「ちるさくら 海あをければ 海へちる」

  1. 先週は、東大駒場キャンパスのソメイヨシノが葉桜になる一方で、八重が咲きました。

散り際の桜と新緑との取り合わせが心地よい眺めです。

読書会の仲間4人で某日、北沢川緑道の桜並木を歩いたあと、茶話会になりました。緑道には小川が流れていて、花筏も見られました。

「桜はいつが好きか?」という話になって、もちろんそれぞれに趣がありますが、「五分咲きがいい」、「やはり満開」、「散り際」など思い思いの意見が出ました。

2 長年句作をやっている若い友人が幹事役で、「桜の俳句七選」を選んで配ってくれて、「7つのうちどれが好きか」をそれぞれが挙げて、しばし俳句の話で盛り上がりました。

 私は知識もなく、句も作れませんが、感想だけなら何とか参加できます。

 ――「ちるさくら 海あをければ 海へちる」(高屋窓秋)

この句には、かつて能登に旅した女性から、思い出話が出ました。「宿が海辺に面していて、ちょうど桜が咲いており、この句のような風景だった」そうです。

3.――「一花(いっか)だに 散らざる今の 時止まれ」(林翔)

 この句はもう一人の女性(本職はお医者さん)が推薦しました。

 後日ネットで確認しましたが、ゲーテの「ファウスト」の中に、日本では普通「時よ止まれ、君は美しい」と訳される有名な言葉があります。

「時よとまれ、君は美しい/ミュンヘンの17日」としてミュンヘンオリンピック記録映画の邦題にも使われている」そうです。

そういう点では、独創的な言葉遣いとは言えないかもしれませんが、それを踏まえてもきれいな句です。

4.――「なぜ泣くや この美しき 花を見て」(星野立子

(1)幹事さんの解説がありました。

 「星野立子高浜虚子の娘、虚子は女性の句作を奨励した。星野は子育てをしながら俳句を作ったが、この句の「泣く」は、桜咲く横で泣き止まない赤ん坊の我が子のことだろう」

(2)私は、まったく違う「読み」をしていました。

「「泣く」のは自分で、桜の美しい時期に誰か親しい人が死去し悲しみにくれている心境を詠んだと思った」と述べたところ、「いろいろな読みがあって一向に構わない」と彼から言われて、安心しました。

 

(3)そのあと、「泣くや」は誰か?で、「自分説」「他人説」と意見が出ました。

私は、「自分説」の補足として、この句からの連想2つを紹介しました。

1つは有名な古今集にある和歌、「深草の野辺の桜し心あらば、今年ばかりは墨染めに咲け」を思い出したこと。

(4) もう1つの連想は、京都の「哲学の道」に近い名刹法然院にある谷崎潤一郎のお墓です。

法然院は山門の紅葉が有名ですが、門の手前右側に小さな墓地があります。河上肇・福田平八郎など著名人が眠っていますが、少し小高いところに谷崎潤一郎夫妻のお墓があります。

彼の自筆で、ひとつは「寂」、もうひとつは「空」とだけ書いた、2つ並んでいる石碑がお墓です。

そして、こぶりの紅枝垂れが植えてあります。

この句を読んで、京都滞在時に、ちょうど桜が咲く法然院を訪れて、「寂」と「空」の言葉をしばらく眺めたことを思い出したという話をしました。

 能登に旅した女性が「昨日みたテレビで、まさに桜と谷崎のお墓を映していた」と教えて下さいました。

5.「桜の俳句七選」の最後は、作者名を伏せた、

――「太陽の沈む間際の櫻かな」という句です。

なかなかよい句だという皆さんの感想でした。「海にちる」と同じく、情景が眼に浮かびます。幹事さんの自作です。