じゃがいもを掘りながら「生前退位」と保守を考える

1. 老夫婦2人、田舎の家に過ごし、野生の鹿が闊歩する姿や畑や山々を眺めているとどうも人間社会が遠く感じられて、リオ五輪高校野球のTVも殆ど見ておりません。

一昨日は、朝早くから2人で、ジャガイモを掘りに行ってきました。
田舎に夏を過ごしている友人4組8人を本日の昼前に招いて、庭で「じゃがいもパーティ」を開く予定です。
全員年金生活者ですから、手作りのじゃがいもとソーセージと、精々1000円ちょっとのワインを飲んで、もっぱら「うんちく」を傾けるという、ごく手軽・安上りの催しです。その代り、「うんちく」はそこそこのレベルだろうと自賛しています。


畑にはもうすでにコスモスが咲いていました。

2. 保守主義」について長文のコメントを頂いた我善坊さんもメンバーの1人なので、「うんちく」の話題の1つになると思い、ここではお礼だけにしておきます。
私は、やはりいまは保守を論じるより、リベラルの復権が大事。
かつ、「保守するためには変わらねばならない」という信条も;まず「何を保守するのか」を明確にしなければ、単なるレトリックの面白さで終わってしまうのではないか、と懸念する者です。


我善坊さんからは「伝統を伝統ゆえに墨守するのが保守主義」というコメントもありました。
しかし、その「伝統」とは具体的に何を指すのでしょうか?日本会議のような人達の主張は「反動」であって「伝統」でも「保守」でもないというネガティブな意見は伺いましたが、ポジティブな「伝統」の中身は具体的に何でしょう?

実は、8月9日の新聞一面「天皇陛下生前退位を示唆」という大見出しを眺めながら、そんなことを考えました。

この問題も「じゃがいもパーティ」で取り上げられるのではないかと思います。もちろん我々庶民が余計な口を出すべきではないかもしれない、まして明仁天皇の意図を忖度するのはおこがましいこととは思いますが。

しかし、発言を読み返して、私が印象に残ったのは、やはりここで「伝統」という言葉を使っていることです。
すなわち、
憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ・・・・
日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし・・・人々の期待に応えていくかを考え・・」
その上で
「これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが難しくなるのではないか」
と案じ、最後に
「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ・・・」という言葉で終えておられる。


3. 早速私は、「小六法」を書棚から取り出して、憲法皇室典範とを読み返しました。
憲法は、第1章「天皇」の1条から8条まで、皇室典範は、全37条、この4条「即位」に「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」とあることご承知の通り。

従って、
―「生前退位」の問題だけであれば、憲法を改正する必要はない。皇室典範の変更(典範そのものを変えるか、一時的な特別法でやるかはともかく)は必要―
と理解されます。


そして、これこそ、「保守する」ものが明確であるからこそ、「保守するためには変わらねばならない」という信条が単なるレトリックに終わっていない好事例だと思います。
即ち
(1) 天皇にとって「伝統を保守する」とは、「天皇制」を守ること、より具体的には「象徴天皇制を守ること」であり、それを「保守」するためにはまさに「(生前退位を認めるという点で)変わらねばならない」と考えておられるのではないか。


(2) さらに言えば、天皇にとって(おそらく皇后にとっても)「保守」とは「日本国憲法を守る」ということではないのか。


4. 上の(1)&(2)のうち、(2)まで考えておられるか否かは、もちろん推測の域を出ません。
しかし、以下に補足するように、
少なくとも両陛下の今までの言動を見る限り、かなりの確度で推察されるように私は考えます。

(1) 両陛下が、鎮魂と慰問の旅を続けておられることは周知の通り。
   ・沖縄へは1975年、皇太子として初めて訪問。ひめゆりの塔で火炎瓶を投げつけられる。訪問は皇太子時代に5回、即位後も5回。
   ・1994年、硫黄島、95年、広島・長崎・東京都慰霊堂
   ・2005年、サイパン、15年ペリュリュー島(パラオ)、16年、フィリピン・・など。

(2) 「どうしても記憶しなければならない4つの日」として、沖縄戦終結の日(6月23日)、広島原爆投下(8月6日)、長崎原爆投下(8月9日)、終戦(8月15日)をあげ、「この日は外せない公務以外は入れず黙とうを捧げている(1981年記者会見にて)

(3) 靖国神社には参拝せず。


(4) その他、憲法象徴天皇制についての天皇の発言を紹介すると以下の通り、
・「戦後、連合国の占領下にあった日本は、平和と民主主義を守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、今の日本を築きました。・・・」(2013年、80歳の誕生日記者会見)
・「大日本国憲法下の天皇の在り方に比べて、日本国憲法下の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います」
(2009年、成婚50年の記者会見)

(以上は、実は我善坊さんの親しいご友人の資料を引用させて頂きました)


(5) また両陛下は、沖縄について、多くの歌を詠んでおられることもご承知の通りです。例えば、


――― 激しかりし戦場(いくさば)の跡眺むれば平らけき海その果てに見ゆ
――― 沖縄のいくさに失せし人の名をあまねく刻み碑は並み立てり
――― クファーデーサーの苗木添い立つ幾千の礎(いしじ)は重く死者の名を負ふ
3首目は美智子皇后の作です。


5. 以上、「保守するのは何か」を明確にして、その上で、場合によっては「変わらねばならない」というエドマンド・バーク保守主義の意味を私なりに理解して記録したつもりです。


ちなみに宇野東大教授は、「現実の歴史的連続性を無視し、自由のための制度を破壊し、さらには、民主主義を全否定するならば、それはけっして保守主義とはいえない。少なくともバーク的な意味での保守主義ではない」(13頁)
と語ります。