「勇気こそ地の塩なれや梅真白」(中村草田男)

  1. Masuiさんから、今年の梅はどこもきれいに咲いている、「自宅の庭の梅も輝い

ており、花びらに一つ一つ声掛けしている」とコメントを頂きました。

 「自然の力は素晴らしい」ともあり、暗いニュースが多いせいもあってか、「梅に声を掛ける」心情に共感しました。

  1. 私の方は先週、読書会の仲間数人と、羽根木公園で二度目の梅見をしました。一人が、自分の選んだ「梅の名句十選」を見せてくれました。

「紅梅や病臥に果つる二十代」(古賀まり子)

「白梅のあと紅梅の深空あり」(飯田龍太

「梅白しまことに白く新しく」(星野立子)などが話題になりました。

 

  1. 私は、中村草田男の「勇気こそ地の塩なれや梅真白」という句に惹かれました。

初めて知った句でしたが、「勇気」という言葉にウクライナのことを思いました。帰宅してネットを検索すると、戦時下に学徒出陣する教え子に宛てて詠んだ句だとあり、やはり「戦争」が背景にあるのだと思いました。

  1. 多くの人の頭から、いつも戦争のニュースが離れないのではないでしょうか、春は近いが平和は遠い・・・。

京都の岡村さんは、前回私が下北沢の喫茶店で憩う話を書いたのに応じて、京都の喫茶店六曜社」の思い出話を書いてくださいました。六曜社は1950年創業、河原町にある古い喫茶店です。

少し、引用いたします。

(1)「学生時代は喫茶店に行けば誰かしら仲間に会えた。昼間はイノダで夜は六曜社でした。

友達はお金も持たずにやって来て「おう、居てたか!」と。

六曜社はベンチのようなシートで向かい側に二席ずつ並んでいます。隣は誰かがすわり、恋と議論の喧騒の中だった。

  

(2)朝方は近所の店の旦那達が集まり、夜は左翼の活動家、全学連やロックシンガー等も来て、何時も多くの若者でいっぱいでした。時々マスターに「出て行ってくれ」と怒鳴られたヤツが居ました。

 

(3)ご夫妻共満州からの引き揚げ者で、当時流行っていた長髪の若者を嫌っていたのかもしれません。でも叱られた彼等はニコニコと性懲りもなくやって来ると。それ以上マスターは咎めませんでした。

今では携帯が幅をきかせ、人と人のふれあう事もなく、(フォークシンガーの)高田渡さんはその頃の喫茶店に漂う空間や染みついてしまった時間が好きだった。もうあの頃の喫茶文化は無くなってしまったと話してます」。

5.そして岡村さんのコメントは、やはり戦争に思いを馳せます。

――「祖国を離れて満州に住む人に興味を持ち、それを知った人から頂いた本を、最近ウクライナでの出来事を考えながら読み返しています。満州国の治安維持や食糧の内地への供給等も含め満州移民はソ連に対する防衛戦だった。国策として長野大日向村の半分がお墓まで整理して開拓団を組織させたとあります」―――。

 

6.いま喫茶店は三代目が継いでいるようですが、創業者のご夫妻は満州からの引揚げで、苦労したでしょう。そんなご夫婦や学生時代を思い出しながら、いま戦争と満州の本をいろいろ読んでおられる岡村さんを想像しました。

私も学生時代、渋谷百軒店の喫茶店によく行きましたが、まだ時代が貧しかったのか、京都と東京の違いもあるか、それほどの熱気は若者になかったような気がします。それでも級友数人と、特攻で命を亡くした先輩学生たちの死は残酷だが犬死と言わざるを得ないと言う友と、そうではない、それはそれで意味のある生だったと主張する友と議論になったことなどを思い出しました。まだ戦争の記憶が若者に残っていた頃のことです。