読書会で三島由紀夫の『金閣寺』を読む

  1. 前回は三島由紀夫が歌舞伎のために書き下ろした作品を、没後52年経って、アメリカの大学生が英語で上演したという話題を紹介しました。

  1. いつも祇園の思い出話が楽しい岡村さんのコメントに、飯島さん経由の情報で、三島が『金閣寺』を書いたのは、祇園の花見小路に昔あった宿だったとありました。

  ちょうど、6月19日(日)に世田谷区有志の読書会で『金閣寺』を取り上げたばか 

       りだったので面白く読みました。

  

  1. 会場は「うめとぴあ」という立派な区の施設の一室です。

 15年以上続いている読書会で、8年前に私の推薦で三島の「海と夕焼」という短編を取り上げたことがありました。

「海と夕焼」は哲学者の梅原猛が「数ある三島の小説の中でいちばん好き」と言います。三島自身強い愛着を持っており、「どうしても書いておかなければならなかった」と述べて強い愛着を持っていました。

 ちなみに彼は子供の時から「富士山と海と夕焼けが大好きで飽かず眺めていた」と母上が回想しています。

読書会では「文章が叙事詩を読むようで、美しい」といった評が出ました。

 

4. 同じ作家を2回取り上げるのは珍しく、過去にはカミュの『異邦人』と『ペスト』があるだけです。

8年ぶりの三島登場には感慨もあり、意外でもありました。

というのも、前回の読書会で、「彼の作品を好きか?嫌いか?」と23人の参加者に質問したところ、「好き」と答えたのは約2割に過ぎなかったからです。

もちろん、彼の最期を含む生き方への反発もあったでしょう。

  1. 今回推薦し、発表したのは、慶應医学部卒の女医さんでした。

「今まで、忌まわしい不可解な事件を起こした作家としてむしろ避けていた。たまたま一昨年の没後50年に話題になったので出張帰りの電車の中で読んだところ、とても面白くて一気に読み終わった」と書いておられます。

 

  1. 金閣寺』は、金閣寺の修行僧の青年による放火で寺が全焼した事件をもとに、三島が小説化したものです。

「一人称告白体」で書かれ、三島が自由に放火犯人の「私」を創作したものです。彼の最高傑作との評が高いです。

彼の後半の言動、とくに「盾の会」と最後の割腹自殺はどうにも納得できないが、作品は好きだ、という人は少なくないのではないか。ドナルド・キーン平野啓一郎などが代表的でしょう。

メンバーの一人でやはり女医の方が、「高校時代に熱中して読んだ。しかし、最期の出来事以来、三島は私の中で封印した」というコメントがあり、共感を持って聞きました。

7.面白かったのは、長年の疑問が氷解したことです。

(1) 全焼した金閣は、金箔がはげ落ち、黒ずんだ古い建物でした。

「美への嫉妬」が放火の理由として喧伝されましたが、この時の金閣は「嫉妬」の対称になるほど美しかったでしょうか?

 

(2)鹿苑寺舎利殿金閣)は1950(昭和25)年7月2日放火により焼失。

その後、再建が決まり、1952年着工、55年竣工、同年10月10日に落慶法要が営まれ、創建当時の姿に復元された。

三島が本作品を「新潮」への連載を書き始めるのは直後の1956年1月です。

 

8.「焼けた金閣は美しかったのか?」という長年の疑問を表明したところ、発表者が、三島の「室町の美学」という短い文章を紹介して下さいました。

――「私にとって焼けてしまった金閣は,大して魅力のあるものではない」

「むしろ好きなのは、新築の、人が映画のセットみたいだと悪口を言う、キンキラキンの金閣である。あそこにこそ室町の美学があり~」

「作中の旧金閣のイメージには、かくて、作者の新金閣のイメージが、多分に導入されているのである」。――

 

この文章を読んで「わが意を得たり」と納得しました。私も「キンキラキンの金閣」が好きな一人です。