『僕たちのバルセロナ』が遺作になった田澤耕氏

  1. 8月末のブログで、『僕たちのバルセロナ』を紹介しました。

『僕たちのバルセロナ』(田澤耕、西田書店、2022)と岡田さん - 川本卓史京都活動日記 (hatenablog.com)

 

  1. 著者の田澤耕さんは9月24日死去しました、69歳。本書が遺作になりました。

  友人がカタルーニャ友好親善協会の知らせを転送してくれました。

 「奥様からは、「全く苦しまず、穏やかな死でした」とお聞きしています。

先生には協会活動に多大なご貢献いただき、言葉にできないほどお世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです」。

3.新聞の訃報は朝日新聞が早く、28日付に載りました。一面の見出しは「賛否の中 安倍氏国葬」です。

日本のカタル―ニャ文化・言語研究の第一人者です。

東京銀行に入行し、語学研修性として派遣されてバルセロナの大学で学び、一生の仕事としてカタルーニャ研究者の道を選び、8年勤めた銀行を退職しました。

 

4.今年の春に、がんの余命宣告を受けてからも精力的に活動し、6月に『カタルーニャ語、小さなことば、僕の人生』(左右社)を刊行。

  続く『僕たちのバルセロナ』の校正を終え、病を押してバルセロナに旅し、講演や取材に応じました。

西田書店の日高編集長は、「存命中に本書を発刊したい」と頑張り、彼の帰国後の7月20日に完成、2か月後に他界しました。

 田澤氏の、余命を知らされてからの活動は見事なものでした。

5.ブログでは、京都に「バルセロナ文化センター」があることも紹介しました。

祇園町会長の岡村さんが、センターまで出向き、センター長のロザリアさんに会い、

ワークショップにも参加してくれました。その親切さに頭が下がります。

死去を知らせたところ、早速ロザリアさんに会ってくれて、こんな返事を頂きました。

カタルーニャ語の授業中にもかかわらず出てこられ、彼女も昨日知ったそうです。田澤先生には大変お世話になり、思い出を語る会を開きたいと語り、大変慕われていたことが伺えます」。

京都でカタルーニャとの輪が広がるのは田澤氏が知ったらさぞ喜んだでしょう。

 

6.かつて同じ会社で働いた14歳も年下の死は残念ですが、立派な一生だったと思います。

無論本人の努力と情熱の賜物とはいえ、少なくともきっかけは東京銀行があればこそと改めて思いました。

 

7.そんなところへ、もう50年近く昔に同じ職場で働いた女性から連絡がありました。当時、私は30代半ば、彼女はまだ20代でした。

 

(1) 友人との勉強会で、カズオ・イシグロの『日の名残り』について調べる必要があり、いろいろ検索したところ、私の9年前のブログを見つけた。

 

(2) 京都の株式会社カスタネットといまも繋がりがあることが分かったので、同社に照会、同社から私に連絡があって、交信が可能になったものです。

(3)古いブログがまだPC上に残っていて、それを見てくれる人はたまにいますが、それが今回はかつての東京銀行の同僚だという偶然にびっくり。

(4)ということで、長いメールのやり取りで、しばし昔話を楽しみました。

彼女は5年しか勤務しなかったのですが、楽しく働いたようです。

昔のことをよく記憶しているのに感心しました。「何人かでご自宅にお邪魔した時に川本さんそっくりの息子さんにお目に掛かり皆で「コピー」みたいと盛り上がったことも。・・・いまも覚えているのが可笑しいです」。

(5)この「息子」はもう55歳のおじさんです。

私は家に招いたことなどすっかり忘れていました。しかし、こういう和やかな機会が珍しくない雰囲気の職場だったな、とこれまた懐かしく思い出しました。