いてみました。

やはり、「そうだ」ということで驚きました。十年以上昔は、まだ蛇も蛙もいましたが、長い間見かけず、さすがにもういないだろうと思っていましたが、どうやらまだ頑張っているようです。

我が家は二人とも、大の苦手で、見かけると足がすくんでしまう方です。

この時期は、脱皮したあとは、どこか地中にもぐって冬眠に入るのでしょう、姿は見かけません。しかし来年の春になったら、地上での活動が始まるのではないか、

・・・・というようなことを二人で話し、少しおっかなびっくりの来年になるかもしれません。

f:id:ksen:20211110104823j:plain

  1. もとより庭といってもいろいろで、蓼科の山奥にある田舎家は、手入れもせず、ほったらかしです。

落葉松やもみじの紅葉がきれいですが、晩秋はなかなか訪れるのも難しく、残念に思っていたら、近くに住む友人が親切にも写真を撮って送ってくれました。感謝をこめて載せさせていただきます。

京都の紅葉もいまが盛りでしょう。

 コロナの前はよく散歩していた東大駒場のキャンパスは、銀杏がきれいに紅葉している筈ですが、もう2年近く部外者は入れません。

f:id:ksen:20211107112641j:plain

  1. 先週は本当に気持ちよい日が続き、外出もしました。

用事があってお茶の水まで出かけ、それを済ませてから、神田界隈を散歩しました。

 

(1) おりがみ会館を覗き、精巧な折り紙細工に感心し、

(2) 神田明神にお参りし、

―――週末でもあり、七五三の若い家族連れや婚礼にも出会いました。

 

f:id:ksen:20211113112805j:plain

(3) 湯島聖堂に寄り、聖橋を渡って、ニコライ堂を眺めながら、神保町に足を延ばしました。

この辺りは、京都人の岡村さんが私よりはるかに詳しいところだなと思いつつ、彼がお気に入りの喫茶店「さぼうる」の前を通りました。ちょうど昼時のこともあって行列でお客が待っていました。京都の「イノダコーヒ」なみの人気です。

 

(4) 私は、古書街をぶらぶら歩いてから交差点そばにある旧岩波ブックセンターの後にできたカフェで休憩。読みかけの本を拡げました。

古書店も一時は閉まっていましたが、すべて開店して、立ち止まって古書を眺める本好きも見かけました。

f:id:ksen:20211113113050j:plain

 徐々にではありますが、人々の日常が普段に戻りつつあるようです。

散歩や庭での読書、そしてたまに「ハレ」に出掛ける、そんな日々が生きる価値と感じる、これはコロナのお陰でしょうか。