GWの蓼科はまだ早春のおもむきでした。

  1. ゴールデンウイークの連休は信州蓼科で過ごしました。

季節は、東京と1か月遅いようで、ちょうど早春の趣きです。草木が緑になり、レンギョウ、山桜、花桃、山つつじ,山吹,雪柳など,花が一斉に咲きます。

  1. 今年は3年ぶりの「行動制限のない」ゴールデンウィークで、久しぶりに気兼ねなく過ごしました。

もっとも日々の暮らしは例年と変わりません。

朝は、小鳥やりすに餌を与えます。餌台にとまってゆっくり食べる鳥もいるかと思えば、つまんですぐ飛び去って近くの枝で安心して食べている鳥もいます。二羽が一緒に平和に食べているのもいて、そんな違いを面白く眺めます。

3.散歩もします。「早春、ほかの鳥に先駆けてさえずり始めるので春告げ鳥と呼ばれる」鶯(うぐいす)が鳴きだしました。

野鳥の写真を撮るのを趣味にしている方から,「野鳥」という雑誌を頂きました。

ここに、京都の冷泉貴実子さんが「和歌の中の春と夏」という文章を載せています。

――「・・・鶯は春の訪れとともに、「雪の残る山」を出て里を訪れる。その初めて聞く声を「初音」と呼ぶ。待ちこがれた春を知らせるものとして、特に喜んだ。・・・」

まさに、蓼科の里山では5月初旬のいまがこういう季節感にぴったりです。

4.この時期は、農家は農作業が本格化し、田畑に出て忙しく働きます。

我々素人も、いつものように畑仕事をしました。もっとも最近は、年下の友人宮本夫妻と長女夫婦に任せて、ほんのお手伝いで済むようになりました。

それでも、連休のうちの3日間は朝から畑に出ました。耕し、鹿よけのネットを張り、畝を作り、マルチと呼ばれる雑草除けのシートを張り、植え付けをする・・・などの作業です。

今年も、じゃがいも、枝豆、人参、ネギ、トマトなどを植えました。

宮本さんは、初日の朝いちばんで、車を運転して畑にやってきたときに、誤って蛇を轢いてしまいました。

 私どもは少し遅れて畑に到着したので、現場は見ていません。彼は律儀にも、畑を終えてからはるばる諏訪大社までお参りに出掛け、お祓いをしてもらったそうです。

5. その諏訪大社の「御柱祭」は、4月の「山出し」に続いて、5月には「里曳き」の行事が行われました。

 4社あるうち、上社2社は5月3日から5日まで。下社は翌週末14~16 日です。

4日には柱を氏子たちが曳いて、上社の2つの神社内に運びます。柱にはV字型の「めど」と呼ばれる太い横木に氏子代表が何人も乗って気勢をあげながら進みます。鳥居を幾つもくぐったりする難所もあります。

5日の夕方には最後の「建御柱」の神事で終わります。

6年ぶりのテレビ見物を楽しみました。例年と違ったのは,めどに乗る全員もマスク着用だったことぐらいでしょう。

 

6.こんな風な時を過ごし,例年と変わり替えしない平凡な連休でしたが、今年はとくべつ平和の有難さを感じました。

芥川賞作家・松浦寿輝さんの、毎日新聞に連載された『無月の譜』という小説の一節を思い出しました。

(1) 太平洋戦争末期、まだ20代でシンガポールで戦死した大叔父の足跡をめぐって探索の旅に出た、一青年の物語です。大叔父は将棋駒作りの職人で、この世に自分の作品をたったひと組だけ遺(のこ)していた可能性があります。青年は、シンガポールなどあちこちを旅し、召集された若者の過酷だった短い生を想います。

(2) そしてこういう感慨を漏らします。

――「ふつうの町でふつうに生きる ――ひょっとしたらそれが、人間が手に入れることのできる最高の幸せなのかもしれない。

だとしたら、この「ふつう」を人に禁じ、それを不可能にしてしまうのが、戦争という人類の犯す最大の愚行の、もっとも残酷な本質なのに違いない」・・・・・。