第四回京語りの会に出席しました。

1.5月14日(土)、東京は赤坂で、今年最初の「京語りの会」が開かれました。通算4回目です。

(1) 最初は京都の有名人・下前さんの「床屋談義」でした。2回目からは同氏の語りに加えて、もうひとり講師が加わりました。

 

(2)今回は、「帯匠誉田(こんだ)屋十代目山口源兵衛さん」という方でした。

 京都の室町で280年以上続く老舗の帯問屋で、ご本人は帯作りを専門にしておられます。

 ホームページには、「ヨーロッパの有名デザイナー達がお忍びで訪れ、目利き達を熱狂させる、日本屈指の帯匠」とあります。

(3) ロンドンの国立博物館「ヴィクトリア&アルバートミュージアム(V&A)」(下の写真)が氏の作品を10点も買い上げたそうで、まさに工芸品でもあり、芸術品でもあるでしょう。

 また、「コロナ禍で中止になったが、昨年、V&A主催の世界的な染織シンポジウムの大トリで、源兵衛さんが講演することも決まっていた」そうです。

 

(4)山口氏は、4月14日放映のNHK日曜美術館―写真で冒険,京の町~京都国際写真祭2022~」にも登場しました。

 誉田屋の24畳の奥座敷が「国際写真祭」の展示場の一つになり、そこでスペインの写真家イザベル・ムニョス氏の作品をもとに山口氏がデザイン・制作した帯が初公開されました。その模様が番組で紹介されました。

(5)「京語りの会」では、伊藤若冲の八重菊の絵をデザインして10年かけて作ったという帯や、中国の水墨画をもとにした「跳鯉」の帯などの写真を拝見し、「こんな帯作りたいねん」という想いを伺いました。

 

2.こういう人物が京都にいるのだ、と改めて日本文化の奥深さを再認識しました。

そして、伝統工芸の大家をこの会にお連れした下前さんの人脈と構想力にも感心しました。

(1)しかも、あとから続く山口源兵衛氏の話を踏まえて、和服の話をされました。

(2)呉服は「呉の国から渡来した」。兵庫県池田市にある呉服神社の社伝案内に説明があるそうです。

 

(3)という話から始まり、時代とともに和服離れは進む。その理由と背景について語る。「明治天皇も洋化政策のシンボルとして着用被服すべて洋服に定められた」。

 

(4)そして、和服振興のためにはどういうことを考えたらよいか、と問うて、

 1つは、着物姿を褒めること、

 2つは、天皇皇后のお二人に、私的な機会でもよいから着物を着て頂く、

の2つを提言されて、私はなるほどと思いました。

(5)(1)について補足すると、こんな話でした。

京都はさすがに着物姿を多く見かける。ある日、薄い青の着物姿の女性が歩いているのを見て、下前氏が「きれいですね。今日の空の色のようですね」と声を掛けたところ、とても喜ばれた。以来、「褒めること」の大切さを実感した・・・・なかなかいい話です。

 

3.見ず知らずの方にも気さくに話しかけるのが同氏の人柄のなせる業でもあり、京都という土地柄もあるかもしれません。

 (1)当日は30人ほどの会でしたが、中に一人ウクライナ人の女性がいました。

 カテリーナさんは下前さんのブログにたびたび登場する女性。ある日、市バスの中で同氏が話しかけて以来仲良くなった由。共にウクライナから来日した夫は京大の研究員だったが、理研に転勤となり、いまは家族で埼玉に住んでいる。

 そこでカテリーナさんもこの会に急遽駆け付けた次第です。

(2)会の最後に、下前さんの紹介で、彼女が日本語で.祖国に残した両親のことなどを語りました。

 総合司会の松井孝治慶應義塾大教授の呼びかけで、ウクライナ国歌がPCから流れ、彼女は立ちあがって胸に手をあてて聞き入っていました。

ウクライナ国歌・コサックの子守歌 - YouTube

 

 こんな風に今回も、とても良い雰囲気で終わりました。