2023年の元旦、ブログはまだ京都の思い出

  1. 明けましておめでとうございます。

週一回の報告なので、年が変わってもまだ昨年の話です。

 

  1. 前回のブログには岡村さんから、

「町内に「をけら木」と「人形」を配り30日には祇園(八坂神社)さんに納めます。昨日は掃除。そして、知恩院の除夜の鐘を聞く・・・」とあり、

舞妓さんの掃除姿の、いかにも年末の京都らしい写真も載せて頂きました。


(写真2-ギンモンド01858)

3.私の方は京都滞在の続きです。

気楽な安宿で、地下鉄の駅に便利で、馴染みの「イノダ」や「松長」にも近いので気に入っています。

2泊のうち1泊は妻と二人のツイン、翌日は妻が先に帰京するのでシングルを予約しました。「空いているので、ツインに2泊して結構」と言われました。こういう弾力的な対応も嬉しいです。

 

  • 人に会っただけの三日間でした。

それ以外の時間は、到着早々、従妹夫妻との夕食までの時間、二人で近くを散歩したぐらいです。

13年間、錦小路に近いアパートを借りて単身赴任しました。

夕食は、宇治の大学からの帰途、錦小路を歩いて、お惣菜を買って帰るのが日課でした。かつての私には、日々の食材を買いにくる便利なところでした。

ところが3年振りに歩いて、むしろ観光客相手の居酒屋風の店が増えました。

(写真3-01865千波)

  • それでも、昆布と京佃煮の「千波」や、包丁や金物を扱う「有次」が健在なのは嬉しいです。妻は早速「千波」で看板商品「おやじなかせ」を求めました。

「有次」は永禄3年(1560年)に「刀鍛冶 藤原有次」として創業という、永い歴史を持つ店です。店内には、多種多様な庖丁や鍋など職人の手仕事による料理道具が並びます。

(写真4-01868有次)(写真5-01866)

京都に住んだとき、「有次」の銅製のちろりを買って、これで燗をつけて飲みたいなと何度も思いましたが、私にはちょっと高価に思えて、買うのをためらいました。

物臭な私のこと、買ったところで手間暇かけた燗付けなどせず、日々の晩酌は電子レンジでチンしてすませてしまい、宝の持ち腐れになっていたでしょう。

(写真6-01935散歩)

4.続いて、京都から帰京したあとの12月の話です。

(1)10歳の孫息子が父親(次女の夫)と二人で英国からやって来ました。小さなコンサートに参加し、我が家にも泊まりました。東大駒場のキャンパスを散歩したり、室内遊戯を付き合ったりしました。老人には慣れない焼肉も食べに行きました。

 室内遊戯は、長女の夫がチェスで孫に挑戦するのを見学、面白かったです。

(写真7-01967メサイア)1971

(2) 京都では毎年クリスマスイブに、北山のコンサートホールで「オール同志社」のヘンデルの「メサイア」をひとりで聴きました。

 

・東京では家族も一緒に毎年、「オール青山」による「メサイア」を、渋谷に近い青山学院講堂で聴きます。

・青学のOBや関係者を初め何度も来ている人が多いのでしょう、今年もアットホームな良い音楽会でした。

・開演の前に大学の宗教部長が聖書の一節を引用しました。

彼はウクライナ侵攻にも触れて、寒さと暗さとミサイル攻撃に耐えて苛酷な冬を過ごすウクライナの人達を想い、平和が遠くないことを祈りました。

 戦いが続く日々、今回は「ハレルヤコーラス」も最後の「アーメンコーラス」も、私には悲しい響きを帯びて聞こえました。

 

  1. 2022年もこんな風に、慌ただしく過ぎていきました。